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404  作者: 篠田獬
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六日目


「ひぃ、濡れた濡れた。なんかここんとこずっと雨降ってない?や、昨日に比べたらだいぶマシなんだけどさ」


 午後6時。幾分大人しくなったといえど、外出には依然躊躇する程度の雨の中。スーパーの袋を抱えた自称神様は当然のように、家の中へずけずけと踏み入ってきた。


「どうして昨日は来なかったんですか」


「来なかったんじゃない、行かなかったのさ。あ、キッチン借りるよ」


 詰るような私の質問を意にも介さず、とんちのような答えを返した自称神様はキッチンへと歩を進める。その動きがあまりにもスムーズだった為に、束の間その違和感に気づけなかった。

 

「……あの、今日の料理は」


「ん?ああ、今日は僕が作ろうと思ってね。腕によりをかけて作っちゃうぞ」


 予想外の展開に驚く私にニヤリと笑い、自称神様は腕まくりして準備をし始める。見方によっては最後の晩餐なのだから精を出すのも当然かもしれないけど、それにしたってあんまりにも唐突だ。


「……明日でここを出られる、っていうのは本当なんですか」


「もちろんさ。僕が嘘をつくような人間に見えるかい?」


 久しく感じていなかった手持ち無沙汰な感覚に耐えられず、どうしても確かめたかったことを聞いてみる。対する自称神様は意外なほどの手際の良さで準備を進めながら、変わらない調子で答えを口にした。


「ここを出られる、というよりは追い出される、って方が正しいのかもしれないけどね。契約が切れた家にいつまでも居座ってたら、当然大家さんに追い出されるだろう?つまりはそういうことだよ」


「時間が来たら、私はどこに追い出されるんですか」


「さあねえ。たぶん、来た時と同じ感じになるんじゃないかな?もとより往復切符なんだから、元いた場所に戻るのが道理ってものさ。熱ッ」


 来た時、と言われて思い返してみても、この場所に来るまでの記憶は正直に言って靄がかかったままだ。というよりも、気付いた時にはもうこの世界にいた、と言った方が正しいのだろう。

 何も考えることなどできずに、彼女の前から逃げ出したあの時。あの瞬間から、私の時間はずっと止まっている。


「ほい、完成だ。料理の腕は君に遠く及ばないけど、それなりに頑張って仕上げたつもりだよ。召し上がれ」


 物思いに沈む私と、キッチンで作業を進める自称神様。没交渉なまま過ぎ去るだけの憂鬱な時間を断ち切ったのは、自称神様が食卓に料理を運んできたその声だった。

 大皿の上で食欲をそそるように湯気を立ち上らせるのは、意外にも王道ど真ん中の料理だ。定食屋でもお馴染みの味、すなわち生姜焼き。どんな変化球が飛んでくるか気を揉んでいたのがバカらしくなってくるような気さえする。


「……神様、料理できたんですね」


「その言い方だと嫌味にしか聞こえないけど、実際スキルでは間違いなく負けてるから何も言わないでおくよ。ささ、召し上がれ」


 自称神様に流されるがまま、いただきますと呟いて料理を口に運ぶ。普通なのは外見だけで味は酷い、という想像も良い方向に裏切られ、どこか懐かしいような味が口の中に広がった。

 昨日何も口にしていなかったせいか、自分でも驚くほどに箸が進む。ふと我に返った時には、盛り付けた白米はすでにその半分ほどがなくなっていた。


「そこはかとなくとんでもないことを考えてるよね、君。食べるだけの神様だと思われてるのはそれなりに心外なんだけど」


「別に、今までの行動を見る限りでそう思っただけです」


 沈んだ気分のまま、半ば上の空でそう切り返す。対する自称神様は私の雑な答えにも取り合うことなく、はやくも二杯目のご飯を盛り付けに席を立っていた。


「……ここは天国なんですか?」


「仮にそうだとしたら、君は随分と破格の待遇を受けてることになるね。記憶引継ぎ可でルート分岐可能な天国とか、なかなかのVIP待遇だよ」


 ずっと尋ねたかった本質に迫る問いも、茶化すような口調で煙に巻かれてしまう。こちらを振り向くことすらない自称神様のその答えは、あらかじめ用意してきたのかと思えるほどにスムーズだった。


