表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/206

90 外食

 仰ぎ見る空から

 零れ落ちる記憶

 砂に似て

 さらさら、さらさらと




 目が覚めると、鳥の巣頭はいなかった。

 僕は慌てて起き上がると服を着て、窓を開けた。むわりとした室内に清涼な空気が流れ込んで来る。

 シャワー……、を浴びたかったけれど、直に夕食の時間だ。ここの宿舎、夕食時間が早すぎる。余所よりも一時間は早い。鳥の巣頭はどうするんだろう? 何も言わずにもう帰ってしまったのだろうか? 

 はたと戸惑っていた僕は、ベッドの接している壁の向こうから、ボソボソと話し声がすることに気がついた。隣の銀狐の部屋からだ。鳥の巣頭と話しているに違いない。僕はほっとして息を継ぎ、洗面台の鏡を覗き込んだ。


 鳥の巣頭は痕を残したりしないけれど、いかにもな……、気怠そうな様子でこちらを見ている顔に、恥ずかしさで顔が赤らんだ。おまけに、馬鹿みたいに泣いたりしたから瞼が腫れている。それに……。

 やっぱり、一番気になるのはこの匂いだ。こんな時に限って、僕はコロンを持ってきていない。鳥の巣頭が一緒じゃないから、必要ないと思っていたんだ。


 冷たい水で顔を洗い、どうしよう? と鏡の中の僕に訊ねた。

 と、洗面台の脇の棚に置きっ放しだったヘアワックスが目に入った。





 ドアがノックされ鳥の巣頭の顔が覗く。

「マシュー、起きたんだね」

 僕はきっちりと撫で付けた髪に、ネクタイも締めた格好で立ち上がった。銀狐に変に勘ぐられたりしませんように。

「外に食事に行こうか。そろそろ宿舎の食事も飽きてきた頃じゃないかい? レストランを予約しておいたからね」

 鳥の巣頭の横にいた銀狐が、澄ました顔をして言った。


 僕は何も聴いていなかったのに!


 これじゃあ、いかにも楽しみにしていたみたいじゃないか。

 膨れっ面をした僕を見て、銀狐はくすくすと笑った。





「コロン変えたの? 爽やかないい香りだね」

 宿舎を出てメインストリートへ続く石畳を歩きながら、鳥の巣頭はやっと僕の方を振り向いて言った。この香りが、以前、自分が銀狐から借りてくれたものだという事に、気が付きもしない。

「ヘアワックスだよ。彼に貰ったんだ」

 僕はちょっとムカつきながら呟いた。

「ああ、きみがずっと欲しがっていたあれか! それは良かったね!」

 能天気な鳥の巣頭。やっと気付いた。

 そしてまた直ぐに、銀狐を振り返って直前の話に戻っていった。


 こいつは僕がいるっていうのに、ずっと銀狐と僕には解らない話ばかりしている。

 僕は面白くなかったけれど黙っていた。もうこれ以上、銀狐の前でみっともない真似を晒したくなかったんだ。




 銀狐が予約してくれたレストランは、僕の好きな海鮮料理が評判の、とても洒落た内装のシックな店だった。銀狐は何をするにもソツがない。

 僕はすっかり機嫌を直してウキウキと店内を見廻した。


 濃い紫の壁に、大きな窓から光が差し込んでいる。白い腰壁に紫が映え、薄いラベンダー色に空気を染める。壁に掛かる抽象画も(くど)くなくていい。鏡のように磨かれた銀色のテーブルに、セットされたグラスや皿が逆さまに映る。立てて置かれた白いメニューの表紙には、カットグラスに入れられた蝋燭の影が幻想的に広がってとても綺麗だ。

 日はまだ高く夕食の時間には早かったため店内が閑散としていたのも、僕には好ましく思えた。



「もう一時間もすれば混んでくるよ」

 良く知っているかのように、鳥の巣頭が言った。


 運ばれて来た殻つきの生牡蠣は、砕かれた氷の上に載っていてひんやりと良く冷えていたし、身はぷりぷりとして大きかった。鳥の巣頭がレモンをたっぷり絞り掛けてくれた。

 ポーチドエッグの載ったアボガドのサラダも、白い皿に美しく盛られたメインのコロッケ風仔牛のチーズ包み焼きも、本当に美味しかった。




 料理が運ばれて来る度に、楽しくて目を丸めていた僕を見て、銀狐はまたくすくすと笑っている。

「きみ、余り外食することがないのかな?」

「もっと小さい頃、家族で旅行に行った時くらいかな。後は……、カフェくらいは行くよ」


 エリオットに入学してからは、あの小汚いパブに行ったくらいだ。こんなちゃんとしたレストランに来たのは、本当に久しぶり。

 そう言えば、僕が牡蠣を好きになったのは、家族で訪れたコートダジュールで食べてからかも知れない……。


 ふっと物思いに沈んだ僕を見て、鳥の巣頭が顔を曇らせた。

「きみのお母さまが、きみは牡蠣が好きだっておっしゃっていたから、この店にしたんだよ」

「母が? きみこの店に来た事があったの?」

「うん。きみのご両親と一緒に」


 両親がオックスフォードを訪れたのは……。


 ああ、確かに。と、僕は鼻白んだ。

 僕があの蛇の友人の家で警察に捕まり掛けて、強制入院させられていた時だ。


 ああ、確かに父ならこの街のことも、レストランも良く知っているよ!


 このシックな内装も、料理も母好みなのだ。だから僕は違和感なく馴染めたのだとやっと解った。


 そして、僕をこの街まで送って来ても、荷物を置くと同時に帰って行った母と、息子が警察沙汰で入院していても、呑気に鳥の巣頭を誘い、こんな高級レストランで食事をしていた両親を思い、乾いた笑いが口から零れた。


「きみの事、とても心配しておられた」


 銀狐の前で、何を言い出すんだ、こいつは……。



 せっかくの夕食が台無しだ。

 楽しみにしていたフライドパンケーキのホワイトチョコレート掛けは、ちっとも魅力的に思えなくて、僕は少しつついただけで食べるのをやめた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