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泉に落ちたのは

作者: 枚崎ひつじ

泉に斧を落とす有名な寓話をアレンジしてみました。

まだまだ稚拙な文章で至らぬ点もあるかと思いますが、よろしくお願いします。

 木こりを生業とする男がいた。男は毎日のように森へ行き、木を切り倒して生計を立てていた。稼ぎが良い仕事ではないが、学のない力だけが取り柄の男には性に合っていた。

 この日も泉のほとりでいつものように男は仕事をしていた。長くこの仕事に従事してきた男にとっては慣れたもので、長年愛用してきた斧を的確な角度と力加減で木に突き立てていく。


「ふう〜。これで半分といったところか。さて仕事が終わったら何を食おうか」


 村の食堂のメニューを思い浮かべながら次の木に向けて勢いよく斧を突き立てた。

 上の空だったのが災いした。力加減を誤り勢いをつけすぎた斧は木に深く突き刺さり、抜けなくなってしまった。


「俺としたことが…。うーむ、引っ張ってもびくともしないな。ならば」


 男は木に足をかけて踏ん張り、全身に力を込めて斧を引き抜こうと試みた。ガリ、ガリと音を立て、見事斧を引き抜くことができた。

 だが、その勢いで手からすっぽ抜けた斧は宙を舞い、重い水しぶきを上げて泉に落ちてしまった。


「何てこった!」


 男は泉に駆け寄り、水面を覗き込む。底が深くて沈んだ斧は見えない。


「潜って取りに行ける深さだろうか」


 男は泉に手を入れた。すると、泉から白い装束を身に纏う屈強な男が姿を現した。


「な、なんだ!?」

「私はこの泉の精霊だ」


 呆気に取られる男に精霊は言葉を続けた。


「石の斧、鉄の斧。どちらか1つを返しましょう」


 精霊が差し出した手には確かに石の斧と鉄の斧がそれぞれ握られていた。


「そ、それは助かる。俺が落としたのは…」


 男は素直に自分が落とした斧を返してもらおうと口を開きかけた。しかしそこで重大な事に気がついた。

 どちらの斧を落としたのか思い出せないのだ。


「ええと…その…」


 男は今日の仕事を思い出してみた。自分が木を切り倒すのに使っていた斧はどちらだったか。

だが思い出せない。つい先ほどの出来事のはずなのに。

 今までの記憶を掘り起こしても無駄だった。木を切り倒す光景を鮮明に思い出せても、長年愛用してきた斧だけが、靄がかかったかのように記憶から抜け落ちている。

 精霊とやらが握る斧をもう一度見る。

 木こりの仕事を始める前、斧を買うために借金をした。先立つものがなかったので、将来稼ぐ金を当てにした。

買った店には石の斧も鉄の斧もあった。より高価で優れているのは鉄の斧だ。あの時の自分が選ぶとしたらどちらだろうか。

 せっかく借金までしたのだから鉄の斧を選んだのではないだろうか。長く使い続けることを見越して、多少高価でも鋭くて丈夫な鉄の斧を選んだというのは十分ありえる。

 一方で、男は自分が堅実な性格をしていると自覚している。仕事が成功せず、借金を返せないのを危惧し、より安価な石の斧を選んだ可能性も捨てきれない。

 堂々巡りになる思考。しかしここである決断に続く道筋が開けた。

 泉に落としたのが鉄の斧だった場合。石の斧を選んでしまっては、せっかくの高価な斧をみすみす手放してしまうことになる。ここで石の斧を選ぶと半分の確率で自分は損をするのだ。

 ならば、選ぶべき選択は。


「精霊よ。鉄の斧を返してくれ」


 男の願いに精霊は笑みを浮かべて「では、こちらを」と鉄の斧を渡した。男は恐る恐る斧を受け取った。鉄の刃のずしりとした重さが伝わってくる。

 精霊は残った石の斧をするりと落とした。石の斧は泉に沈み、ぶくぶくと泡となって跡形もなく消えた。

 精霊も泉に沈み、辺りに静寂が戻った。残された男は手に持った鉄の斧を見つめた。


「本当にこれが俺が落とした斧だったのだろうか」


 その答えは返された今でも分からないままでいた。



 男は鉄の斧を振るい、木こりの仕事に人一倍精を出した。

 その仕事振りは周囲に評判を呼び、ある女が男に惹かれるようになる。その女は美しく整った顔立ちで清楚な雰囲気を漂わせていた。実直に仕事に取り組む様に女は惹かれ、その好意に男も満更でもなく、結婚を前提に交際を始めることとなった。

