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猫リターンズ  作者: 在江
3/3

後編

 警備会社の車に乗せられて着いた先は、見るからに高級なマンションだった。

 車中で尋問を受けて名前と学校名を言わされた。その後、警備員は無線でどこかとやりとりした。


 怪しいものではないと判断されたのか、一緒にきた警備員たちは住人に俺たちと黄門を引き渡すと帰ってしまった。最初に出て来たのはおばさんで、黄門を見るなり黄色い声を上げた。


 「まあ奥様。アンヌジョリィが戻りましたよ」


 俺は危うく吹き出しそうになった。ガリ勉は笑いを堪えるどころではなかった。

 黄門もといアンヌジョリィが、ぶにぶにと鳴きながら、ガリ勉の腕から抜け出そうともがいた。

 ガリ勉は、おばさんに黄門を渡してやった。奥から、白髪頭を紫に染めた洒落た婆さんが出て来た。


 「アンヌジョリイ。心配したのよ」


 黄門は婆さんの腕に収まって、嬉しそうに喉を鳴らした。本物のアンヌジョリイという訳だった。


 俺たちは部屋の中へ招かれた。マンションと言っても、一軒家みたいに広かった。

 婆さんが先に立った時、後ろ姿を見た俺は、10年前に引き戻されたような気がした。理由を考える間もなく、婆さんは俺たちに席を勧めた。


 俺たちの後から、おばさんが盆に茶菓を乗せて入ってきた。俺にもわかるような高級そうなカップだった。紅茶のよい香りもした。菓子皿には団子型のチョコレートが、見本みたいに盛りつけてあった。


 「折角見つけてくれたのに、何もなくてごめんなさいね」


 婆さんが言った。膝でアンヌジョリイが香箱を作っていた。

 俺は何を言ったらよいかわからなかった。ガリ勉が、いえいえとか何とか応えた。


 俺たちがチョコレートを平らげ紅茶を干す間に、婆さんはアンヌジョリィと猫屋敷の関わりを話してくれた。

 猫屋敷は婆さんの母親の持ち物で、アンヌジョリィは彼女に一番なついていた猫だということだった。

 彼女が死んだ時に、婆さんが引き取って可愛がっていた。数日前、車で移動中に猫籠から逃げ出したということであった。


 「近いからもしかして、と思って連絡しておいたの。犬は人につくけど、猫は家につくと言うでしょう。本当に見つかってよかったわ」


 家までタクシーで送らせる、と婆さんが言うのをガリ勉が丁重に断ったので、俺たちは歩いてマンションを出ることになった。


 「何でだよ。歩いて帰れる距離じゃないだろ」


 マンションを出た途端、黄門からも高級感からも解放された俺はガリ勉にくってかかった。ガリ勉は気難しい顔をして、教わったバス停目指して歩いた。

 タクシー代も貰わなかったから、俺はガリ勉についていくより仕方なかった。バス停で路線図を見て時刻表を調べると、目指すバスに乗るまで10分ぐらい待つことが分かった。中途半端な時間だからバス停には誰もいない。


 「まめちゃん。10年前のこと、覚えてる?」


 ガリ勉は辺りを見回してから、やけに声を潜めて話しかけてきた。


 「猫屋敷で黄門に会ったこと?」

 「あそこで婆さんが死んでいただろ。頭から血が出ていて。あの時、奥に誰かいたんだ。もしかして、それってさっき会った人かなあ」

 「えっ」


 俺の頭はガリ勉の言葉の半分を聞いた時点で満タンになった。

 同じものを見たのに、俺は婆さんが死んでいたなんて考えもしなかった。言われてみれば、あんなところでうつぶせに寝て、俺たちにも気付かないなんて変だった。


 「婆さん、死んでいたんだ」

 「殺されたんだ。あの時、家の中にいた奴に」


 ガリ勉は厳粛に言った。俺は黄門が鳴いた時、屋敷の奥で物音がしたことを思い出した。

 体が10年前に戻ったみたいに身震いした。さっきガリ勉が言った後半部分が、ようやく頭に入ってきた。アンヌジョリィの飼い主の後ろ姿が蘇った。自分を娘と言っていた。


 「親を殺したってことか?」

 「しっ。声が大きい」


 誰もいないのに、ガリ勉はまた辺りを見回した。俺もつられて左右を見ると、バスが見えた。


 「俺、図書館に行くよ」

 「今から?」

 「当時のことを調べるんだ。婆さん資産家だったから、新聞記事が残っている筈だ。時効は多分、まだ切れていない」


 ガリ勉と俺はバスに乗り込んだ。

 バスには年寄りばかり数人乗っていた。ガリ勉は聞き耳を恐れて無口になった。


 俺はガリ勉と図書館で下りるかどうか考えた。駅前でバスを降り、電車に乗り換えてもまだ俺は決心がつかなかった。婆さんがただ死んだのか殺されたのかぐらい、警察だって馬鹿じゃないんだからわかるだろうと思った。