「私は、どうすればよかったんでしょうか」


 だから。締め方の甘い蛇口から漏れ出したようなその言葉も、きっと茶化されるのだろうと思っていた。


「それを答えられる権利は僕にはないし、仮に答えたとしてどうすることもできないよ。ベタなことを言うようだけど、どうやったって過去は変えられないし、変えちゃいけない。僕たちですらね」


「じゃあ――」


「だから、強いて言うなら君はこう質問するべきだ。『私はどうすればいいのか』ってね」


 振り向いた自称神様は、手に持ったしゃもじをくるりと回してこちらに突きつける。行儀の悪い行為だと知っていても、それを咎めるだけの余裕は今の私には到底ない。


「君には選択する権利がある。このまま徹底して目を背け続けるのもいいし、目を見開いて正面から向き合うのもいい。どちらにせよ、その権利は君だけが持っているものだ」


「……っ、無理です。私は」


 私は。そのあとに続く言葉すら、飲み込んでしまう自分の何と醜いことだろう。

 どうすればいいかなんて、こうしている今でもきっとわかっている。それでも、と言い訳を並べる私自身の弱さに、いい加減に嫌気が差す。


「本当に無理な人間なら、どだいこんな場所に来ることはないさ。心配しなくても、君の感じてる痛みは間違いなんかじゃない」


 子供の間違いを諭すような、小学校の先生のような優しい口調で。手元のカードを丁寧に繰るマジシャンのごとく、神様は言葉を私の前に並べていく。


「痛いのも、苦しいのも、その気になれば目を逸らすことだってできたはずだ。でも、君はそうしなかった。つまりはそういうことだよ」


「……こんなの、私のわがままでしかないんです。あの時あの場で、何もできなかったのは私なのに。今更何かを言う権利なんて、あるはずがない」


「そうかな?僕から見れば、彼女も大概だと思うけどね。いきなり君を連れ出して、自分の答えだけを思う存分吐き出して。そりゃ、言ってる方は気楽でいいかもしれないけど、前触れもなくそんなことを言われる身にもなれって話だよ」


「そんなものじゃありません。彼女は――」


 その言い方が、あまりにも彼女を侮辱しているように聞こえたから。見え透いた挑発じみたものだと分かっているのに、それでもなお反駁してしまう。


「そう。そんなものじゃないんだ。あの時追い詰められていた彼女の心情も、今君が抱え込んでいるその気持ちの重さも。端から見ればわがままに映るかもしれないけど、当人からすればあまりにも重い」


 喉の奥から反射的に飛び出しただけの、幼稚な感情論。反論とすら呼べないそれなど最初から予想の範疇だとでも言うように、神様は私の言葉から新たな枝を継ぐ。


「だから、君も思う存分吐き出せばいい。懺悔も悔恨も全部、彼女にぶつけてやればいい。君にはその権利があるし、彼女にはそれを聞き届ける義務がある」


 穏やかな声音から放たれる、包み込むような言葉のひとつひとつが。どこまでも優しく、どこまでも残酷に、私の逃げ道を丹念に潰していく。


「……遅くはないんでしょうか。もう全部終わってしまったことなのに、未練がましくそれを持ち出すなんて」


「遅いだろうね。でも、今こうしている限り、君の時計は止まったままだ。時計が動かなきゃ、そもそも遅いも早いもない。そうだろう?」


 全てを知っているふうな目前の神様は、あくまでもただ微笑んでいるだけ。そこに強制の意思はなく、もとより全ての判断は私に委ねられている。

 だからこそ、今この瞬間に私は悟ってしまった。


 私の前にあった逃げ道はもう、全て取り払われてしまったのだと。


 先延ばしにできる逃げ道を、ずっと探し続けていた。怯えた小動物のように、逃げ込んだ道の奥でがたがたと震えては、それが崩されるや否や新しい逃げ道を探す。そんな自分を厭悪しながらも、気づけば逃げ道に走る自分が、何よりもおぞましくてたまらなかった。

