001.Growth of the forest
【仮想訓練終了――。囚人番号〇〇ニ、〇一三共に《Drill Area》からの接続を切ります。】
長い浮遊感のような感覚を脱し、俺の意識は再覚醒する。仮想空間内から現実に戻ってきた時の覚束ない感覚は、何度経っても慣れないものだ。
気怠さを押し殺し上半身を持ち上げると、頭部に装着されたVR機器――仮想擬似的投影デバイスRealm Leapを外す。程良く伸びた黒髪が無造作に散らばるも、それを気にすることなく右方向を見遣る。
すると、俺と同じくVR機器を外した少女が、乱れた銀髪をゆるゆると振っていた。
白を基調とした簡素な服の胸元に、《No.002》と書かれた彼女は、視線を交差させるように此方へ振り向く。
「初めて負けちゃった、くやしいなあ」
002は全く悔しさを感じさせない声音でそう答えた。
むしろ清々しさが垣間見える。それが俺には少し不満で、子供のように唇を尖らせながらため息をつく。
「そういう割には全然悔しそうに見えないよ、002」
「そうかなあ……わたし的に一応くやしいって思ってるんだけど」
「はぁ……そうか」
マイペースを崩さない様子に、これ以上何か言っても無駄だと思った俺は、ベッドから立ち上がると両指を組み大きく伸びをする。
《訓練》後はどうしても体が鈍った感じがある。現実世界と仮想世界とのギャップがそうさせるのだろう。彼方側はやはり此方と比べて体が軽く、身体能力が向上したような気分になる。あくまで気分、だが。
と、そんな事を考えていれば、この部屋を繋ぐ唯一の扉が開いた。
「002、013。訓練お疲れ」
そこには高齢で、少し痩せ型な男性がいた。
俺、それと002は彼に向き直ると、ぺこり、と一礼する。
「博士、お疲れ様です」
「改まらなくていいよ、もっと気を楽にして」
そういって博士は首を振ると、適当な椅子を見繕い、腰を掛けた。
俺も自然とその仕草に倣い、再び寝台へ腰を下ろす。
「見ていたよ、《訓練》。二人とも成長したね。特に013、攻撃の際に仕掛けるアイデアが実にいい。……あれは君が考えたのかい?」
「あ、はい。……通常の攻撃じゃ002の反射神経には敵わないので、なんとか策を……って。結局腕一本持っていかれちゃいましたけど」
「はっはっは、腕一本なら安いものだろう。彼女に手傷を負わせた者こそいるが、倒したのは君を合わせて二人しかいないのだからね」
相変わらず快活に笑う人だなあ、と俺は思った。
彼――博士は、この施設――未成年特例留置所。通称、グロースの森のトップに当たる人だ。
グロースの森。此処は、未成年の犯罪者、その中でも特例を認められた者のみ入れる特異な場所で、二十歳以下は当然の事、犯した罪の度合いや将来性、心身共に正常な事が認められなければ入ることが出来ない。
しかし、これだけ聞けば意外と低い基準で入れるような気もするだろう。だが、この中で一番重視されるのが将来性――いや、特異性がなければ入檻できないのだ。
一言でいえば、他の者にはない優れた能力を持つ人間が分類される。
例えば、類まれなる反射神経を持つ者。
例えば、人知を超えた思考力を持つ者。
例えば、完璧な瞬間記憶能力を持つ者。
その特異性は様々だが、どれも人が出来る範囲を超えた者ばかりである。
無論その様な人間、そして犯罪者が沢山いるはずもなく、現在収容されている人数は、僅か五十名程。
これだけ見ても、此処が如何に異質な場所なのか理解できるというものだ。
そして、その高いハードルを設けただけの事はあり、条件に見合った設備と更生カリキュラムが組まれている。
まず一つは囚人専用の個室。通常の牢のように鉄格子や頑丈な扉はなく、何時でも出入り自由。中の設備も高級品とまではいかないが、それなりに立派な物で、通信は出来ないが一人一台パソコンまで支給されている。
そして次のグロースの森に配置されている各設備。
近くから湯を引っ張ってきた温泉。それに肉体面の向上を図る為用意されたトレーニングルーム。
極めつけは漫画やテレビ等が設置されたレクリエーションルームだろう。最新の漫画から現在放映中のアニメやドラマまで、リアルタイムで見ることが出来る。
囚人とは言えない贅沢な設備に、俺を含め周りの者達が驚いていたのを覚えている。
次にカリキュラム。
再犯防止の為に組まれた囚人更生用プログラムなのだが、これがまた特殊なのだ。
起床時間や就寝時間に決まりはない。何時起きてもいいし、何時寝ても構わない。その他の時間も基本は自由。各々設置された設備で過ごすのも良し、部屋で休息を取るのもよし。勿論、食事もそのスペースが設けられており、二十四時間自由行き来できる。
ただ、一つだけ俺達には決められている事がある。
それが、一日六時間の《教育》と《訓練》。
どの時間帯でも構わないが、必ずニ時間の《教育》と四時間の《訓練》を行うことを定められている。
《教育》は、基本的に一般常識や各囚人の年齢に合わせた学年の勉強を学ぶのだが、その中に《論理戦術》と呼ばれるの項目がある。
