味変の話 & ついついゲームみたいに考えちゃう話
まずは味変の話から。
味変というのは、食べ物に新しい食材などを加えて味を変えることである。そして、この味変は料理だけではなく小説でも起こすことが可能だ。
これまで私が経験してきた小説の味変は、
①私が書いたものに人が手を加える。
②他人が書いたものに私が手を加える。
の二つだった。順番に話していこう。
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①私が書いたものに人が手を加える。
これは私の作品をマンガにしてもらった時に感じた味変だ。セリフの変更やシーンの追加などで、よく知っている小説がまるで生まれ変わったように感じられたのである。
ただ、ある作品を原作として別のものを作るのは大変だっただろうな、と思わずにもいられなかった。
何故なら、私も「新たに生み出す側」としての経験をしたことがあったからだ。
それが②の「他人が書いたものに私が手を加える」バージョンの味変である。
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②他人が書いたものに私が手を加える。
私は他作者様の短編を連載小説としてリメイクするという経験をしたことがある。
それがこちらだ。
原作:『神は青で平和を望む少女を祝う(短編版)』
(https://ncode.syosetu.com/n0802gs/)
連載版:『神に祝福された平民の彼女は、仇敵の王子の求婚から早く逃げたい』
(https://ncode.syosetu.com/n8583hm/)
原作のセリフを切り貼り、切り貼り……。元ネタの雰囲気を損ねないように登場人物のキャラクター性の改変にも気を配り……。楽しいのと同時に色々と考えなければならないことも多い体験だった。
そんな中でも、原作者様と解釈が一致していた部分があったと知った時は嬉しくなったものだ。
味変の裏にドラマあり、である。
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話題は変わって、ついついゲームみたいに考えちゃう話。
以前に
『聖女、処刑されるってよ』
(https://ncode.syosetu.com/n8043id/)
という作品を出した時に、「鍛えている男性の剣戟を受けたら、普通の女性ではいくら武器を持っていても抵抗は難しいのでは?」という感想をいただいたことがある。
もっともなご意見だ。では何故書いている時にそのことに気付かなかったのか。
色々と考えた末、行き着いたのは私がゲーマーだから、という結論だった。
ゲーム上では、何日も飲まず食わずで活動ができるし、だだっ広いフィールドを永遠に駆け回ることも可能だ。
敵を切りつけても返り血は浴びないし、死体もいつの間にかマップ上から消滅している。当然、か弱い女性が筋骨隆々の男性の攻撃にナイフ一本で応戦することだって難しくないのである。
ゲームにリアリティを入れすぎるとつまらなくなる。そういう考え方が当たり前の環境に置かれていたので、小説にもその法則を適用してしまっていたらしい。
他にも同じことをしていないかな……と考えた結果、「嗅覚の情報」に思い当たった。
私は小説を書く際には、あまり生々しくならないように匂いに関する描写を意図的に少なくしているのだが、その根底にあるのも上記の考え方だったのだ。ゲームで刺激される感覚に嗅覚は含まれていない、というのも大きいだろう。
だが小説に求められているのは、世界観にもよるだろうがもう少しリアル寄りの描写なのかもしれない。けれど、あまりにも現実的なのもどうかと思うし……。
ファンタジーとリアルの塩梅は中々難しいものである。
空想世界でしか起こり得ないようなことに、現実味を付与する。……あれ? これも一種の味変では?