 でも、もうそんな言い訳も通用しない。

 目前に広がっていた靄は消え、行き止まりの標識がない道はたったひとつしかない。単純なことこの上ない答え合わせだからこそ、言い訳なんてものができるはずもない。


「……神様は、どうして私を助けてくれるんですか」


「なにも助けてるわけじゃないさ。横断歩道の途中で立ち止まってる人がいたら、普通に迷惑だし危ないだろう?だからこうして、真ん中の安全地帯に連れてきてるのさ」


「……交差点の真ん中なんですか、ここ」


 あまりに予想外の表現に小さく吹き出すと、釣られたのか自称神様もニヤリと笑う。今までとは感じが違う、外見年齢に相応しいその笑い方に、ある種の新鮮さを覚えた気がした。


「元来た方向に戻るか、それとも残り半分の横断歩道を渡りきるか。僕がすべきなのは交通整理であって、君の足の向く先を決めることじゃない。でも、君がそこから動くきっかけくらいは作れなきゃ、整理員としても失格だってことだよ」


 きっかけ。神様のその言葉を、ゆっくりと反芻するように繰り返す。

 答えを出すのは君であって僕じゃない。この世界に来た最初からずっと、神様が一貫して言い続けてきたことだ。

 だから、決めるのは私でなければならない。神様が役割を果たしたのと同じように、私にもやらなければならないことがある。


「……神様って、本当に神様だったんですね」


「経歴詐称してたと思われてたの、僕?割と真面目に心外なんだけど。神様らしい振る舞いとか、それなりにしてきたはずだよ?」


「人の家に上がり込んでご飯の無心する神様とか、どこがらしいんですか」


 いつか見たようなやり取りを繰り返しながら、止まっていた箸を口に運ぶ。心なしか冷めた生姜焼きは固かったけれど、それでも手が止まらないくらいには美味しかった。


「――ごちそうさまでした」


「おや、もういいのかな?まだもう少し時間はあるけど、僕と談笑していくつもりはないのかい?」


「いえ。これ以上ここにいると、今度はこの場所に未練が残りそうですから」


 そうか、と満足げに笑った自称神様の顔は、心なしか晴れやかで。その顔を胸の奥に焼き付けて、一思いに食卓から立ち上がる。

 いつかきっと、この決断を後悔する時が来るのかもしれない。後悔しない、なんて言い切るには、私はあまりにも弱い人間だ。


「お粗末様でした。外はまだ降ってそうだけど、傘はどうする?持ってなければ僕のを使ってもいいよ?」


「いえ、大丈夫です。このくらいなら濡れても構いません」


 それでも。この世界はきっと私の中に、いつまでも変わらない事実として残るのだろう。

 今の私には、それだけで十分すぎると思えた。


「ああ、そういえば君がこの間買っていた文庫本だけど。実はあれ、結末はもう1パターンあったんだよね」


「逆に2パターンしかなかったんですか、あれ」


「まあまあ、そう言わずに。偶然か必然か知らないけど、君があっちの方を選んだことにも意味はあったってことさ」


 玄関口で明かされた衝撃の事実に、呆れたような視線を返す。靴紐を結ぶ手を止めない私も私だけど、全く懲りていない様子で舌を出す自称神様の方もそれはそれで大概だと思う。


「それじゃ、ここでお別れだ。縁があったらまた会えるかもしれないけど、それも当分先の話になりそうだね」


「ええ。叶うなら、もう戻ってきたくはありませんけどね」


「酷い物言いだなあ……ま、来ようと思って来られるところでもないんだし、それくらいの心構えがちょうど良いものさ」


 それじゃ、と。帰り道で別れる小学生のような気軽さで、自称神様は手を振って私を送り出す。どこまでも重さを感じさせないその仕草にある種の安堵を覚えつつ、軋む扉をゆっくりと押し出した。

 吹き抜けた肌を撫でる風とともに、湿った匂いが鼻腔をくすぐる。伸ばした掌に落ちた雨粒は、思ったよりも暖かかった。


「止みそうだね、雨」


 背後で誰かが、そう呟いた気がして。

 その声に我知らず口元を緩めながら、小さな一歩を踏み出した。

お付き合いいただきありがとうございました。この短編はここで終了となります。感想や評価等、送っていただけるととても喜びます。

また、長編の方もこのサイトで連載しているので、覗き見していただけるとこの上なく喜んで舞い上がります。よろしくお願いします。


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