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53 リフレイン

 片羽の大鴉は

 地上に堕ちてなお

 冷ややかに嗤う





 コツコツと、二人分の足音が遠ざかっていく。


 僕は自分で自分の口を覆い嗚咽を漏らさないように声を殺す。そして、灯りの届かない物陰から、立ち去って行く二つの背中を見送った。

 白い彼と、あの人は……、白い彼の友人?


 暫くして、また別の足音が響いた。あの控え室から出てきたのは、自分の片腕をぐっと握り締め、顔を歪ませている大鴉だった。足早にその背中が遠ざかる。



 僕は心を落ち着かせようと、大きく深呼吸した。


 

 大勢の足音とざわめきが戸口から流れ混んでくる。コンサートが終わったのだ。口々に互いを労い合う一団の中に、きょろきょろと僕を捜す鳥の巣頭がいた。







 恒例の寮の大掃除を終え、迎えの車の待つ駐車場で、偶然、大鴉に出会った。


 黒いガウンのいつもの格好だ。丁度彼も車に乗り込む処だった。助手席に座る時、変に右腕を庇ってローブの裾を身体を捻って左手でたくしあげている。


 横にいた鳥の巣頭が、その車に乗り込もうとしている若い男に会釈しているので、僕は訝しげにこいつの顔を見上げた。すると「ラザフォード卿だよ」と小声で教えてくれた。


 昨日は白い彼、今日は大貴族の子息……。あの大鴉が特別視されているのも納得がいく……。


 僕たちは、なんとなく彼らの車が去って行くのを眺めてから、車に乗り込んだ。





「あの噂、本当なのかなぁ?」


 好奇心を抑えられない様子で鳥の巣頭が切り出した。


「ソールスベリー先輩の弟と、今の彼が大喧嘩して、弟くんがあの子に大怪我させたっていうんだよ」

「怪我……?」

「ほら、あの子、右手にギプスを嵌めていただろう。骨折したらしいよ、昨夜のコンサートの後に」



「そんなの……、信じられないな。あの大人しそうな子が……」


 いきなりあの時の話題を出されて動揺する僕に、鳥の巣頭はバツが悪そうな顔をして、控えめに、

「まぁ、本人は転んだ、って言っているらしいけれどね」

 と、早々にこの話題を切り上げた。こいつは、僕は他人の噂話は嫌いだと思っているからだ。



 僕は黙り込んだまま、昨夜のことを考えていた。


 あの時の天使くんの叫び声を聴いていた奴が、僕以外にもいたのかもしれない。でも、会話までは聞き取れなかったのだろう。かなり近くにいた僕だって、全部聞き取れた訳じゃないもの……。あの時の様子からすると、大鴉に怪我を負わせたのは、白い彼だ。恐らく、白い彼が天使くんを傷つけようとして、大鴉が庇った。そういう事だと思う。けれど、大鴉も、天使くんも、その事実は伏せているということか。



「昨夜、ソールスベリー先輩を見かけたよ。弟さんの演奏を聴きにいらしていたんだね」


 僕は昨夜の白い彼の剣呑とした言葉を思い出し、一旦終わったこの話題を蒸し返した。


「うーん、どうかなぁ。先輩の米国の親族嫌いは有名だからねぇ。後見をしている奨学生(カラス)の子の方の様子を見に来たんじゃないの? お兄さんも一緒だったし」

「お兄さん?」

「ほら、さっきのあの子のお兄さんだよ」


 僕が訊き返したので、鳥の巣頭は喜々として喋り始めた。話したくて堪らなかったみたいだ。

 僕は今朝の朝食も取らなかったから知らなかったけれど、やはり食堂での話題の中心は昨夜のコンサートだったらしい。特に久しぶりに白い彼が訪れた事で、蜂の巣を啄いたような騒ぎだった、て。



 あの時の白い彼の連れは、白い彼が転校した先のウイスタン校での彼の同期で、白い彼の創った会社の一番のブレーンなのだそうだ。

 エリオット校にいた時から、誰にでも公明正大、公平で分け隔てをしない白い彼は、その反面、親友と呼ばれる友人は非常に少ないのだそうだ。


 その彼自ら親友と言って憚らないのが、昨夜、連れ立っていた人なのだという。



「あの問題児の後見を引き受けているのだって、その日本人の友人の為だっていうからね。きみは知らないだろうけれど、先輩がいきなり転校したのも、その日本人と同じ学校に行く為だった、って噂されているくらいなんだ」



 自身をあんなに慕っている子爵さまを裏切って、転校してしまった白い彼……。その彼を、そこまで夢中にさせている昨夜の人……。


 僕は一気に雪崩込んできている情報量の多さに、吐息を漏らした。



「大丈夫、マシュー。疲れているんじゃないの? 昨夜もあんなに泣いて……。きみは感受性が豊かだから……」


 鳥の巣頭が僕の手をそっと握った。



 僕は、昨夜の訳の解らない感情の昂ぶりを、鳥の巣頭には、久しぶりに聴いたコンサートの演奏に感動したからだ、と説明していた。

 鳥の巣頭なんかに、話せる訳がなかった。


 僕は俯いて眉根を寄せ、唇を引き結んだ。こいつの手をぎゅっと握り締めた。こいつが、ますます心配そうな顔をして、僕を覗き込む程に……。





 自分自身でさえ、何故あの時、あの言葉がああも心に刺さったのか理解出来なかった。




 ――この子の容貌が、昔のきみを思い起こさせるからって、それはこの子のせいじゃないよ!



 僕は決して、天使くんにかつての自分を重ねている訳ではない。

 彼を傷つけることで、あの頃の、弱い、ただ、弱くて何も出来ない自分の痛みを踏襲している、なんて、ありえない。




 ――これ以上、この子を傷つけないで。それはきみ自身を傷つけているのと同じだよ。



 あの人の言葉が頭の中で鳴り響く。まるで鐘の音のように。何度も。何度も。



 ――幼かったきみを、誰も守ってくれなかったのなら、僕が守るよ。きみがこれ以上幼いきみを傷つけないように、僕が守るからね。



 そんなふうに、誰かに言って貰いたかったなんて、僕は思わない……。絶対に、思わない……。




 僕は、そんな、弱い、自分なんて、いらない。


 そんな自分なんて、殺してやる。







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