 俺も仲間とつるんで遊んでいると、よく少年課だか生活何とかとかいう警察の奴らに因縁をつけられるし、ごくたまに署まで引っ張られることもあった。

 思い出しただけでむかつくし、ほとんどの奴らは気に入らないし馬鹿だけど、警察は見た目ほど馬鹿じゃなかった。


 馬鹿としても機動力はあるから、その警察がわからないことを俺たちがわかると考えるガリ勉の頭の構造が理解できなかった。

 でも、ガリ勉がいなければ、俺は家まで帰れなかった。帰りのバス代も電車代も、ガリ勉が2人分出していた。

 そんな金があったら、そもそもガリ勉から小遣いをせびろうなんて思わなかった。


 アンヌジョリイのマンションは、家まで歩いて帰れるほど近くなかった。黄門の飼い主は、中学生の俺たちに札ビラを切って礼金を渡そうと考えず、俺も黄門の本名と正体にびっくりして、うっかり請求するのを忘れた。


 今から請求したら、下手をすると脅迫されたと通報されるかもしれなかった。ましてガリ勉が考えたことを知られたら、余計ややこしくなること請け合いだった。


 俺には選択肢がなかった。電車を降りて、俺はガリ勉に図書館へ行くと宣言した。俺たちは再びバスに乗った。ガリ勉はむしろ嬉しそうに2人分のバス代を払った。



 年月まではっきりしていたお陰で、婆さんの死亡記事はすぐに見つかった。

 ただ期待したほど大きな記事じゃなかった。婆さんは佐藤そめゐ(89)という名前で、頭から血を流して死んでいるところを、週に1回食料品の配達に来る業者が見つけたという記事だった。

 警察では事件と事故の両方の面で捜査している、と締めくくってあった。


 すると10年前に見た変わった車は、食料品配達の車だったとも考えられた。確かに形はそれらしかったが、脇に描かれた文字まで覚えちゃいないから、断定はできなかった。ガリ勉は婆さんの名前で検索をかけた。


 「新聞の縮刷版もパソコンに入って便利になったよね。1頁ずつめくっていたら時間がかかるし、疲れて肝心な記事を見落とすかもしれない」


 俺は縮刷版なんて読んだことなかったから、ガリ勉の感慨に実感が湧かなかった。

 婆さんが事故死と結論付けられたら、もう新聞記事にはならないんじゃないかと俺は思ったが、それは間違っていた。婆さんの葬式を知らせる小さな記事があった。

 それに加えて3ヶ月ぐらい経ってから、犯人逮捕の記事が載っていた。


 つまり、警察はちゃんと仕事をした訳であった。ガリ勉は他の新聞でも同じ時期の記事を検索した。犯人が掴まった記事は大体同じだった。地元紙はやや詳しく書いていたけど、1面トップにはならなかった。


 婆さんを撲殺した犯人は婆さんの息子だった。周囲の目を誤摩化そうと宅配業者を装って婆さんの家に行ったということだった。俺たちが見たのは、その車かもしれなかった。果たしてどっちの車だったか、今となってはわからないし、わかっても何も変わらなかった。


 息子は金に困っていて、婆さんが死んだのをこれ幸いと、勝手に自分の取り分として土地を分割して売ってしまった。買った方はその辺の事情を知らなかったから、息子が犯人でも土地は返さなくてよいことになる、とある記事は言っていた。

 これが婆さん関連では一番大きな記事だった。そして最後の記事だった。こうして事件は解決した。


 「犯人掴まっていて、よかったじゃないか」


 ガリ勉が腑抜けて見えたから、俺は景気付けに言った。俺としては、早いところ家に帰りたかった。俺の念が通じたみたいで、ガリ勉は重そうに腰を上げた。


 「10年ぶりに黄門が帰ってきたのを見て、何か起こるような気がしたんだけどなあ」


 図書館を出てから、ガリ勉がぼそっと言った。


 「そうそう事件なんか転がっていないって。お前、そんな寝ぼけたことばかり考えているから、やたら因縁付けられるんだよ」


 俺は自分も因縁を吹っかける一員だということを無視して説教した。猫が昔の家に戻ったからって、いちいち事件扱いしてたらきりがない。そんなのは子どもじみた考えだ。

 図書館まで付き合った俺が言うのも変だと我ながら思いはしたが、ガリ勉は反論しなかった。聞いちゃいないかもしれなかった。その上、ガリ勉は図書館から家へ戻るまでのバス代まで出してくれた。


 その夜、俺は珍しく家族揃った食卓で夕飯を取った。俺よりもガリ勉と兄弟の方が似つかわしい弟が気味悪がったが、無視した。


 俺が猫屋敷の話を持ち出すと、母親が新聞記事には載らなかった部分を教えてくれた。


 婆さんには娘と息子がいて、娘が嫁いで息子が結婚した後、息子夫婦との折り合いが悪くて独り暮らしを始めたそうだ。息子が婆さんを殺して逮捕された後、残った財産はあの屋敷も含めて娘が相続したけれども、幼い頃の思い出もあるし、母親が非業の死を遂げた場所と思うと、息子がやったみたいに全然違う物にするのも気が咎めるし、かといって住む気にもなれず、そのままにしているということだった。


 いつか娘が町内の誰かに語った話が、巡り巡って俺の母親にまで届いた訳だ。母親も、俺との会話に困っていたらしかった。ともかく婆さんのお陰で、夕食は珍しく平和に終えることができた。


 俺は何日か後に会ったガリ勉に、その話をしてみた。ガリ勉は親に黄門の話も何もしていなかったらしく、ひどく感心して俺の話を聞いた。それで、俺はガリ勉から小遣いを巻き上げるのを忘れた。


 高校生になったらバイトができるから、ガリ勉に頼らなくてもいいのだ。

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