腹黒伯爵は本当のことを言わない
「お嬢様、いい加減になさったらどうなんですか?」
乳母のマーヤが部屋に篭り切っているサラに声をかけた。しかし、いいえ、まだ行かないわ、とサラのにべもない断りの返事が聞こえる。
はあ、とため息をついたマーヤはシーズンはじめの出来事を思い出していた。
「君との婚約は破棄させてもらうよ」
夕暮れの伯爵邸。
いくら没落しかけているとはいえども、格下の伯爵が公爵令嬢を呼びつけるなど、普通ではありえない。
すでに侍女たちは暇をだしているため、サラについてきているのは乳母のマーヤと執事のグレイ。サラ自身は来なくてもいい、と言ったものの、とても不安に感じた二人は強引についてきた。案の定、目の前の伯爵、サミュエル・リュヴェールはしかめっ面しながらそう宣言した。
黒髪黒目のサミュエルは周りから黒の死神と呼ばれており、事実、先の財政改革では自らが貴族でありながら、多くの貴族の特権を剥奪した人物で、サラの実家が没落するきっかけにもなった。
では、なぜ自分たちが没落した原因であるサミュエルとサラの婚約を両親は許可したのか。
それはサラの実家であるルーエル公爵家が建国当初からの家であり、一人娘しかいないため、次の世代への血筋を途絶えさせてはならないと、国王からの紹介によるものだった。
それなのに。
何回か夜会にも参加しているので、すでに二人が婚約者であることは周知されており、サミュエルもまんざらではなさそうな様子だったのに。
「なぜ、ですの? なにか私に公爵令嬢として、足りない部分でもございましたの?」
金髪碧眼のサラは昔から、『ルーエルの天使』としてチヤホヤされているぐらいには顔立ちは整っているし、それなりにきちんとマナーだって学んで、実践しているから『完璧な令嬢』として社交界では有名だ。
だからこそ悔しかったのだ。
「ええ。あります」
彼女の質問にサミュエルは即答した。
その言葉にあ然としたサラ、一方のグレイは怒りでサミュエルにつかみかかろうとするのを、マーヤに止められていた気配に気づいた。
続けて彼になにが足りないと言われるのか、ドキドキしていたが、彼は何も言わず、
「それが何かは自分で考えてみてください。シーズン終わりの夜会までに答えることができたら、この話は撤回してもいい」
ただ、そう宣言した。
サラはその言葉に呆然とし、マーヤとグレイはいくらなんでも、と叫んだが、サミュエルは一切、取りあわず、出て行きなさい、と命令した。
なかば追い出されるように伯爵邸から帰ってきたサラは自室に引きこもり、自分の欠点を探し始めた。
サラの両親に事の次第を報告したマーヤとグレイは、サラに欠点なんかありませんよ、と言ってはみたものの、いえ、サミュエル様があるとおっしゃっているのであれば、必ずどこかにあるのです、と言ってきかなかった。
一方、報告されたサラの両親はサミュエルの仕打ちに対して『あのリュヴェール伯爵がそう言うのならばそうなんじゃないのか』と、のほほんと言っているぐらいには怒ることもせず、サラの様子を見ても『まあ、あの子ならば死ぬこともないんじゃない?』とばかりにサラのことを放置していた。むろん、娘のことがどうでもいい、という訳でもなく、昔から一度気になったことがあれば、とことん突き詰める性格をしてる、というのを知っているからの判断であった。
両親の想像通り、サラは自殺することもせずにただひたすらに自分の欠点を探し出すために自分の性格をノートに書き連ねていた。
朝起きてから夜寝るまで、食事と入浴の時間以外はずっと。
部屋から一歩も出ず、好きな茶会にも夜会にも参加しない様子を見て、マーヤもグレイも心配していたが、サラの両親に好きにさせておけと言われていたので、そのままにしていたのだが。
もう限界だった。
そう、今日がその夜会の当日なのだ。
