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79 フラッシュバック

 届かない蒼穹に手を伸ばし

 踏みしだく大地に

 影を落とす





 結局、僕は医療班に付き添われて医療棟まで送ってもらい、ここで休むことになった。広い部屋には、他に誰もいなかった。看護師が「直ぐに良くなるわよ」と、お座なりな気休めを言い、僕は愛想笑いを浮かべてお礼を言う。

 彼女は僕の為に、ココアを入れてくれた。

 温かなカップを両手で包み込むように持ち上げ、こくりと飲んだ。随分と甘いココアだった。時間を掛けてゆっくり飲み干した。底にどろりとした粉が溜まっている。まるで澱のように。


 天使くんの呻き声が耳の中で反響する。


 彼が使っていたのは、このベッドだっただろうか……。


 また、ドクドクと酷い動悸が繰り返される。頭がくらくらと揺れる。ベッドヘッドに凭せていた背中を丸めて横たわった。僕は耳を塞いで枕に半分顔を埋めたまま、窓の外を眺めた。透き通る青が、僕の記憶を掻き散らす。


 きらきらした青空。


 緑のフィールドの上の白いユニフォームの大鴉。あの時どうして、白い彼と大鴉の姿が重なったのだろう? 彼らはちっとも似ていないのに。青が、僕の記憶を掻き廻す。風に似た笛の音が揺蕩い、記憶と幻覚が白昼夢のように渦巻き流れる。


 青い空に飛沫が上がる。大鴉が泳いでいる。楽しそうに。笑っている。


 僕も嬉しくなって笑った。動悸が少し和らぐような気がした。






 僕はいつの間にか眠っていたらしい。気が付くと、横に鳥の巣頭が座っていた。紺のジャケットに赤のストライプのシャツ、赤いネクタイ。それに白のトラウザーズ。僕たちの寮のボートの儀式の為のユニフォームだ。花の落ちたストローハットが膝に置かれている。

「ああ、もうボートの儀式は終わってしまったんだね。ごめんね、きみの勇姿を見損ねてしまった」

 鳥の巣頭を見上げて微笑むと、こいつもちょっと微笑み返した。だが直ぐに真剣な顔をして、僕の冷たい頬に手を当て、顔を覗き込んで尋ねた。


「マシュー、隠さずに教えて。ジョイントを吸ったの?」

 いつもと違う、鳥の巣頭の射抜くような目が僕を見据えている。

 僕は頭を振った。吸ったのは、もう随分前だもの。僕は、はぁ、とこいつに息を吹きかけてやった。微かに甘いココアの香りが残る。

「匂いでわかるだろ? それに、僕がどうやってあれを手にいれるんだい?」

 これも、本当。梟から貰ったジョイントはとっくに吸いきってしまったもの。


 鳥の巣頭はそれを聞いて安心するどころか、辛そうに顔をしかめた。

「フラッシュバックだ……」

 僕の手を握り唇を押し当てる。

「心配しないで、マシュー。僕が傍にいるからね」



 フラッシュ・バック、と言われて、僕はやっと理解した。

 ジョイントの後遺症だ。ストレスとか、疲労とか、何かジョイントと結びつくような記憶とかがきっかけで引き起こされる。ジョイントを吸っていない時でも、あれを吸った時のような感覚や、苦しい離脱症状と良く似た症状が突然蘇るのだ。入院して半年位の間はしょっちゅうだったけれど、退院してからはこんな酷い状態に陥ることはなかったので忘れていた。


「あまり酷いようなら、あの病院に薬をもらいに行こう。ご両親には僕の方からお伝えするからね」

「大丈夫だよ。軽い目眩だけだもの」


 本当は息が出来ないくらい苦しい動悸も、吐き気もあったけれど、こいつには言わない。こんなことで親の手を煩わせるのも、あそこへ行くことも嫌だった。

 鳥の巣頭は、親に見限られた僕のことを良く解っている。だから、こうやって僕が彼らとこの話題について直接話さなくていいように、いつも間に入ってくれる。


 僕はこいつの、何もかも見透かしているような憐憫れんびん)の瞳が嫌いだ。


「マシュー、薬で症状は抑えられるんだ。僕はきみのお母さまから、その可能性のことはお聞きしている。気を付けてやって欲しい、と頼まれていたんだよ。ね、だから我慢しないで」


 こいつを突き飛ばしてやりたい衝動にかられながら、僕は窓の外へ視線を逸らした。


 青い空に、彼を捜す。全てを一瞬で忘れさせてくれる大鴉の姿を。




「聞いて、マシュー。僕はきみを次年度の生徒会役員に推薦しているんだ。彼が協力してくれる。ほら、さっき逢っただろう? 現副総監。彼ね、次年度の副総監でもあるんだ」

 僕は意味が解らず、首を傾げてこいつを見つめ返した。


 僕を生徒会に推薦だって? きみが?


「彼はきみと同じ。半年間入院していてね、ASレベルの試験を見送って、もう一年間四学年に残ることにしたんだ。彼が新役員の票の取り纏めをしてくれる。今年度の生徒会は、ほら、色々問題があっただろ? だから役員推薦も慎重に行われたんだ。一般投票を待たなくても、もう決まったも同然なんだ」


 僕は未だによく働かない頭で、ぼんやりとこいつを見つめていた。


「きみが生徒会に入ってくれたら、もっと、ずっと一緒にいられるだろ? ……それに、生徒会の赤のウエストコートが、僕以上に、きっときみを守ってくれるよ」


 鳥の巣頭はそう言って、慈悲深い瞳で僕を見つめ、まるで手の甲にキスを落とした。永遠の忠誠を誓う騎士のように……。






赤のウエストコート… ベスト。チョッキのこと。生徒会役員は赤。監督生は灰色。一般生徒は黒。と制服のデザインが異なっています。

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