002.Anti Rain Online
博士と他愛のない会話をして気付けば一時間。
時刻は既に六時十分前となっており、俺と002が何時も《教育》を受ける時間帯となっていた。
「ねえ、013。そろそろ《教育》にいかないと」
「……ああ、そうだなあ。丁度いい時間だし……博士、俺達そろそろ行きます」
そういって二人でベッドから立ち上がると、博士は思い出したように胸の前で両掌を差し出し、静止のジェスチャーを取った。
それが何なのかわからず、俺は首を傾げる。
「博士?」
「ああ、会話に夢中ですっかり忘れていた。二人にはこれから少し手伝ってもらいたい事があってね。今日の《教育》は免除になるから、私についてきてほしい」
博士の思わぬ言葉に、俺と002は顔を見合わせる。
こんな事、此処に入ってたから一度もなかったからだ。頼まれごとは何度かあったものの、《訓練》や《教育》を差し置いての頼まれごとは、記憶をしっかり遡っても経験がない。
「それは大丈夫ですけど……何をするんでしょうか?」
「うーん……一言でいうとゲーム、かな? 遊ぶんだよ、皆で」
「ゲ、ゲーム? 皆で?」
博士は俺のあからさまな反応ににやり、と笑みを返し、そのまま部屋の扉を出て歩き始める。
それに続き、俺と002も部屋を出た。
この《森》は俺達の部屋やトレーニングルーム、それにレクリエーションルームがある《第一棟》、《訓練》や《教育》を行う《第ニ棟》、そして博士を含む俺達の世話や管理をしてくれている研究者、及び刑務官達が住む《第三棟》に分かれている。
なので、これから向かう先が《第三棟》だという事は、進行方向で既に気付いている。
しかし、俺は疑問があった。一度も《第三棟》に入った事がないのだが、研究者や刑務官達が居る場所に果たしてゲームと言った娯楽が存在するのか、と。
それに《訓練》や《教育》を免除した上、というのも気に掛かっていた。ただ遊ぶだけならレクリエーションルームで良い。《第三棟》に行く必要はないはずだ。それに皆、が誰を指すのかも引っ掛かる。
俺は数秒程思考の海に浸ったが、完全に飲み込まる前にそれを切断する。
考えても栓のないことだ。今から行くのだから、嫌にでもすぐにわかる。――気持ちの悪い能力だ。俺は、そっと自分自身に嫌悪した。
少しして。
《第三棟》に辿り着いた。建物の構造は他の棟が変わりはなかったが、廊下の至る所に刑務官が配置されており、研究者達も早足で忙しなく動いていた。
何かあるのだろうか――何となくそう考えていると、002が後ろから俺の肩をつん、と突いた。
「どうした?」
「013。ゲーム、楽しみ?」
「え……? ま、まあそりゃ。本当にゲーム出来るなら楽しみだよ。《教育》しない上で遊べるなんてラッキーだし」
「そっかあ」
「うん」
「なら、わたしも楽しみ」
「……お、おう」
002が何がを言いたいのか全くわからず、とりあえず頷いておく事でこの謎のやり取りを終了させる。
彼女とは俺が此処に来て以来、五年の付き合いだ。同じ時期に収監され、家族のように育ってきた。
しかし、未だに002の事はわからないことの方が多い。《訓練》と《教育》を一緒に受けているので、彼女の戦闘能力と知識の豊富さは理解している。
だがその他の時間で何をしているとか、趣味や好きな食べ物は、と言った類の話は全くした事がない。
食事の時間があった時に、それとなく聞こうとしてもはぐらかされたり、先に帰っちゃったりと、避けられている節がある。
こうして共のする時間があるだけ嫌われてはない、はずなのだが――と、そんな事を考えている内に、博士の歩が止まった。
「……ついたよ、二人とも。此処だ」
博士の先にある扉、そこにはこの施設で必ず存在するネームプレートに何も書かれていなかった。
何の部屋かもわからないまま、俺達の扉を開け中に入る。
室内は至ってシンプルな作りになっていた。
真っ白な空間に、これまた真っ白な繭の形をした大きな機械が十三個あるだけ。
ゲームと聞かされていた為、正直この部屋の様子には驚きがあった。
「博士、ゲームをするんじゃないんですか?」
「ん? するよ、ゲーム。ただコントローラーを握ってやる系ではないんだ」
「じゃあ……あ、もしかして」
「お、流石013。気付いたかな? そう、君達がやってもらうのは普通のゲームじゃなくて仮想世界内のゲーム、所謂VRゲームと呼ばれるものだね」
博士はそういうと、繭の形をした機械を操作する。