すでに社交界では二人が婚約破棄した、ということやサラ・ルーエル公爵令嬢が何かしらの欠点を抱えている、ということが広まっていた。
しかし、サラはいまだ自分の欠点を探し出せてないらしく、準備の時間が迫っているのにもかかわらず、誰も部屋に立ち入らせなかった。
「お嬢様、もうお仕度の時間でございますよ」
マーヤの悲痛な呼びかけにもいいえ、まだ見つけられてないわ、欠席の連絡して頂戴、と部屋の中から声が聞こえてきた。
その後も何度かマーヤが声をかけたが、サラの答えは変わらない。
どうしましょう、と両親に助けを求めに行こうとしたが、突然、玄関が騒がしくなった。
慌ててマーヤが玄関に向かうと、そこには準備万端の姿でサミュエルが立っていた。
「なんですの、あなたは」
愛しいお嬢様に婚約破棄を突きつけた男にマーヤが声を荒げると、にっこりと笑ってサミュエルは尋ねた。
「まだ、自分の欠点を見つけられてないようだね?」
彼はそんなサラを見にきたようだ。
通しませんよ、と叫んだマーヤだが、ちょうど良かったわ、という声が聞こえてきた。
「――――っ、お嬢様」
「やあ、可愛いサラ。久しぶりだね」
悲痛なマーヤの叫びに以前と変わらないサミュエルの声。
つかつかとサミュエルとマーヤの近くまで来ると、
「ねぇ、あなたに言われていたことを一生懸命、探してみたの」
と、直球で言った。
サラの言葉にそうみたいだねぇ、と頭を撫でるサミュエル。
その仕草も以前と分からない優しさがこもっていた。
「でも、私には自分の欠点が分からなかったの。だから、あなたとの婚約は破棄で構わないわ。そのかわり、次の婚約のためにもその欠点を教えて欲しいわ」
彼女はまつげを伏せながらそう頼み込んだ。
しかし、サミュエルは首を振る。
「いいや、君の欠点は僕が教えてしまっては意味がない。だから、今まで通り婚約は続けさせてもらうよ」
彼の言葉にサラは首を傾げた。
だって、彼はあの時、婚約破棄すると言わなかったっけ?
「ふふ。どうやら君は勘違いしているかもしれないけれど、僕は一言もこの場で破棄する、とは言ってないよ」
サミュエルの言葉にそんな、と慌てたのはマーヤ。
彼はさらに笑顔で続けた。
「それに、君との婚約は陛下のお膳立てもある。だから、僕一人で婚約破棄なんてできやしないさ」
その言葉にサラは呆然とした。
なぜ、そのことに最初に気づかなかったのだろうか。
マーヤも悲痛な表情をしている。
「では、どうお嬢様の名誉を回復してくださるんですか?」
そうだ。
確かにマーヤはどこからか、サラが婚約破棄された、という噂を拾ってきていた。
しかも、サラに欠点があるように。
「今日、僕と一緒に夜会に出てくれれば、その噂も消えるよ」
そんなマーヤの請願に、軽く言いのけたサミュエル。よほど自信があるのだろう。
さあ、早く準備しておいで、と彼が言うと、マーヤがかしこまりました、とサラの手を引いて、部屋に連れて戻った。
すでに夜会の準備はしてあったのか、マーヤは手際良くサラを着替えさせ、化粧を施した。
小物までつけ終わったサラが玄関まで戻ると、両親とサミュエルが和やかに懇談しているのに気づいた。
部屋に篭りきりだったサラはともかく、マーヤはあのとき、サラの両親が怒ることもしなかったのを覚えてはいたものの、実際にこのように和やかに話している姿を見ると、驚きを隠せなかった。
お待たせしました、とサラが声をかけると、今日も可愛らしいね、とサミュエルは甘い声で褒めてくれた。
「では、行ってまいります」
両親にそう挨拶し、サミュエルとともに馬車に乗り込んだ。
当然ながらこれも貧乏公爵家のものではなく、サミュエルの持ち物である。
しかし、何回もサラはこの馬車に乗せてもらっており、久しぶりの感覚を味わっていた。
「ねぇ」
馬車が走り出してから、サラはサミュエルに気になったことを尋ねた。
「なんでしょう」