 ある日、男はいつも仕事に来ている森へ女を案内した。


「ここに巨大な切り株があるだろう。ここに生えていた大木は俺一人で切り倒してやったんだ。木が倒れる時、危うく押し潰されそうになって肝を冷やしたよ」

「ふふふ。あなたのお話はとても面白いわ」


 日除け帽子から除く女の優しげな笑みに男はほんのりと頬を赤らめた。

 並んで森を歩きながら、誇らしげに仕事ぶりを話す男。それを聞くたび女は手を叩いて喜ぶのだった。

 木々で生い茂る道を抜け、やがて2人は泉に辿り着いた。開けた空間に澄んだ空気が流れ込む。


「気持ちのいい場所ね。ここでランチにしましょう」

「そうだな。そうしよう」


 2人は泉のほとりに腰を下ろしサンドウィッチを広げた。


「これ私が作ったの」

「美味しそうだ。頂くよ」


 サンドウィッチにかぶりつき男の顔が綻ぶ。木漏れ日の下で穏やかな時間が流れる。

 そこへ一際強い風が吹き、女の帽子をさらってしまった。帽子はふわりと宙を舞い、泉の方へ流れていく。


「ああっ!帽子が!」

「大丈夫、俺が取りに行くよ」


 すかさず男は泉に向かって駆け出した。すぐに帽子まで距離を縮め、手を伸ばして掴もうとする。


「もう少し…」


 しかしその瞬間風向きが変わった。帽子は急に方向を変え、嘲笑うように男の頭上を通り過ぎる。


「おおっと!?」


 背後に飛んでいく帽子に目を奪われる男。前方に泉が迫っていることに気がつかず、そのまま飛び込んでしまった。

 女は陸地に戻った帽子を拾い、急いで泉に駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」


 泉は思った以上に深く、男は手足をバタつかせてもがいていた。岸に這い上がろうと手を伸ばしたその瞬間、何者かに体を掴まれて凄まじい力で水上に引き上げられた。


「力だけが取り柄の男、容姿の優れた男。どちらか1人を返しましょう」


 声がする方を見上げるとあの屈強な精霊が片腕で自分を抱えていた。

 そして、もう片方の腕には見知らぬ青年が抱えられていた。

 2人の男を抱える精霊を前に女は困惑していた。


「精霊?何を言っているの?返してほしいのはもちろん…あれ、おかしいわ?どちらが泉に…いえ、どちらが私とお付き合いをしている方だったか思い出せないわ」


 男はこの状況に覚えがあった。かつて泉に斧を落とした時、この精霊が現れ石の斧と鉄の斧どちらかを返すと問われた。そしてその時も男は自分がどちらの斧を落としたのか忘れてしまったのだ。

 男は必死に訴えた。


「君の恋人は俺だ!思い出してくれ!村の広場で初めて君が声をかけてくれてお茶に誘ってくれたじゃないか!」

「そうね、私からあなたに声をかけたのだったわ」


 しかし、隣の青年も訴えかける。


「いいや、僕こそが君の恋人だ!君の誕生日に木彫りの人形を贈ったじゃないか」

「そうね、あなたからもらった人形は大切に家に飾っているわ」


 男は顔をしかめた。偽者でも実際に起きた出来事を知っているのだ。


「惑わされないでくれ!今日森で俺が切り倒した切り株を見ただろう?あんなに大きな木を切り倒せるのは俺のように腕力がある者だけだ。俺を選ぶんだ!」

「惑わしているのは向こうの方だ。体格に恵まれずとも真面目に仕事をしてきた僕を好きだと言ってくれたじゃないか。さぁ、僕を選ぶんだ!」


 男と青年は次々に自分が本物であると主張した。しかし、いずれの主張を聞いてもどちらが本物であるか女には判断できなかった。男との思い出に靄がかかり、事実と虚構に区別がつかなくなっていた。全ては男が斧を選んだ時と同じ。記憶を失った女に確信を持つことはできない。

 男はあせりを感じていた。かつての自分は安っぽい石の斧を選んで損をしたくないから鉄の斧を選んだ。

 女は自分を選ぶだろうか。隣の青年をちらりと伺う。顔立ちが良くて身なりも整っている。そんな魅力のある男を捨てて、粗雑な自分を選ぶことが本当にあるだろうか。

 選ばれなかった斧を思い出す。泉に沈み泡となって消えた光景が脳裏に蘇る。あのぞっとするような末路が女の選択で決まる。

 女はしばらく逡巡していた。やがて視線がぴたりと一点に定まった。


「精霊よ。私が返してほしいのは――」


 女は自身の選択を告げた。

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