天井と左右が大きく開き、中が露わになる。そこには人が一人寝転べるだけのスペースと、その中央に俺達が普段から使っているVRデバイス――レルムリープが置いてあった。
「君達にはこれから《Anti Rain Online》と呼ばれるVRMMORPGをやってもらう」
「VR……MMORPG? VRはわかります、けど……MMORPGって?」
そう質問したのは002だ。おそらくゲームをあまりしない為、初めて聞く単語なのだろう。
「MMORPG、大規模多人数同時参加型オンラインRPGの事だよ。俺がゲームをやってるのを見た事くらいはあるだろ?」
「うん」
「あれはオフライン、つまり一人専用なんだ。オンラインはその逆、そのゲームに接続している複数のプレイヤー達と遊ぶ事が出来る。モンスターを倒す為に協力したり、あるいは敵対して戦ったり……まあその辺は色々、かな」
「へえ……そうなんだね」
002は感心したようにこくこくと頷く。
――俺もMMOはやった事ないけどね、という台詞は心に仕舞いつつ、博士の方へ視線を移す。
博士も俺の回答が概ねあっていたのか、同じように頷いていた。
「013の言う通り、このゲームは多人数で遊ぶように設計されたものだ。ただ、まだ正式リリースはされていないのだよ。そこで、二人にはベータテスター……つまりこのゲームが世に出る前にテストしてもらって、不具合等がないか確認してもらいたいんだ」
そこで、俺はようやく納得がいった。
何故俺達が手伝いに呼ばれたか。理由は簡単だ。俺達が普段から仮想空間で体を動かし、半分生活の一部となっているからだろう。
あそこの世界に慣れている俺達を使って、早急にバグや修正箇所を見つけたい――博士が言いたいのはそういう事だ。
俺は彼の言葉にこくり、と頷く。
「わかりました、お引き受けします」
「わたしも、引き受けます」
「そうか……。……うん、ありがとう。本当に……助かる」
博士は噛み締めながら告げる。
俺にはその顔が、礼を言う時の表情ではなく、もっと別の、形容出来ない何かに見えた。
「……よし、まずは002からだ。おいで」
「はい」
002が開いた機械の中に寝転び、慣れた手付きでレルムリープを装着する。
俺はその様子を一瞥した後、十三個の機械をそれぞれ見遣る。
繭の正面にはそれぞれナンバーが記載されていた。数字は数通り一から十三、No.002に彼女が入った事から、俺が入るのはNo.013と思われる。
そして、なるほど、と俺は思った。あのナンバーの数、それで先程博士が言った皆が誰かわかったからだ。
「お待たせ、013。君はこっちだよ」
「あ、はい」
俺の思考を遮るように、博士がNo.013の機械を操作し、中へと促す。
それに逆らう事なく、俺は繭の形をした機械の中に寝転んだ。
想像より遥かに寝心地がいいな、などと思いながら、レルムリープを装着し始める。その最中、先の疑問を解消するべく、博士に尋ねかけてみた。
「博士、さっき言ってた皆……って、名前のない子供達の奴ら……でしょうか?」
「……ああ、そうだね。良く気付いたなあ……って、この機械の数を見れば一目瞭然か」
「あはは、流石に馬鹿でも気付きます。……でもMMORPGって基本的にもっと大勢でやるものですよね? 十三人じゃ少なくないですか?」
俺がそういうと、博士は苦笑する。
「確かにサーバー面を含めた負荷実験なら少ないだろうね。けど今回はそういうテストじゃないんだ。だから人数の心配はいらない。君達は普通にプレイしてくれればいいんだよ」
「……そうですか、わかりました」
一気にやってしまえばいいのに、と疑問が残るも、俺もこの作業について詳しいわけではないので、口を噤む。
レルムリープの無色透明なモニタに、アンチレイン・オンラインの項目が表示されたので、そこに視線を集め起動準備を。
後は開始の言葉さえ言えば数秒で仮想空間に入り、ゲームの世界を堪能できる。
「それじゃあ博士、いってきます」
「ああ、悪いけど頼むよ」
俺は今日何度目かの首肯をすると、起動開始の言葉を告げる。
「《リープ・オン》ゲーム、アンチレイン・オンライン」
意識が急速に奪われる。その代わりに、あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、恰も世界が加速したように、仮想の空間に塗り潰されていく。
俺の意識が完全に移り変わる――その直前、博士が閉まる繭の前で口を動かした。
「……君なら、君達なら……かの地を黎明に導ける。……どうか、良き旅路を」
その言葉が何を意味し、何を指すか――俺がそれを知れるのは、数十分後の事だった。