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猫リターンズ  作者: 在江
1/3

前編

 いつものように俺が、小遣いをガリ勉からせしめるべく締め上げていると、視界の端を影がよぎった。


 「あ、黄門だ」

 「何を馬鹿なこと」

 「ぶにい」


 不細工な鳴き声の猫は、独特の鳴き声でガリ勉の言を保証した。逃げる口実でない証拠に、ガリ勉は俺が手を放してもまだそこにいた。全身黒毛で、額に赤茶色をしたクローバー型の模様をつけている。確かに黄門だった。昔の有名時代劇に出る印籠と配色がそっくりなので、そういう呼び名がついた。


 「でも、あれから10年は経っているぜ。猫がそんなに長生きするかよ」


 俺は疑問をぶちまけた。ガリ勉は冷静に見えたが、逃げるチャンスを逃したところからすると、俺と同じように混乱していたのかもしれない。


 「猫は15年くらいは生きる。それより」

 「ぶにい」


 黄門がガリ勉を遮った。俺は、昔話に聞く猫又という怪物を思い出した。別に怖くはないが、あれは婆を食って成り代わるんだったろうか。俺は婆みたいに弱くないし、今は離れているけど腕っ節の強い仲間もいるし、化け猫ごときにやられる心配はなかった。


 「まめちゃん。あれ、僕らを呼んでいるみたいだよ。ほら」

 「なにい」


 ガリ勉は早くも猫又の魔力に魅入られたのか、昔の呼び名を使った。少なくとも、ここ3年は使わなかった筈だ。俺の不機嫌な反応にも、全く注意を向けなかった。まるで10年前の関係に戻ったみたいだった。ガリ勉の後をついて遊び回った頃。あの頃、こいつはガリ勉じゃなかった。


 「まめちゃん。黄門が呼んでいるよ」

 「だから、それ」


 俺は、馬鹿みたいに口を開けたままになった。昔の呼び名を出すな、と言おうとしたのか、猫がどうした金よこせ、と言おうとしたのかもわからなくなった。

 黄門は、招き猫よろしく、座った右前足を浮かせて、ひょいひょいと手前に引いていた。


 ガリ勉は既に黄門に向かって歩き出していた。俺は、ガリ勉からまだ小遣いをせしめていなかったことを思い出し、渋々奴らの後からついていった。

 俺が二の足を踏んで怖がった、と言い触らされたくなかった。それにガリ勉が怯えないのは猫又の術にかかっているからかもしれず、猫又が正体を現したところで俺が奴を助ければ、この先小遣いを巻き上げる口実が増えるというものであった。


 俺たちは猫を先頭に、1列となって前へ進んだ。俺は最後尾だった。仲間を見かけたら、すぐさま合図して一緒に行くつもりだった。万が一ガリ勉が猫又に倒されても、抱えて逃げやすい。


 だが、こういう時に限って、仲間の誰も通りかからなかった。車が結構行き来する割には人の姿もほとんどなかった。自転車に乗った人とすれ違ったくらいであった。


 「どこまで行くんだろう」

 「あ、曲がった」


 俺の独り言に反応したみたいなタイミングで、黄門は道を折れた。ガリ勉と俺も右に倣った。

 今思い出したのだが、普通の猫は、人間と同じように道を歩かない筈だった。


 猫が人間の道を使う時は、大抵横切る場合で、車によく轢かれる一因となった。

 人間の道と同じ方向へ歩く時でも、わざと塀と電信柱の隙間を抜けたり、どこかの庭を通ったりして、まっすぐには歩かないものだった。


 それがこの黄門ときたら、人間並みに道路を歩いた。猫として怪しすぎた。

 やっぱり猫又が黄門に化けたか、黄門が猫又と化したか。猫又がいるなんて自分でもおかしな考えだった。仲間に話しても、嗤われそうな気がした。


 一番よい手は、気にせずトンズラすることであった。ガリ勉がどこへ行こうと、知ったことではなかった。だが、ここまで来て引き返したら、臆病風に吹かれたと見えそうだった。たかが猫に尻尾を巻いて逃げ出したなんて知れたら、顔を上げて表を歩けない。大体、何で猫なんかの後をつけようという気になったのか、俺は遅まきながら後悔した。


 「あ、着いた。やっぱりここだったんだ」


 ガリ勉が言った。俺たちは門の前にいた。外国風の洒落た鉄柵が入り口を塞いでいた。ただし、人の手が入らない年月を示すように、錆が浮き出て赤茶けていた。黄門は、猫らしくさっさと柵の下をくぐり抜け、座ってこちらの様子を窺っていた。

 ガリ勉は、人目も憚らず、鞄を柵の内側へ放り込むと続けて自分も柵に取り付いた。


 「かっちん。入るのか」


 思わず、昔の呼び名が出た。しまったと思ったが、当人は柵をよじ上ることに忙しく、全然気に留めず、もう柵のてっぺんに手がかかった。


 「だって、まめちゃん。呼ばれたんだから仕方ないだろ」


 ガリ勉は、近頃とんと記憶にない運動神経のよさを発揮して、すんなり向こう側へ飛び降りた。

 一応他人の敷地に対して、10年前のかっちんならともかく、ガリ勉がこんなことをあっさりやってのけるとは思わなかった。


 「まめちゃんも早く来いよ」


 息も弾ませずに手で招いた。やや後ろで、黄門までもが、またもや例の招き猫ポーズをとった。ガリ勉は気付かない。俺は一応左右を見渡し、人気のないのを確かめてから、仕方なく鞄を投げ入れ、柵を乗り越えた。

