空色の瞳に映るわたしは、あなたへ伝える言葉すら知らない
少女→護衛騎士→兄王子と視点変化しております
初めて認識したとき、そのアイスブルーにみとれ、この人と私は同じような世界が見えているのだろうかと疑問に思った。
視覚は脳が見せているのだから、とか、色々な理屈が思い浮かぶけれど。
単純に、その色が綺麗で。
私にとって異質な瞳が、きっと誰よりも私を「人」だと認めてくれるのがわかったから。
そのアイスブルーに、私はどういう風に映っているのかを知りたかった。
突然わけのわからないところに連れてこられた私は、知らない人たちに囲まれ、知らない部屋に閉じ込められた。
こんなところに来る少し前、何時もどおりに友達と話していたとき、突如膨大な光が出現した。
あまりにまぶしくて、目を閉じたら、今度はふわりと体が浮いた。もがいて、何かを掴もうとして、何もつかめなくて。
光が収束して、ようやく目が開けられるようになった頃、私は知らない場所に落とされていた。
それが、彼らが言う召喚の儀式だということを知ったのは、もっとずっと後のこと。子供程度の言語が理解できるようになった頃だった。
生まれ育ったところとは異なる容姿の「人間」たちは、私を遠巻きに見つめ、やっかいそうな顔をしていた。そして本当にやっかいだったのだと知るのも、言葉がわかるようになった頃だ。
世界がどうかなったときに行われる儀式で、生きている人が呼ばれたのは初めてだったのだそうだ。
それがたまたま私で、偶然私で、どういうことか私だったのだけど。
私がどういう効果を齎す「もの」かがわからなかったのだろう。とりあえず豪華だけれども味気ない部屋へ閉じ込められ、えらそうな人たちが代わる代わるわたしの様子を見に来る日々が続いた。
その中には、あの人がいて、やがて彼がわたしの護衛だったのだと知った。
厳つい顔に、ごつごつとした体。
私の体などすぐにでも押しつぶせそうな体躯は、身近には幼い同年代の男の子か、デスクワークが本業の父親しかいない私には酷く恐ろしげに映った。
「神子、どうされました?」
それが私の名などではなく、ただ単に与えられた役割だと知ったときには、すでに私は塔の上が住処となっていた。
訪れるのは神官だという男と、気まぐれな王女、そして常に部屋の外に待機している彼だけの生活。与えられる衣食はたぶん十分に贅沢なもの。だけど私はそれらをろくに口にすることも、袖を通すこともなかった。
何の飾りもついていない質素な白のワンピースは、恐らく神職が身につけるものなのだろう。ゆったりとした袖口と、胴に何の締め付けもないそれだけを身につけ、膝を抱えながらずっと小さな明かり取り用の窓だけを見上げる毎日だ。
やせ細っていく体すら、彼らは気がついていない。
私が、何をどれだけ食べるかなど気にしていないのだろう。
ルーチンの仕事さえこなせばいい、という侍女たちは、必要がなければここへ立ち寄ろうともしない。当然私の世話は私自身がしている毎日で、気にかけてくれるのは護衛の彼だけという有様だ。
それのどこが神の子だと、笑い倒してやりたい気分だ。
「名前」
動かせなくなった体を、彼は後ろから抱きとめ、私を何時も見ていた空の方へ向けてくれる。
骨ばって女らしさどころか人間らしさもない体は、すでに誤魔化しようのないところまできている。
それでも気がついているのは彼だけで、たまに来ては話したいことだけを話していく王女すら気がつく素振りすらない。
「名前を、呼んでください」
私は、神子という名を与えられ、だけれども彼らはわたしの名すら聞いてくれなかった。
唯一知る彼は、その役職からかためらいをみせ目を逸らす。
彼、だけなのだ。
この世界で、私を気にかけてくれる優しい人は。
ぼうっとした意識の中、彼のアイスブルーの瞳を見つめる。
どこまでも青く、まるで私が憧れた空の色のようだ。
目を閉じた私に、彼が小さく私の名を呼ぶ。
目を開こうとして、開けなくて、徐々に世界が白くなっていった。
彼が私を呼ぶ声だけを残して。
世界の安定のために何かを召喚する、という儀式に自分は全く興味がなかった。
ただ、ぼんやりと、自分の世界のためだけにするそれを、ひどく身勝手なものだと思ってはいた。
