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8月30日 目玉

 夏休みも明日で終わりだ。


 遊ぶ場所も無い島に飽き飽きしていた私にとっては良かったけど、夢中になって海で遊んでいた隣の小学生はカレンダーとにらめっこしていた。あんなに真っ黒になっているのに、まだまだ遊び足りないのだろうか。でも結局はカレンダーの29の数字まで書かれたバツの数が減らないことにため息をつく。それが花実にとって、ここ一週間の習慣になっていた。


「由美子」


と、台所にいるお母さんから呼ぶ声がする。そのイントネーションにピクッと勘が働いた。あれは何か頼むときの声だな。こんな暑い中に放り投げだされるのはたまらない。私は知らん顔をして雑誌に夢中になっているふりをしてみた。


 ところが誰かがばさりと私の雑誌を奪った。ニヤッと笑う花実が私の顔を覗き込んでいた。


「お姉ちゃん、お母さんが呼んでるよ」


 花実もお母さんの声の意図に気が付いているらしい。自分が頼まれないようにとか、姉に意地悪してやろうと考えてやったのだろう。でもやっぱりムカッとする。取られた雑誌を奪い返そうと花実を捕まえにかかった。


「こら!花実!」


「由美子、いるんでしょ」


 追いかけようとしたら、台所から出てきたお母さんの後ろに隠れてしまった。ベーと舌を出す花実。後で絶対に仕返ししてやる!


 だけど今はどうしようもない。しぶしぶお母さんの頼みを聞くことにした。


「まったく……で、なに?」


「お隣に回覧板持って行ってほしいのよ。お母さん、ちょうど夕飯作っているから」


「そのくらい花実に……あ、そうか」


「そういうことよ」


 これが以心伝心というものだろうか。なんとなくお母さんの言わんとしていることが分かった。


 別に花実が幼すぎると言っている訳では無い。問題は『お隣』だった。


 お隣とは言っても二百メートルほど離れた所に建っている福山さんの家は現在、島の人たちにとってちょっと寄り付きがたい場所になっている。


 元々今年に島に越してきた人ということもあったが、奥さんの香織さんが亡くなってから夫の康男さんの様子がおかしい。お葬式の後外を歩く姿は見ないし、イベントにも全く参加しなくなってしまった。お盆に行う島のお祭りにも顔を出さなかった。


 よほど奥さんが亡くなったことがショックなのだろう、と優しく見守る人もいる。


 けれど島の年寄の中には島の人全員が参加するお祭りに一人だけ参加しなかったことに怒っている人もいて、あまり表だって仲よくすることが出来ない。そんな状況だ。


 でもそれはまだ表面上の話。隣の私たちはもっと変になっていることを知っている。時々康男さんが家の中で大きな怒鳴り声を上げているのが聞こえ、窓には変な文字(花実は呪文と言っているが)を書いた紙を張っていた。


 そして一週間前にふと庭をのぞいてみると、香織さんが使っていた車いすが無残に横倒しになって放置されていた。これは本当に驚いた。


 いよいよおかしいぞ、という確信を家族全員が持った。ただ注意するのも怖い。大体、他人の家のことに干渉していいのだろうか。


 そんな躊躇いからまだ我が家は態度を決めかねていた。


 しかしともかく花実を近づけるのは危険だ。お母さんも私もはっきり言わないが考えは一致している。それをここで改めて確認した形になった。


「分かった。行ってくる」


「お願いね」


 渡された回覧板を左手に持ち、のろのろと玄関に向かった。そうは言ってもやっぱり面倒だ。


「よろしくね!」


 花実が私に声をかけてくる。どうせお母さんの背中に隠れながらいたずらに成功したような顔で言っているのだろう。私は靴を履きながら、帰ったら必ずとっちめてやることを心に決めた。


 ――*――


 家の外を一歩出ると、灼熱の空気に包みこまれた。うっと思わず息を止める。この空気をいきなり吸うのは危険じゃないかと、クーラーに慣れた体がそう叫んでいる。よくもまあ、こんな中で作業出来るなあ、なんてお父さんのことを感心した。尊敬と言うよりは呆れている?


