003.Tutorial
▼《Anti Rain Online》を起動しました。
薄く目を開くと最初に写ったのはぽつんと表示されるシステムメッセージ。ゲームだけではなく、VR対応のソフトウェアを起動すると必ずここの空間に飛ばされる。現実と仮想の境界線、メッセージ以外何もない――白の世界。
『Welcome to the Anti Rain Online!!』
最初のメッセージが自動的に消えると、青色の線が視界端から中央に向かって加速し、その色は徐々に陰鬱な黒色へ変わっていく。
そして、それが全て消え行くと、視界は一気に移り変わった。
「……っ!」
白の世界から一転、周囲は何もない真っ黒な空間だった。
これからどうするんだ、と思っている俺の前に、ぼぉ、と青白い光が放たれる。
それは少しずつ小さくなっていき、やがて一人の男性の姿へ変わったいった。
「初めまして、コード《013》。アンチレイン・オンラインにようこそ。私はチュートリアルの担当する江西だ」
「……初めまして、ゲームなのに随分とファンタジー感がないチュートリアルなんですね」
「ベータテストのみの限定版だ。正式リリースの際は改善される予定だよ。……それより、初めても構わないかな?」
「はい、お手間を取らせてすみません」
俺の即答に江西と呼ばれる男性は、少し面を食らったのか、ぱちぱちと瞳を瞬かせる。
しかし、そちらの方が都合がいいのだろう。彼は迅速に事を為し始めた。
「確か、君はゲームをやっていたのだったな。RPGはやった事あるかい?」
「はい、一応は。ただオンライン系は制限されているので、MMORPGは触れたことがありません」
「そうか。いや、そちらは問題ない。このゲームは通常のMMORPGにおけるシステムと大分異なっている」
「……というと?」
「そうだな……実際にやってもらった方が早い」
江西がぱちん、と指を叩くと、四角い薄青色のポリゴンが一つの形状を為していく。
現れたのは、今にも襲い掛かろうと唸りを上げる灰色の狼だった。
現実と仮想含めて、実際に狼を見たのは初めてだ。犬をみた事はあったのだが、それと違い骨格がしっかりしている。特に顎と脚の筋肉は発達しており、牙も鋭く野性味がある。
「この子は《ルグ・ウルフ》。序盤に出てくる雑魚MOBだが、動きが中々素早いので気を付けてくれ。……とりあえず君にはこの子を倒してもらおうかな」
江西が再びぱちん、と指を鳴らすと、俺の手に一振りの剣がジェネレートされた。
何時もの愛剣と違い、如何にもRPGでよく見る銀色の刀身に、茶色の柄と言ったものだが、手に馴染む事に変わりはない。
双眸を細め、視線の矛先をルグ・ウルフに。
体躯、目線、攻撃部位を確認。あらゆる状況を想定、右足を一歩前に出し、同時に剣尖をルグ・ウルフの体躯に淀みなく構える。
時が静止した様な感覚を破るかの如く、灰色の獣が動いた。
発達した脚を駆使して、的を絞らせぬよう左右に走る。地理が真っ黒な場所だけに、足音も全く聞こえず、切り返す際のタイミングが取り辛い。
しかし、この程度は《訓練》で慣れている。俺はこれよりもっと早い人間と戦った事があるからだ。
剣尖をルグ・ウルフから離すことなく、唯々一瞬の隙を待つ。
「グルゥゥゥ……グオオゥ!」
睨み合いに焦れたルグ・ウルフが牙を剥き出しにし、猛然と距離を詰める。
この時点で、俺は勝利を確信していた。ルグ・ウルフの左右に上体を揺らして獲物を狙う所作も、最終的には近距離まで近付き、牙、あるいは爪で攻撃するしか選択肢がない。
ならば、話は単純だ。
その動きに合わせ、この獣の柔らかい箇所を狙えばいい。
剣の切れ味は不明。あの灰色の毛を完全に断ち切れるかはわからない。なら――、
「グオオオオゥ!」
半身のまま、二歩程右にずれる。これだけで牙と爪の攻撃線上から外れた。