だけど、自分が生きている間に、それが行われる可能性はひどく低くて、真剣にその儀式について考えたことなど一度もありはしなかった。
あんなことになってから、死ぬほど後悔したけれど。
偉い神官さまが、世界が揺らぎ不安定であると告げたことがきっかけとなり、制定されている法に基づき召喚の儀式が行われた。
数十年単位で行われるその儀式は、そのたびに役に立つ何かが招かれ、どういうわけか世界は安定に保たれたのだと聞かされている。
生まれながらの武官の家で、剣ばかりを握っていた自分に、そういう細かいことがわかるわけはない。ただこの儀式に参加することになったのは、家柄と自惚れだけではないが、剣の腕のおかげなのだろう。
記述通り、全てを仕切るのは王族である。
王の代理である王子と、聖女として参加する王女が、徳が高いとされる神官たちが輪となっている様子を少し離れた位置から眺めている。そして自分たちのような腕の立つ武官たちが、王子と王女を守るようにして取り囲んでいる。
具体的に記されてはいないが、以前の召喚時に、武官がいないがための惨事とやらが起こったおかげで、このような格好となったようだ。
神官たちは、自分たちのことを集中を邪魔する筋肉の塊だと、見下してはいるのだが。
幾時間もの長い祈りのあとに、いかにもひ弱そうな神官たちが何やら唱えると、腰ぐらいの高さの祭壇を中心に太陽よりも明るい光が溢れた。目が開けられない程の光の洪水は、やがて小さくなっていき、徐々に一点に収束していく。
さすがの自分も光には逆らえず、片手でさえぎりながら、開いた方の手は剣を握り締める。
元の明るさに目が慣れたころ、祭壇の上には小さな少女が自分の体を抱きしめるようにして座りこんでいた。
まず目を奪われたのはその幼さだ。
すぐに泣き叫んでもおかしくないほど小さい少女は、唇をかみ締めながらこちらをずっと伺っていた。
極度に警戒しているさまは痛々しくもあり、真っ先に駆け寄って保護したい気分にかられる。
周囲が停滞している中、まず王女が彼女に近よった。王女は聖女として名高く、その微笑みはすべてのものを癒すと言われている。
自分のようなむさくるしい男がいくよりも安心するだろう、と、王女の行動を見守る。
白く細い手を少女に差し出す。だが、意に反して少女は後ずさり、祭壇から落下した。
呆然としたままの神官を尻目に、王女を守るという名目で彼女を後ろへと下げる。そして、最も近くにいる自分が自然な形で、気を失った彼女を抱き上げ、あわてて用意した部屋へと連れていった。
召喚されるのが人だとは思わなかった神官たちは途方にくれ、前例のない事態に王は頭を抱えた。
やがて彼女は軟禁状態となり、日々表情がなくなっていく少女を、俺はただ見守るしかなかった。
世界の揺らぎは徐々に消えていき、少女が神から使わされた神子だと認定される。
周囲の歓喜とは反対に、言葉も話せず、泣き言すら言えない少女は徐々に衰弱していった。
その王女とは異なる白い手に、無骨な俺の手が触れる。あまりの細さに、身勝手なことをした自分たちに呪いの言葉を吐いた。
誰も本心では接しないこの世界の中で、自分ひとりだけでも彼女に誠実であろうとした。やがて微かだが、心が通い合ったころには、俺は彼女を連れ出したい衝動に駆られていた。
俺にしか見せない笑顔に、心がとらわれていく。
やせ細った体を傷つけないように抱き寄せるたび、彼女が笑って過ごせないこの世界こそ間違っているのだと強く思う。
たとえ世界が滅んでも、俺は彼女に笑っていてほしいのだと、そう願った。
――神子がいなくなり、そして神は沈黙する。
神子と後に呼ばれる存在を呼び出したことに、当初はずいぶんと落胆された。
ただ、手続きに従い、唆されるように含む意味すら考えずに儀式を行った。
その結果が「これ」だ。
理解できないモノは自分の無能さを嘲る存在のように思え、必要以上に呼び出したモノを敵視してしまう。
仕方がないことだとはいえ、最初から自分たちは掛け違っていたのかもしれない。
歴史上初めて「人」を召喚してしまった自分と神官たちは、彼女の扱いに心底困り果てていた。
同じような造形をもつ、全く異質なモノ。
