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7月23日上 葬儀

 夕立が止んだ頃、辺りは少しばかり暗くなっていた。風も出てきたようだ。制服の袖口やスカートから夜の冷たい風が入ってくる。とても心地が良い。昼間はあんなにうるさかった蝉の声はあまり聞こえなかった。彼らも寝るのだろうか。


 もうそろそろ良いだろうと、私は受付の席から立ち上がった。お母さんに言われた通り、玄関に設けられた提灯にマッチで火を灯そうとした。


 ところがマッチ箱の側面に擦っても擦っても中々うまくいかない。2本失敗してやっと蝋燭に点けることが出来た。消さないようにおそるおそる、それを中に入れる。


 玄関先がポッと明るくなった。それに「忌中」の文字がはっきり映る。でもそれを見ていると段々とぼやけてしまう。あれ?と思って気が付くと、目に涙が溜まっていた。この文字が、こんな日が来てしまった辛さを心にのしかけてくる。


 ほんのりと照らされた、誰もいない村の集会場の入り口。ここで思いっきり泣いてしまおうか。


「お姉ちゃん」


 呼ばれた先を見てみると、花実が真っ黒な服を着てそこに立っていた。瞼の周りを真っ赤にして、泣き止んだばかりなのが誰でも分かった。私は眠たそうに目を擦るふりをして、さりげなく涙を拭いた。


「もう始まってるよ。入ろう」


と言って、私は手を差し出した。花実は素直にその手を握る。弱々しく、こちらがしっかり握ってないと離れてしまう。私はもう泣かない。花実の手をぎゅっと握った。


 障子を開けた瞬間、線香の匂いがブワッと香ってくる。入ってきた私たちに反応さえしない部屋中では読経と木魚が響いていた。私たちは真っ黒な人の間を縫って、静かにおばあちゃんたちの近くに坐った。


「全員いらしたかい?」


と、おばあちゃんが尋ねてきた。私は頷いた。


「そう、良かった」


と、おばあちゃんも小さく頷いた。島民96名。老若男女問わず、全員がここにいる。


 葬式は滞りなく進む。読経の後には世話人のお父さんと私の高校の教頭先生みたいにもう一つ威厳が無い村長、そして村長よりも顔が広い坂じいが弔辞を読み上げた。


 実は私達姉妹もやってみないかと、2日ほど前に言われていた。


 でも断ってしまった。妹はそんな状態じゃなかったし、私はそういうのが苦手だ。部屋の中で試しに書いてみたけれど、書いた瞬間にどんな文字もウソに変わった。混乱しているのか、もしくは単純に文章力が無いせいなのか。私は数枚の紙切れをゴミ箱に放り投げて諦めたのだった。


 香織さんに送る言葉は今でも見つからない。


 3人の弔辞は無機質なものだった。香織さんにろくに会ったことも無かった村長と坂じいのものは、村人を代表してしょうがなく読んでいます、なんて感じだ。これはしょうがない。でも唯一付き合いがあったお父さんが読んだものもなんとも当たり障りのない、もっと言えばどっかの本からそのまま写してきたようなガッカリものだった。ほんの少しばかりの希望を抱いて聞いてみた私がバカみたいだ。


 視線を聴衆にずらすと、こちらも神妙に聞いている『ふり』をしているのは丸わかりで、まだ小学校に入学していない和君なんかはうとうとと体を前後に揺らしている。気持ちは分かると思う反面、やっぱりムッとしてしまう。


 焼香が始まる。私の前に祈ったおばあちゃんは花実を教えながらちょっと祈って、おしまい。お母さんやお父さんもそうだった。おばあちゃんのタイミングに合わせるしかなかった花実は、未練そうに席に戻ってきた。


 せめて私だけはしっかり弔おう。焼香台の前に坐って、まず康男さんに礼をした。口を真一文字に結んだ康男さんは深々と礼を返してくれた。大丈夫だろうか。ちょっと心配しながらお香をつまんで礼をして落とす。そしてじっくりと手を合わせ始める。他の人の分まで祈らないと、と時間をかけて祈ろうとした。


 しかしちょっとも立たない間にお母さんから袖を引かれ、強制的に席に戻されてしまった。席に戻った時、お母さんの小言を聞いた。


「後がつかえているから」


 本当になんなの!私は膝の上でグッと拳を握りしめて、沸騰するように湧き上がる怒りを必死に抑えた。主役は私たちではない!

