57 一月 窓の外
片羽の大鴉が闇に舞い
笑い声に似た羽音が
白い霧を扇ぎ払う
新学期が始まった。梟とは再会の約束をしたし、友人も増えた。それなりに実りある有意義な休暇だったよ。
部屋に入り、荷物を置いて窓を覗いた。期待なんてしていなかったのに。
いつも其処にいるかの様な、大枝に留まる大鴉の姿に息が止まった。
群青に包まれている空にぽっかりと浮かぶ白い月を背に、西の空の夕焼けを眺めているのだろうか。
紫紺の闇に変わる頃、彼はふわりと飛び立った。闇に溶けるように翼を広げて。
骨折したと聞いていたのに、怪我は大したことはなかったのだろうか?
「何を見ているの、マシュー?」
僕は振り返り、戸口で怪訝そうに僕を見ている鳥の巣頭を見返した。
せっかくの楽しい気分が台無しじゃないか……。
「鳥を。鴉がいたんだ」
「鴉なんて、珍しくもないじゃないか……。君が嬉しそうに微笑んでいたから、何か素敵な物でも見つけたのかと思ったよ」
鳥の巣頭は、残念そうに微笑んで僕の横に立ち、もう既に闇に沈み、川向こうの隣町の明かりがきらきらと輝き始めた窓の外に目をやった。薄く曇るガラスを掌で擦り、顔をしかめる。
「冷た! 窓の傍じゃ冷えてしまうよ、マシュー」
立ち上がった僕を、鳥の巣頭が抱き締める。
「ジョイントは駄目だよ。すぐに模試があるからね」
「解っているよ」
僕は答えながら、頭では別の事を考えていた。
あの大鴉は、片羽でも飛ぶのかと……。
学校が始まって、一週間も経った頃だろうか。
夕食の後、鳥の巣頭の部屋へ寄り、一緒に自習をしてから自室へ戻ろうとしていた時、談話室から賑やかな歓声が上がった。
僕は何事かと、鳥の巣頭を見ると、
「きっとソールスベリー先輩だよ。ラスベガスの家電テクノロジー国際見本市で、先輩の会社の新製品の発表をするって、皆、言っていたから。ちょうど中継をしている頃だもの」
鳥の巣頭の顔に浮かんだ羨ましそうな色を、僕は見逃さなかった。
「きみも、見たかったんじゃないの? 僕の勉強に付き合ってなんかいないでさ」
僕の嫌味に、鳥の巣頭は苦笑して頭を振る。
「僕だってASレベルの試験が近いんだ。そんな暇ないよ。だってね、中継は何時間もあるんだよ。先輩の発表が何時頃になるかも解らなかったし、付き合っていられないよ。後からネットで検索した方がずっと効率的だろ」
したり顔でそう言い、僕を急かすように腕を引っ張る。
「……今日は、水曜日だろ? その、彼は?」
顔を寄せ、小声で囁くように訊いてきた。
「今月は試験勉強だって。……多分ね」
僕は冷たく言い放った。
子爵さまはあの天使くんに夢中だ。新学期になって一度だけ逢ったけれど、もうどんな手段を使ってもあの子が欲しくて仕方がない、そんな風だった。
クリスマスコンサートに白い彼が来たことも関係あるみたいだ。せっかく大好きな先輩が久しぶりにこの街を訪れたというのに、逢えなかったのだもの!
子爵さまは生徒会役員だからね。会場を訪れるお歴々の接待で大忙しだったって訳。勝手知ったる白い彼は、そんな面倒な社交は避けて、弟くんに花だけ渡して帰った、という事になっている。
子爵さまはそれがまた気に食わないんだ。嫌っているはずの米国の親族を、白い彼が気に掛けたりするから。自分の事は省みてくれないのに……、と。
あの豪華な花束だって、本当はどっちに渡すつもりだったのか解らないのに……。
大鴉が、忘れられたように置かれていたそれを、あの天使くんに渡したのに過ぎないのに。
「消灯後、きみの部屋に行ってもいい?」
鳥の巣頭の声に、僕はふっと物思いから覚め、ふわりと微笑んでこいつの耳元に口を寄せた。
「いいよ。試験前になると、来られなくなるものね」
子爵さまのことなんて、もうどうでもいい。
僕は休暇中、こいつの友人たちに混じって充分に遊んだ。生徒会の役員も何名かいた。今の生徒会の主権はラグビー部よりもボート部だ。梟の代で、かなりカレッジ寮の監督生の息の掛かった他部活の役員が入って、影響力は削がれてしまったけれど。それでもまだ、二十名の内、六名もいる。皆、鳥の巣頭の友人だ。
本当に、こいつの友人方とは、充分に親しくさせて頂いたよ。……こいつの目を盗んで。後は、あの連中の気が変わらないように、せいぜいご機嫌取りに励むだけだ。
ジョイントも、くれるしね。
世の中、本当、上手く出来ているよ……。
と、いつも通りの短調で退屈な日々を送っていたのに。まさか、鳶に油揚げを攫われるどころか、大鴉に僕の大切な友人たちをかっ攫われるとは思ってもみなかったよ……。




