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8 供物

 ものには順序がある。

 願いを叶えるにも順序がある。

 やっぱりいりません、なんて、通らない……。




 目覚めた場所はベッドの中だった。あの男、僕を医療棟へ運ぶ程度の良心はあったのか。真っ白な天井が視界に映る。

 誰かが僕の手を握り締めた。僕はこの手を知っている。だから、顔を向けることもしなかった。

 頬に添えられた僕の手の甲が、しとどに濡れる。


「どうして、きみばかりがこんな酷い目に遭うんだ……」


 ……愚問だね。僕にそれだけの価値があるからさ。

 心配要らない。錆色のきみがこんな思いをすることはないよ。


 僕はゆっくりと視線を彷徨わせ、鳥の巣頭を探した。

 僕の瞳の焦点がやっと自分に向いたので、鳥の巣頭は慌てて何度も瞼を瞬かせて、拳で涙を拭っている。


「誰が、こんな酷いことをしたの?」

 鳥の巣頭の、兄貴と同じ形の双眼が珍しく怒りに燃えている。こいつのこんな顔は初めてだった。いつもビービー泣いているだけのくせに。

「それを、きみが、僕に訊くの?」

 僕は冷たく言い放った。


 兄貴に訊けよ。


「もう、黙っていられないよ。寮長なんだろう? 僕が寮監に話すから」


 僕を見つめる真剣な目。これだから嫌なんだ。頭の悪い奴は。


「やめて。僕は、きみの為に耐えたんだから……」

 眉根を寄せたこいつの頬に、僕はそっと手を添えた。

「きみのお兄さん、生徒総監を降りるそうだよ。脅迫されたんだ。きみのことで。シェルターでの写真を撮られていたんだ。きみと僕の。僕は服を着ていなかったし、言い訳出来ない。同性愛行為は退学だからね」


 そうだよ、お前だけじゃない。僕までとばっちりを食らうんだからな。


「そんな……何もないのに!」

「誰も信じてくれないよ」

 目を見開いて、信じられない、と小さく首を振る鳥の巣頭の震える拳を握ってやった。

「きみを庇うためにお兄さんは生徒総監を降りて、僕は見せしめと報復でこんな……」


 流石に、声が続かなかった。

 冗談じゃない。冗談じゃない……。

 僕は不本意なまま唇を噛み締めていた。


「……いいんだよ。きみの為だもの。お兄さんを恨まないであげて。全部、きみの為なんだ」

「兄が、したの? こんな……、こんな、……酷いことを」 


 鳥の巣頭は、ベッド脇で座っていたスツールから滑り落ちるように、床に跪き、僕の手を両手で握り締め唇を押し当てた。


「僕が、兄の代わりにきみに償う」

「そんなこと、いいんだよ」


 余計なお世話だ。

 お前なんか、どうでもいい。


 僕は、鳥の巣頭のくるくるの巻き毛を指に絡めて撫でてやった。



 



 静まり返った夜の医療棟はがらんと広く、他に誰もいない病室でひとり目を瞑ると、無限の闇の中に放り出されたかのよう。

 闇は僕を優しく包むのに、意識が眠りに落ち掛けた途端、誰かの手が身体を弄り、僕はびくりと跳ね起きていた。何度も、何度も。沢山の手が、僕を這いずり寝かせてくれない。こんなに疲れているのに……。僕は闇の中に逃げ込んだ。この手から逃れて。奥へ。奥へ。



 やっと、うとうとと仕掛けた頃、消毒液の清潔な匂いに甘やかな香りが交じり混んでいる気がして、僕はまた、意識をもたげていた。


「マシュー、ああ、良かった。きみの顔に疵がつかなくて」


 蛇が僕を覗き込んでいる。窓から差し込む月明かりが、薄闇の中、鈍く輝く金の鱗を照らし出す。



 僕は祭壇の子羊だ。


 僕が学年代表になるのは決まっていたのだ。

 僕が学年代表になれなかったのは、決してあいつより劣っていたからじゃない。

 あの男を引き摺り下ろすための祈りに、生贄の供物が必要だったから。


 この男は、僕を祭壇に捧げ、生徒総監の地位を得た。


 闇の中に隠れていた、もうひとりの僕が、教えてくれた。



「二、三日で寮に戻れるそうだよ。彼ら、そんなに手荒な真似はしなかっただろう? 慣れているからね」


 蛇は、薄闇に透ける瞳を細め、身を屈め僕の唇を喰んだ。ちろちろとした赤い舌を差し入れゆっくりと這わせる。と、すっと顔を離して眉根を寄せた。


「口の中を切ったの? 血の味がする。可哀想に。大丈夫、もう何も心配要らないよ。これからは、僕の傍においてあげるからね」


 僕の頬を、喉を、ゆっくりとなぞる指先。ひやりとした爬虫類の感触。


「権力は、蜜の味だよ、マシュー。きみにも味あわせてあげる」


 僕の胸元に差し込まれた手を、僕はもう冷たいとも、嫌だとも感じなかった。

 もう、何も、感じなかった。







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