 私の後ろからは案の定、機械のように手を合わせる人しかいない。いくら多くの人がいたって、まったくの無意味だ。最後の方では怒りを通り越してむなしさを感じていた。これでは香織さんが可哀そうだ。

 こうして流れ作業的に進んだ葬式は最後のステップに移った。康男さんは音も無く立ち上がり、喪主としてお礼の言葉を述べ始めた。


「島民の皆さま。この度は私の妻の葬儀にご出席頂き、誠にありがとうございました。まだ今年の六月にこちらに引っ越してきてあまり面識のない方も大勢いる中、全員ご参加頂けたこと、深く感謝申し上げます」


 康男さんは体を折り曲げて頭を下げる。偽りのない素直な気持ちが良く表れていた。


 続けて康男さんは、私も初めて聞く話を始める。私たちが聞いても詳しく教えてくれなかった、この島に来た理由だった。


「妻は癌でした。それも肺のです。医者からは『一か月も持たない』と宣告されました。それが五月の終わり頃だったと記憶しております。妻が『息が苦しい』と言って病院に駆け込んだ時、検査後に言われました。本当に頭が真っ白になりました。それを聞いた途端に足ががくがく震えてしまって、情けない話です。でもその時、一緒になって聞いていた妻は『どうしようか』といつもの調子で私に話しかけてくれました。正直、嬉しかったです。ところが助かった気持ちで妻を見ると泣き出しそうな表情を浮かべていました。その表情は今でも目に焼き付いています」


 香織さんも泣くんだな。不思議でもなんでも無いことなのだけど、私には想像がつかなかった。


「私達には身寄りはありませんでした。二人とも知り合った時にはすでに天涯孤独で、だからこそ惹かれあったのかもしれません。そんな私達には夢がありました。それは南の島で大勢の子供たちに囲まれて暮らすことです。暖かいところで幸せになろうと。もう妻にはその時間がありませんでしたが、何とか南の島で暮らす夢は叶えさせてあげたい。私はそう思い立ってこの島に来ました」


 康男さんの身体が小刻みに震える。気が付くと、関心が無かった皆もその話を真剣に聞き始めていた。


「それから二か月。妻は精いっぱい、本当に頑張って生きました。そして穏やかな気持ちのままあの世に旅立ったのだと感じています。それも全てこの島のおかげです。この島の人たちのおかげです。ここで眠る妻の顔を見ていると、僕たちは本当に……ホントに……幸せだったと……」


 言い切ることなく康男さんは目元を手のひらで押さえた。手で隠れた顔からは嗚咽が聞こえてくる。それを見る何人かも目をハンカチで押さえた。そして私の目からも涙がこぼれる。さっきまでのもやもやとした気持ちは消えていた。


 香織さんは幸せ者だ。


 ――*――


 本当に良い顔をしている。化粧を施された香織さんの顔をまじまじと見つめる私。ここまで近くで見たことは無かったな。私の隣で花実も見ている。お棺の窓から視線を中々そらすことが出来ないようだった。死んでも綺麗っていうのはちょっとずるい。


 周りを見てみると、座布団を片づけたり靴に履き替えたりなど、皆せわしなくバタバタと動いている。そしてすぐ後ろでは世話人の坂じいとお父さん、そして康男さんが会話していた。この葬式を運営した三人だ。康男さんが二人に謝っている。


「見苦しいところをお見せして、すみませんでした」


「いやなに、儂も二年前に婆さんを失くしましてな。あんたの気持ちはよく分かるよ」


「しかもあんなに若くして亡くなったのだからよっぽど悲しいことでしょう」


と、坂じいとお父さんが康男さんを慰めていた。あの後、続けることが出来なかった康男さんの代わりに二人が葬式を締めたのだった。そういうことも含めて、康男さんは改めて二人にお礼を言う。


「この度は本当にありがとうございました。何から何までお任せして、こんなに盛大に弔ってもらいました。妻も本当に喜んでいると思います」


「『冠婚葬祭は全員参加』というのはこの島のしきたりでしてな。場所もこの集会場と決まって。まあお互い様ってことだな」


「ところでお骨は海に、でよろしいのですか?」


「はい。先ほども言った通り、実家も墓も無い身の上ですから。それに妻はこの島が好きでした。この近くの海で眠らせてやるのが一番でしょう」


 お父さんと坂じいは微笑みながら頷いた。傍で聞いた私もほっこりとした気持ちになる。やっぱり自分たちの島を好きだって言ってくれるのはうれしい。


「よっしゃ!儂の船に乗せてあげようかい。そこで海にまきなさい」


「ありがとうございます!」


 康男さんは深々と頭を下げた。話はこれで一段落したようだ。私たちも準備をしなければならない。まだじっと香織さんを見ていた花実を促して立たせた。


 そして坂じいが立ち上がりながら、にんまりと笑ってこう言うのだった。


「じゃあ、食べようかい」


文字数の関係で、グロテスクなシーンは次話となりました。

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