《論理戦術》は、あらゆる状況での対応を、基礎から応用まで学ぶ項目だ。
例えば人と殴り合いになった時、どう対処するか。相手がナイフを持っていたら、相手が銃を持っていたら、相手が複数人いたら――などだ。
他にも例を挙げると、此方が複数人居る時の対応、攻勢に移る場合の指揮、守勢に回る際の逃避方法だろう。正直無駄でなくても良いあらゆる知識を叩きこまれる。
当たり前だが、俺を含め、何故覚えなくてはならないのか理解できていない者も多数いる。
しかし、この生活を続ける為には必須の項目なので、不満を言わず続けているのが現状だ。
最後に《訓練》。これは一般的な運動と言った類のものではなく、戦闘技術を身体に染み込ませる為の項目だ。
この世にある数多の武器を駆使し、先程のような戦闘を行う。四時間の内、一時間は基礎訓練。もう一時間は応用訓練、そして残り二時間はひたすら模擬実戦となっている。
とはいえ、実際に現実の体を使って戦うわけじゃない。俺達は仮想空間内でこの《訓練》を行っている。
理由は幾つもあるが、一つは武器の確保。古今東西あらゆる武器を使うので、それを揃えるとなると現実的ではない。しかし、仮想空間内ならボタン一つで武器をジェネレートできるので、かなりの経費削減になるのだ。
もう一つは俺達の体の問題。武器を使う、となれば当然傷がつく。剣で切られたら裂傷になる、槌で殴られたら打撲、骨折に。銃で撃たれたら、下手をすれば死の可能性すらある。
それを配慮した上で、なされた案が仮想空間を用いること。此処ならば、幾ら傷を負っても血は出ないし、痛みも感じない。体の一部を失っても現実に戻れば元通りなので、多少無茶な戦闘を行っても問題はないという事だ。
先の戦闘で俺が右腕を捨てる判断が出来たのは、この空間の後押しがあったからだろう。
あれが現実ならば右腕を捨て攻勢に出る、という判断ができたかは正直自信がない。故に、勝利当初あった喜びも、現実に戻ってきたら段々とあの空間があったからこそ、と考え始めていた。
しかし、そんな俺の葛藤を見透かすように、博士は柔らかい笑みを浮かべる。
「……君は悲観しているようだが、私はあれが最善だと思うよ。002の反射速度に対抗するには、策を練った上で、なおリスクを負わなければならない。君のリスクはその右腕だった、それだけだろう」
「で、ですが……現実なら、あのような事を出来ません」
「そうだね、確かに現実ならあの策は多少無謀だったかもしれない」
「……」
「だが、あそこは現実ではない。仮想空間だ」
博士は椅子からそっと立ち上がると、俺の頭に手を伸ばし、優しく撫で始めた。
「わたしはこう思っているよ。君は仮想空間という武器を最大限に生かし、戦った……そして勝利を得た、とね。……《訓練》十か条その一、覚えているかい?」
「……!」
俺はこくり、と頷く。
「〝考え、そして生きよ〟。……ですよね?」
「ああ、その通り。そして君はそれを為した。必死に考え彼女の隙を見出し、結果的に生き残ったんだ。……あれが現実なら君の右腕は確かになくなっていただろう。だけどね、君は生きて、彼女は死んだ。そう捉えることもできる」
「……」
「つまりは、だ」
博士はその手を俺の頭から背中に下ろす。
腕が緩やかに回され、彼の心地良い体温が衣服越しに伝わった。
「よく頑張った。初めての勝利、おめでとう」
「……っ」
感極まって涙が出るところを、歯を食い縛って堪える。
博士に褒められるのはこれが初めてでもないし、抱擁されたのも何回かあった。
けど、密かに目標にしていた002への勝利。そして、それを覚えていてくれた博士の慈愛は、俺の心に深く温もりを感じさせたのだ。
「そして………002」
数秒ほど抱き締められた後、博士が体を離すと、002の傍まで歩みを進める。
そして、その小さな体を俺と同様に抱き締めた。
「君が表情に出さなくても、いや……出せなくても、私は君の悔しさを理解してあげられる。……君はこれからだ。その敗北をどう受け止め、どう糧にするか……楽しみにしているよ」
「……はい、うん」
002のどっち付かずの返事が、何時もより低い声音での呟きだったのは、彼女なりに悔しさがあったからなのか。
表面的な事しか見れていなかった、と数分前の俺をぶん殴りたくなる。
「よし、よし。……この森の中でも、君達二人は大切な……孫のようなものだ。だから、願わくば……」
と、そこまで言って、博士は口を噤む。そして、目を痛ましいものを見るように細めると、一度閉じ、再びあの快活な笑みを浮かべた。
「……いや、これは過度干渉かな。とにかく、二人とも無事に成長してくれて私は嬉しいよ。……気付けばええ、と……十三歳、だっけ?」
「十五歳だよ! ボケるにはまだ早いですよ、博士」
「おっと、これは失敬。……そうか、十五歳……か。二人が来て、もう五年になるんだなあ……。感慨深い」
こくこく、と一人で頷き博士が何処か可笑しく、002と視線を合わせると、二人してお腹を抱えて笑いを漏らした。