 嫌でも10年前を思い出さずにはいられなかった。



 10年前、俺とかっちんは4月から小学校へ上がるというので、ランドセルなど買ってもらって浮かれていた。


 その頃俺たちは、一番の仲良しだった。かっちんは今でもそうだが、俺より背が高くて、頼りがいのある奴だった。

 俺だって喧嘩じゃ負けちゃいなかったけど、凶暴な犬を避けるのに知恵を絞ったり、秘密の抜け穴なんかを見つけたりするのは、かっちんの方が得意だった。

 それで俺はかっちんの後を追い回すようにして、いつも一緒に遊んだものだった。


 猫屋敷への抜け穴を見つけたのも、例によってかっちんだった。

 近所に立ち木で囲まれた古い屋敷があって、大人が猫屋敷と呼んでいた。


 婆さんが1人で住んでいて、猫を何匹も飼っていたからである。婆さんは資産家らしかったが、血統書付きの猫を閉じ込めて飼うのではなくて、野良猫に餌をやるような飼い方をしていた。


 猫たちは勝手に屋敷の外へも出入りして、他の猫と喧嘩したり、他の家で悪さをした。近所の人が婆さんに苦情を言うと、猫なんか飼っていない、といつもしらばくれるのであった。


 俺たちがその辺で猫の喧嘩を見ても、どれが婆さんの猫でどれが他の猫か区別がつかなかった。誰も婆さんから猫を紹介されたことがなかった。

 きっと婆さんも全部の猫まで把握していなかっただろうし、近所の大人も正確に区別していたかどうか、甚だ怪しい。


 ともかくそういう経緯もあって、猫屋敷の婆さんとその他ご近所は、普段の付き合いがなかった。俺たち子どもは、大人たちから、猫屋敷へは近付くな、と言い聞かされて育った。猫屋敷には化け猫が住んでいて、悪い子を攫って食べちまう、と親から脅された奴もいた。


 行くなと言われれば、行きたくなる。化け猫話も、俺たちの好奇心を煽るだけであった。

 かっちんは、屋敷の裏手に、子どもがくぐり抜けられるくらいの破れ穴を発見した。


 俺たちは早速、猫屋敷へ侵入した。猫屋敷は、外側から見た印象よりも、まともな場所だった。大きな木がたくさんあって、草も生えてはいたものの、それなりに手入れをされていた。


 そんなことにはお構いなく、俺たちはジャングル探検隊の気分で、猛獣が出るかも、とか、木の陰にアナコンダがいた、とか小声でささやき交わしながら、奥地へ進んだ。


 実際、アオダイショウぐらいは潜んでいそうだった。幸い、本物の蛇にもトカゲにも出くわさなかった。

 俺たちが見つけたのは、ツタの這う大きな屋敷だった。絵本でしか見るような、洒落た洋館だった。

 そこは屋敷の裏手だった。俺の家の玄関みたいな普通の扉があった。実は勝手口だった訳だが、当時の俺は、立派な屋敷でも出入り口は皆と一緒なんだ、と思った。


 「まめちゃん。ぐるっとひと回りしてみようよ」


 並んで屋敷を見上げていたかっちんが言った。俺は二の足を踏んだ。


 「でも、どのくらいかかるかわかんないし、途中で誰かに見つかったら、怒られるんじゃないかな」


 その頃は、俺も可愛げのあるガキだった。かっちんは、大真面目に頭を振った。


 「見つかる訳ないよ。婆さん、ひとりしか住んでいないんだもの。もし、ちょっとぐらい見つかっても、すぐに隠れれば、猫だと思うに決まっている」


 自信満々に言ったものだ。


 「そっか」


 俺もまた、単純に納得した。俺たちは屋敷に沿って探検を開始した。

 かっちんが言った通り、屋敷は静まりかえっていて、誰にも見咎められる心配はなかった。


 1度だけ、窓の向こうで人影が動いたような気がして、凍り付いた。でも、誰も追いかけて来なかった。そのうち、本当の玄関に出た。保育園の玄関を高級にしたような、大きな玄関だった。変わった車が止まっていた。


 「婆さんの車かな」

 「違うんじゃないかな」


 かっちんの声が曇った。俺も、つられて不安になった。


 「探検止めて、帰ろうか」

 「だめ。どうせ、さっきの抜け穴のところまで行かなくちゃ帰れないんだから、こっちから行った方が近いもん」


 俺たちは、探検を続けた。自然と、歩き方が慎重になった。

 玄関の扉は固く閉じていて、俺たちが抜き足差し足で通り過ぎても、誰も出て来なかった。俺は少しばかり安心した。角を曲がると、そこは広い芝生の庭だった。俺たちが目指す茂みは遠くにある。かっちんの足が止まる。


 「猫だ」

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