最小限の動きを行い、剣を持つ手を引く。柄を両手で持ち、水平に構えたそれで、相手の粘膜――つまりは目へと狙いを定める。
獣の呼吸を聞き、攻撃が外れた一瞬の隙をついて、その左眼に剣を突き刺した。
仮想の生物とは思えぬ、肉を抉る感触が手に伝わる。同時に軽き血飛沫が舞い、四肢を小刻みに震えさせては、力を失い絶命していった。
そして、パリン、と光を放ち獣が消えると、俺の目の前にシステムメッセージが現れる。
「いやあ、お見事。想像以上の動きだ、恐怖なんて微塵も感じていない。急所を狙い殺す事に躊躇ないもない。素晴らしいね」
「ゲームですから」
そう返しはしたが、恐らく現実で全く同じ事やれと言われたら、俺は今回と同様に行動へ移せるだろう。その様に《教育》され、《訓練》してきたのだから。
江西は口元を薄らと歪ませるも、本来の目的を思い出したのか、俺の目の前に表示されたシステムメッセージを指差す。
「すまない、野暮な質問だった。とりあえず、そのシステムメッセージをみてくれ。何が書いてある?」
「ええ、と……」
Congratulation! という文字が書かれた下に、幾つかの項目があった。
【獲得コル】100
【武器熟練度・剣】50
【属性熟練度】0
【EXスキル熟練度】0
どれも何となくしか意味がわからない。
俺は詳細を求めるべく、江西に視線を送る。
「確認できたようだね。上から順に説明すると、獲得コルはARO内で使用する通貨の名前だ。武器や防具、それにアイテムを揃える際に必要だから、小まめに集めるといい。次に、武器熟練度……と言いたいところだが……013、この時点で何か気付いた事はないか?」
江西に問い掛けに、俺はシステムメッセージを再度確認する。
数秒程見続けると、俺がやってきたRPGとの相違点が見えてきた。これだ、と確信し、顔を持ち上げ口を開く。
「プレイヤーの経験値項目がない、ですね」
「ご名答。流石の思考力だ」
俺はその言葉に対し露骨に不満な顔を見せるが、江西は気にせず続けた。
「AROは従来のMMORPGと違い、プレイヤー自身のレベリング制を廃止している。……これは普通のRPGにも言える事だが……基本的にはプレイヤーのレベルを上げ、モンスターやボスを倒すのがMMORPGの醍醐味だ。しかし、AROをあえてそのシステムを廃止した。上の開発者曰く、そちらの方がボスを倒した時の達成感があるから……だそうだ」
「なるほど……。つまりレベルを上げてステータスの暴力でボスを倒すのは不可能、って事ですね」
「ああ、完全にプレイヤースキル依存型だからね。それはできない。その代わりに、武器種ごとの熟練度と属性の熟練度を設けることで、そのデメリットを補っているんだ」
面白い試みだ、と素直に思う。
武器種や属性の熟練度のみならば、使えるスキルがいかに強力なモノでも、勝利出来ない可能性は十分出てくる。
後は運営が調整するMOBやボス次第だが、そこを何とかする為に俺達がテスターとしてプレイするのだろう。
「ここでようやく話が戻る。武器熟練度は文字通り使用している武器の熟練度のことだ。これは最大百が上限で、レベルを上げていくごとに強力なスキルを使えるようになる。後は……武器を装備する際に必要な熟練度が設定されていてね。例えば、君が持っている《ロングソード》は剣の必要熟練度が1なんだ、そして君の剣の武器熟練度も初期なので1。だから君はそれを装備できて使うことができる。しかし必要熟練度がそれ以下の場合だと、そもそも装備できなくなってしまう。つまりステータスの高い武器を手に入れても装備出来ない場合があるから、そこは気を付けたまえ」
さらっと言ったが、要注意点である。
プレイヤーのステータスがないなら、武器が実質ステータスのようなものだ。運よくドロップした武器が強武器だった場合、それがを装備するだけでかなりの優位に立つ。
