76 友人たち
ぱんと弾ける
水風船のように
膨れ上がった
記憶が弾ける
一緒に教室移動したり、昼にカフェテリアでお昼を食べる相手が幾人か出来た。
どうやら僕はこいつらにとって、とっつき難い相手だったらしい。授業は習熟度別といっても、飛び抜けて出来ない奴のいないこの学校では、大体が同じ学年の顔ぶれが並ぶようになる。その中で一年遅れの僕みたいなのは、やはり珍しい部類に入る。本来なら上級生のクラスで、こんな青のネクタイではなく白のボウタイをしている年齢だもの。
その年上という垣根が、ある日ひょんな事がきっかけで取り払われた。
こんなに簡単だなんて拍子抜けだった。みんな同じ寮の奴らとばかり固まるから友人は出来ないと思い込んでいたんだ。
それが、自習時間にちょうど横の席で大鴉の話をしていたから、つい、僕も笑ってしまったんだ。
だって大鴉、科学の実験中に先生に隠れて、アルコールランプでマシュマロを炙って食べていたっていうんだよ!
僕の隣と前二人の、その話をしていた連中は、くすくす笑いが止まらなくなった僕を見てぽかんとして、それから僕も加えてもっといろいろな彼の噂話を教えてくれた。
大鴉は反省室の常連だけど、ロープ一本で閉じ込められた五階の反省室の窓から逃げ出すものだから、遂にカレッジ寮の反省室にだけ、鉄格子が嵌められたって! おまけに、これで安心と思っていたら、今度は鍵をどうにかして開けて、堂々とドアから出て行ったらしい。だから、大鴉が反省室に入れられている日は、監督生がドアの前に座って寝ずの番……、なんて面白おかしく語るものだから、僕は笑いが止まらなかったよ。
僕に新しい友人が出来たことで鳥の巣頭が嫌な顔をするかと思ったら、特に何も言われなかったばかりか、「そう、良かったね」と逆に嬉しそうな顔をされた。僕はちょっと意外だったよ。
鳥の巣頭も試験で頭がいっぱいなのかもしれない。
そうこう言っているうちに、ハーフタームだ。今回ばかりは僕も家へ帰った。家で家庭教師と共に試験対策に取り組んで、残りの教科も無事に乗り切った。
長い試験期間が終わると、今度は創立祭が待っている。鳥の巣頭はほっとする間もなく、毎日、忙しそうにしている。僕は、同じ授業が幾つか重なる友人たちと一緒に過ごすことが多くなった。
他愛のない会話。チェスやボードゲーム。たまに、他寮へ遊びにいったりもする、平凡で退屈な日常。まるで、ホームコメディを見ているみたいだ。つまらないダジャレを誰かが言って、そこに観客の笑い声が被さる。あの観客が僕の役どころ。僕はただ、笑っていさえすればよかった。
ある日、その中の一人が僕の耳元で囁いた。大鴉が以前作ったというAレベルの予想問題を見せてくれるっていうから、こいつの寮の部屋へ訪ねた時だった。
「僕は、知っているんだよ。ねぇ、きみ、幾らで犯らせてくれるの?」
鳥肌がたった。
肩に置かれていたこいつの手を振り払い、腰掛けていたベッドから立ち上がった。途端に、手首を掴まれた。
「ここまで来て、それはないだろ」
ねっとりと汗ばんだ掌が気持ち悪い。
「僕が、きみ如きの相手をすると思っているの? 僕が欲しけりゃ生徒会役員くらいにはなるんだね」
空を切って、こいつの右手が振り上がる。僕は目をぎゅっと瞑って顔を背け、奥歯を噛み締め身を縮こまらせる。口の中を切らないように。出来るだけ、顔の正面を殴られないように。この一瞬に、過去がパラパラとコマ送りのフィルムを見るようにフラッシュバックする。
振り上げられた拳は打ち下ろされなかった。ちっと舌打ちする音が聞こえて、こいつは自ら部屋を出て行った。バンッと叩きつけられたドアに、反射的にびくりと身体が震える。次いで、へなへなと膝から崩れ落ちた。悔しくて涙が出そうだった。
あんな年下の、屑野郎に脅されるなんて!
なんとか歯を食い縛って立ち上がり、後も見ずに寮へ戻った。真っ直ぐに鳥の巣頭の部屋に向かった。渡されていた合鍵で中に入って、あいつのベッドに倒れ伏して泣いた。
「どうしたの、マシュー。きみの方から来るなんて」
鳥の巣頭が部屋に戻って来たのは、すっかり日も暮れた頃だった。部屋の灯りを点けたこいつが、自分のベッドにぐったりと伏している僕を見つけて心配そうに駆け寄って来た。
「……きみが、いないからだよ」
僕は泣き過ぎて腫れ上がった瞼を持ち上げ、こいつを睨んだ。
鳥の巣頭は横に腰掛け、そっと僕の髪を掻き上げる。
「何か、あったの? ……何か、されたの?」
また、涙が滲んできた。
「マシュー」
覆い被さるように、僕の髪に優しくキスを落とす。
僕は顔を半分枕に埋めたまま、枯れてしまった声を絞り出してこいつに訊ねた。
「僕の値段は、幾らなの? ……子爵さまは、僕に幾ら払っていたの?」
僕の肩に置かれていたこいつの手が、びくりと跳ねた。
「きみのせいだ。きみが僕の傍にいないから、僕はこんな嫌な想いをしなきゃいけないんだ」
「ごめん、マシュー」
「全部、きみが悪いんだ」
「ごめんよ……」
僕の背中に額をつけ、両腕に掛けられた掌に力が籠る。
八つ当たりだ……。
解っていても、僕はこいつが許せない。
僕を守ってくれないこいつが、許せなかった。