彼はようやく質問がきました、とばかりに歓迎の表情をした。
「そういえば、あなたはどうして断らなかったの? 私との婚約は本当は嫌だったのではなくて?」
ずっと気になっていたが、今までは聞けなかったこと。けれども、ようやく聞けた。
婚約したときは相手が黒の死神ということに驚き、そして、自分の家を没落させた人物ということで、あまり尋ねられる精神的な余裕がなかった。婚約者として付き合っているときも、彼に尋ねる勇気がなかった。
先ほどサミュエルが婚約破棄していない、と言ったときにようやくそれを尋ねられる勇気がようやく出たのだ。
すると、サミュエルはまさか、と肩を竦めた。
「君は社交界で『完璧な令嬢』として名高かったから、いつか、君の隣に立ちたい、と思ってた。だけれど、当然、僕の身分では高嶺の花の存在だったから、結婚を申し込むことができなかった。そんなところに転がり込んできたのが、君の家の貧乏生活の噂。まあ、僕の改革が原因でもあるから、あまり強くは言えなかったけど、陛下が是非にもと言ってくれたから、ついでとばかりに婚約の話を進めたんだ」
そういう君はどうなのかい? と彼はサラに尋ねる。
君は僕との婚約は嫌だったのでは?
そう尋ねるサミュエルの瞳はどこか悲しげだ。
サラは考え込んだ。
もちろん、実家の貧乏の原因になった人物、ということで警戒はしたし、心を最初は許す気にならなかった。
だけれども、何回も会っているうちに彼がただの切れ者ではないことを知っている。
彼の領地の特産品であるブドウの収穫を農民とする姿は、どこかお茶目だったのを覚えている。
「いいえ、嫌ではなかったわ」
きっぱりと断言すると、サミュエルの瞳に光が戻る。
「そりゃあ、あなたが私の婚約者としてきたときはびっくりしたわ。でも、何回か話しているうちに、どうしてあなたが財政改革を行ったのか、理解できた。それにあなたがただの一地方の伯爵で済んでないのか、よく理解できたわ」
その言葉を聞いたサミュエルは突然、サラの両肩をつかんだ。
「ちょっ――――」
突然の行動に驚きの声を上げるが、サミュエルはそのままサラを抱いた。
「君に足りてなかったのはそれだよ、サラ・ルーエン公爵令嬢」
サラはサミュエルの言葉にはぁ!? と叫ぶ。
「私に足りてなかったのがそれって、あなたは馬鹿じゃないのですか?」
足りてない、と言われれば、知識やマナーのことだと誰でも思うだろう。それなのに、サミュエルへの想いが足りてない、というのだから、馬鹿しゃないのか、というしかないだろう。だけども、サミュエルは平然とした顔でそんなことないさ、という。
「言っただろう? 僕は君のことをずっと求めていたって。でも、君には僕との結婚をただの政略結婚としか見られてないのに気付いてたさ。今まで君の口から僕に対しての想いを一切、聞いたことないからね」
だから、と言って続ける。
「君の口から好き、という言葉を聞かない限りは、君との結婚はしても意味がない気がしてね」
彼の告白になによ、と少し気の抜けた返事を返すサラ。
「だったら直接、尋ねてくれれば良かったじゃないの」
呆れ気味言うが、サミュエルはそれはどうかな、と言う。
「僕が聞いたって多分、君は素直に答えてくれないじゃないか。そうだろ?」
サラはその通りだったので、ぐうの音も出なかった。
ちょうどそのとき、馬車が止まった。
「さあ、お手をどうぞ、レディ」
先に馬車から降りたサミュエルが手を差し出す。
「ええ。さあ、行きましょう。そして、謎と誤解を解きましょう、未来の旦那様」
応えるようにサラもしっかりと彼の手を握る。
もちろんさ、そうニヤッと笑って彼女をエスコートするサミュエル。
二人の到着を告げる声が聞こえてきた。
『完璧な令嬢』と『黒の死神』のカップルは、その日から『謎と誤解を解く使者』として有名となるが、それはまた、別の話。
おしまい。