しかし、これが設定されている限り、どんな強武器も熟練度が上がらない限り宝の持ち腐れだ。
しかも見れば【武器熟練度・剣】と表示されている。つまり、手に入れた武器が種類が合わなければ結局は装備できない。
中々シビアなゲームだ、と思いつつ、俺はさっきから気になっていた事を問い掛けることにする。
「……江西さん、一つ質問をしても?」
「ああ、構わない」
「ありがとうございます。ステータスがないと言ってもこれはMMORPGです、敵が存在する限り此方もHPが無くては成り立たない。その辺りの事と、それに付随する防御力。これは防具の値……という認識でいいのでしょうか?」
「ふふ、それなら二つじゃないかい? 013。……まあ、それはいい。それは私も言わねばならなかった事項だからね、……答えよう」
江西はぬっ、と片手を上げると、指を一つ立てる。
「HPに関しては5000値固定だ。これは全プレイヤー共通になっている。……だが、これだけ聞けば最初は楽で、最後の方は厳しい……とゲームバランスに疑問を抱くだろう。なので、此方はしっかりと救済案がある。一つ目は君がさっき触れた防具。防具には勿論、防御力を上昇する効果があるんだが、それとは別に他にも幾つか上昇するものがあってね、その一つがHP。防具は基本的に防御力とHPの二つを上昇する効果があると思ってくれ」
「なるほど……。では装備する際、武器の様な熟練度が設定されているのでしょうか?」
「いや、防具に熟練度はない。仮定の話だが、序盤に最強防具を手に入れたら、それを最初から装備できるようになっている」
「……? それこそゲームバランスが壊れそうな気がしますけど」
「はは、大丈夫だよ。……防具を最強にしたところで上昇値は決まっている。それで戦い抜ける程、このゲームは優しくない。言っただろう? 完全プレイヤースキル依存型、と。いくら最強装備で固めても、プレイヤー自身の能力が低ければ絶対に勝てない。これはそういうゲームなんだ」
「……」
プレイヤーから不満が出そうな内容だ。
まだ実際に敵と相対して難易度を確かめたわけじゃないが、江西の口ぶりからしてかなりハードなゲームだとはわかる。面白い設定ではあるが、これで人気が出るとは到底思えない。
コアなゲーマーを狙った作品なのだろうか、と思っていると、江西がシステムメッセージへと指を指した。
「もう一つはゲームをプレイして探してくれ。テスターとはいえ、情報過多は楽しみを減らすからね。……さて、質問に対しての説明はこれで終わりだ。……また話を戻すと、最後にEXスキル。この説明をしておこう。EXスキルは、チュートリアルが終わった際にランダムで設定されるスキルの事だ」
「へぇ……ランダム」
「ああ、完全にランダムだ。一回限定のソシャゲガチャのようなものだよ」
「そ、そしゃげがちゃ……?」
「……ああ。通信端末系はPC以外制限されているんだったな。これはいい、忘れてくれ」
「は、はあ……」
「簡単に言うと、ユニークスキルだ。一人一個しか持ちえない、独自のスキル。それゆえに膨大な数のスキルが存在する。例えば《天使の加護》なんてものがあるんだが、これは数秒ごとにHPが自動回復するパッシブスキルとなっていて、更にこのスキル特有の技も使用できる。これは武器種関係なく使えるから、凡庸性が非常に高い」
「自動回復に固有スキル、強い……んですよね?」
「ああ、これはかなり良い部類になる。だがこのような強力なものもあれば、びっくりするくらい弱いEXスキルもある。例えば……《ゴミ拾いの加護》。これはマップ上で落ちているゴミを拾う事の出来るスキルだ、それだけだ」
「……。…落ちているゴミがレアアイテムに変わったり、とかは」
「ない。アイテム名 《ゴミ》がストレージに格納されるだけだよ。……ああ、《上質なゴミ》とかもあったかな」