 そういえば今は夏では無いという。四季の中ではもう秋なんだと。そんなことをおばあちゃんが言っていたが、改めて思う。そんなのウソでしょ。


 二百メートルが異常に長く感じる。歩くたびにぺたぺたと鳴るサンダルの底がコンクリートにくっつかないか心配になった。海から吹いてくる風はちょっとばかし涼しいのだけど、効果も無く汗がだらだら流れ始める。蝉がうるさい。


 やっとのことで福山家に辿りついた。チャイムを押したくはないので、回覧板はポストに入れておいた。どうせこのままなんだろうな。先々週もそうだったし。すぐに帰ろうとしたが、角を曲がったところにちょうど涼しそうな木陰があった。少しだけ入って休むことにした。


 木の根元に坐って息をつく。さすがに日陰は涼しかった。顔の横を流れている汗を手でぬぐう。葉の隙間から零れる光を見つめながら、そういえば、とふと思い出した。


(福山さんたちに初めて会ったのはこの近くだったな)


 確か六月の頭だった。珍しく晴れた日に、果樹園で作業をしていたお父さんとその手伝いをしていた私に声をかけてくれた。隣に引っ越してきた東京出身の人だった。


 都会の人らしく白い肌と優しい顔つきをした康男さん。大半が真っ赤に日焼けしている島の人とは違うそんな姿も珍しかったが、もっと目が釘付けになったのは車いすに座っていた香織さんの方だった。水色のワンピースに縁の広い白い帽子。透き通るほど白い肌に大きな瞳。こちらを見つめる穏やかな表情。まるで映画のワンシーンのようだった。感動さえしたことを良く覚えている。


 それから良く遊びに行ってはおしゃべりした。花実と一緒になって香織さんの膝元でお話を聞いていた。都会での暮らしのこと、東京の大学のこと、そして康男さんとの馴れ初めのことなど、質問したことになんでも答えてくれた。さすがに馴れ初め話は恥ずかしがっていたけど、その様子がまたなんとも可愛らしかった。


 少しの間だったけど、いつも朗らかに笑っていた彼女は私の先生であり、お姉さんでもあり、そして憧れの人だった。


 その頃は康男さんもまだ親しみやすくて、立ち上がれない香織さんの代わりに必ずお菓子を用意してくれたりした。どちらかと言えば無口な人だったけど優しいのはよく分かったし、香織さんとは本当に仲が良いという印象をいつも受けていた。花実も「ベストカップル」って言ってたっけな。心の中に浮ぶ二人の姿はいつも微笑み合っている。


 あれからもう一か月が経ってしまった。もう香織さんはこの世にいない。それを思うと急に蝉が鳴く音がむなしく聞こえてしまう。不思議だ。


 ひとしきり休んでから、グッと腰を上げた。のんびりし過ぎたかもしれない。心配される前に早く帰らないと、と歩き始めようとした。


 その時だった。私はギャッと悲鳴を上げそうになった。


 福山家の前にある電柱に付けられていた反射鏡から、私を見つめる目玉が福山家の窓から覗いているのが見えたのだった。肌がぞわぞわっとして寒気がする。


 このまま無視して逃げようか。でも自分のことを覗かれていたことへの怒りと怖いもの見たさの好奇心が私の中で湧き上がった。ダダダと駆け寄ってその窓を睨むように見た。


 その途端、康男さんらしき男はその窓から姿を消した。拍子抜けだった。もっとも安心したけど。


 それにしても様子がおかしい。私のことは見慣れているはずなのに、一瞬だけ見えた表情からは怯えているように見えた。坂じいとか他の強面のおじさんに怯えるのは分かる気もするけど、自分より年下の女の子を怖がるのは理解が出来ない。一体、何があったというのか?


 そんなことを考えながら道を歩いていた私は、あるビワの木が目に付いた。そういえばこれは香織さんたちや花実と一緒に収穫した木だった。もっとも車いすに座っていた香織さんはできなかったから、康男さんと私たちが収穫しているのをニコニコとして眺めていただけ。でも幸せそうだったな。


(香織さん、本当に良かったのにな)


 康男さんの今の状況を知ったらきっと悲しむに違いない。香織さんが泣いている姿は想像もしたくない。でも、どうしたらいいかな、香織さん。


 次々と頭の中に香織さんとの思い出が浮かんでくる。香織さんの笑顔が脳裏に浮かぶ。ずっと聞いていたかった心地よい声。私の髪を梳いてくれた可愛らしい手。私の悩みを全て見透かしているみたいに見つめる大きな瞳。


 病気で体全体が痩せていても、不思議と香織さんの頬はこけていなかった。病気が進行しているのが全く分からないほど、最期まできれいな人だった。


 帰り道、そんなことを思う私の眼には自然と熱いものが込み上げてしまう。ちょうど夕方だ。赤く染まった空がそんな私の心情とぴったりマッチしてくる。このままだとここで泣きじゃくってしまうだろう。早く帰らないと。


 その時、私のお腹が


「ぐう」


と大きな音を立てた。香織さんのことを思い出す。自然なことだった。


次話、閲覧注意。グロいです。

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