黒い髪も、こげ茶色の瞳も、そしてこちらをうかがうおどおどとした表情も、何もかもが周囲をいらだたせ、そして不安にさせていった。
冷静な第三者が見れば、ただ世界が引き離されたことによるパニック状態なのだと理解したのかもしれない。
だが、ただ神の声を聞き、咀嚼することもせず垂れ流してきた神官たちにも、由緒正しい儀式だからとただ存続させていた自分たち王家も、そうする能力さえなくなってしまっていた。
やがて告げられた神子だという言葉に、私はようやく安堵した。
そして、大事にするふりをして、彼女を塔の上へと閉じこめた。
自分たちの能力を謳う、宣伝文句だけは忘れずに。神子という奇跡の存在を呼び出した自分たちを称えるように、国中にそれを流布させた。
だが、その姿形は厳重に隠蔽された。
異質な、なのに、人らしきものを見れば誰もが不安になる。というもっともらしい理由を述べて。
彼女の存在は、信頼する神の声さえ、疑わしきものにすら思えるほど、自分たちにとって異質であったのだ。
まして、言葉さえ通じぬのならば、それは数多いる獣と自分たちにとってどう違うのだと。
気まぐれに訪れる信仰心厚い妹と、職務に忠実な騎士以外近づかない塔を、目に入れないようにしながら、それでもようやく安定してきた世界を堪能することに集中した。
綻びは繕われ、信心深い人々は神へ感謝の言葉を捧げた。
幾度かの昼夜を越え、季節が移ろう頃、ひそやかにその知らせは伝えられた。
神子が、息絶えたと。
動揺は王宮内に広がり、神子と最も言葉を交わしていた妹は嘆き悲しんだ。
そして、神は沈黙した。
どれだけ位の高い神官が問うても、我らの神は答えを返さなくなってしまった。
だが、それは素早く隠蔽され、神の言葉は、彼らの言葉に替えられていった。
神子の不在さえ隠され、国民は今まで通り、神へ感謝の言葉を口にする。
国が、ほころび始める。
「お兄様」
聖女、と呼ばれていた妹が自分を呼ぶ。
もはや彼女をそう呼ぶものはおらず、王宮内の半数はどこかへ逃げ出してしまった。
眉間の皺を直そうともせず、自分は妹姫を抱き寄せた。
二人きりの兄妹。
同じ父母を持ち、そして誰よりも高い場所へ登ることを約束された自分と、誰よりも神に近く尊き人となるはずだった妹は肩を寄せ合う。
いつのまにか始まった反乱は、あっという間に国を飲み込み、もはやこの都ですらあちこちでそののろしが上がっている。
どうしてこうなってしまったのか。
悔やんだところで、もう理由すら思いつけるものはない。
それは、わずかばかり上げた税のせいだったのか、厳しすぎる戒律のせいだったのか。
親密な関係にあった神殿ですら、もはや距離を置かれ、そして勝手に神の声を垂れ流す。
その神殿も、徐々に求心力を失いつつあり、この国でのより所は反乱軍の中心にあるのだろう。
だが、ここまできても、自分たちはその役割を降りることはできない。
王子として、王女としてしか育てられていないのだから。
「あんなこと、しなければ良かったのか」
それは、神子を呼んだ儀式のことなのか、神子に対する扱いそのものなのか。
兄の言葉の真意がわからず、ただ妹は彼の胸に縋る。
ただ、伝統ある儀式にのっとっただけだ。
王も、神官長も、「偉大なる祖が決めたこと」としか言わない儀式に、何の疑問も抱いてはいなかった。
歪みが出ればそれを正すのは王家の仕事だ。
そして、それを担うことは誉れである。
信じて疑わなかった事実が、足元から崩れ去る。
とても同じ人だとは思えない神子を見るたび不安になった。
あれ、を召喚したのは自分だ。
だが、自分は出来損ないなどでは決してない。
神子が神子であると断定されるまでの間、全ての視線に脅え、それを見せないように虚勢を張った。
私の、せいではない。
戦火が広がる都を見下ろしながら、剣を携える。
「お兄様!」
縋りつく妹を置き去りにし、残り少なくなった兵と共に戦場へと向かう。
小競り合いはやがて大きな争いの渦となっていき、あっという間に国中へと拡がっていった。
歪みを正し、輝いた方向へと導いていくはずの王族はただうろたえた。
神子が去って幾つかの季節が過ぎたとき、終焉ははっきりとした形で彼らの前にぶら下がっていた。
ゆがみは正され、そして王家は消滅した。
彼らが望んだ形とは、異なったけれど。