「……はは、なんですか上質なゴミって。面白いもの作りますね」
「ふふ、だろう! こういうところも凝っていてね、他にも遊び要素は……」
江西は初めて子供のように興奮し、語り始めようとしたが、少しずつ力をなくし表情も笑みを失っていった。
「いや、すまない……取り乱した」
「いえ、できれば続きのお話も聞きたかったですけど……また次の機会に。……それにしても、プレイヤーの格差が出そうなシステムですね」
「それはそうさ、その目的で実装したシステムなんだから」
「そうなんですか……?」
「ああ。現実にもあるだろう? 格差。家庭環境や顔の造り、それに生まれ持った才能。……それと同じさ、AROではそれをEXスキルという名に置き換えただけの話だよ。……まあ、ゲーム性は損なわれるけどね」
「……ですね」
一瞬、自分の〝特異性〟が頭に過った。
しかしこれは才能でもなんでもない。ただの呪いだ。それが表面的には良い方に見えるから、余計に質が悪い。
――そうした後、武器の着脱やアイテムの確認を行うメニューウィンドウの開き方、それにマップの見方等、あらかた初心者が受けるレクチャーを教えてもらい、チュートリアルは終了した。
江西は話疲れたのか、少しだけ疲労の濃い顔で吐息を零していた。
「――よし、これでチュートリアルは終わりだ。何か質問があれば応えるよ」
「いえ、特には。後は実際にプレイして確かめます」
「それがいい。プレイしていく内に大抵は覚えてしまうものだからね。……それでは、初期装備を与えよう。剣、斧、槍、弓、拳の武器種があるが……どれがいい?」
「剣で」
俺が即答すると、江西はウィンドウを操作し先程の《ロングソード》をジェネレートした。
すると、一瞬でそれは消えて、俺の背中に出現する。おそらく装備ウィンドウの項目に、《ロングソード》がセットされたのだろう。
「では最後にEXスキル……だね。本来なら設定されているところだが……せっかくだ、今回は趣向を凝らそう。ここに触れてくれるかい?」
江西が表示したウィンドウには、《Randam Select》と書かれたコマンドがあった。
俺は頷くと、少しだけ高揚感を覚えながら、そこに触れた。
《Randam Select》の文字が消え、ルーレットの様に項目が動き始める。
それは徐々に速度を落とし、静止へと進んでいく。そして――、
「――《夜宵の加護》……?」
そう書かれた場所で止まった。
名前だけではイマイチ想像できないスキル名に、俺は江西を見遣る。
「これは……面白いスキルを手に入れたね、013。使い方によってはかなり強力だ。けど……、……いや、やめておこう。ゲームにネタバレは禁物だ。後は君自身の目で確かめるといい」
具体的な説明が一切ない事に不満を覚えるも、彼の言葉は正しい。
ゲームにネタバレは禁物。後で確認する楽しみが増えたと思おう。
「はい、わかりました。……これで、全部終わり……ですか?」
「ああ、今度こそ終わりだ。では、君は始まりの場所へ転移する。……準備はいいかい?」
「いつでも」
江西はその言葉に頷き、ウィンドウを操作。
直後、俺の足元に幾何学的な模様が現れた。六芒星に描かれたそれは淡く光を帯び、俺を中心に囲むようにその光を放っている。
「では、頑張ってくれ。……月並みだが、武運を祈っているよ」
「……ゲームのテストで武運を祈られても、って感じですが。はい、頑張ります。帰ってきたらお話、しましょう」
「……! ……君は本当に、――――っぽく――な。不思議――よ」
再び意識は揺れ始め、江西の言葉が途切れ途切れになる。何を、と言おうとしたが、模様は更に強く輝き放ち、逆巻く風の如く浮かぶ青色の粒子俺の周囲を奔流のように浮遊する。
そして次の瞬間――、
「死ぬなよ、013」
――不穏な台詞と共に、加速した意識が俺を飲み込んだ。