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47 青い月

 捩れる光は

 歪んだ月の

 螺旋の幻惑





 子爵さまの寮を訪ね面会を申し込んだ。やがて現れた子爵さまは、取り巻き連中に鳥の巣頭の名を出して、言い訳がましく僕を生徒会の友人の後輩だと説明した。「何か問題でもあったの?」と、苛立ちを押し隠しながらも、自分の部屋でも談話室でもなく、個別の自習室に僕を案内した。


 僕はフェローズの森で見たことを掻い摘んで話した。


 不機嫌そうだった子爵さまの面が蒼白となり、唇が小刻みに震えた。


「心配要りません。もう一度行えばいいだけです。今晩、医療棟の病室は彼しかいません。それに、今夜の当直はブラウン先生だ。彼はね、」


 ジョイントを吸う素振りをしてみせた。

 常習のあの先生とは蛇の頃から懇意していて、大抵の事は眼を瞑ってくれる。僕が何度も医療棟にお世話になっても全く問題にならなかったのはそういう訳だ。


「話をつけておきますから」


 亡霊のように生気を欠いた子爵さまを励ますように、その腕に手を掛けた。


「写真を撮るんです。彼の……思い切り惨い写真をね。あの彼の、ソールスベリー先輩の弟ですよ。あんな事件があったばかりで、世間が今一番注目しているあの彼の。あなたを脅してきたところで、スキャンダルにされて困るのは向こうの方ですよ。あの場にいたのはカレッジ寮の奨学生(スカラー)であることは、間違いないのですから。ソールスベリーの傷になるような真似をする訳がない」


 子爵さまは、蒼白なまま頷いて、僕を抱き締めた。


「ありがとう」


 囁かれた声に応えるため、僕は子爵さまに軽く啄むキスをあげた。


「消灯後、医療棟で」





 念には念を入れて、ブラウン先生には納得ずくで睡眠薬で眠って頂いた。世の中、知らない方が良いことなどごまんとある……なんて、先生方の方がよくご存知だ。

 それにしても、医療棟というのはこういう時、実に便利だ。大抵の薬品が至極簡単に手に入る。僕も眠れなかった時、睡眠薬を処方して貰ったこともあったけれど、僕には合わなかったらしく悪夢が酷くなっただけだった。例え多少の睡眠が取れるにしても、あれでは割に合わなかったので直ぐにやめてしまった。



 夜中を廻ってから、子爵さまはお供を二人連れてやって来た。僕のことを、見張りに雇ったと説明している。お仲間に加わるつもりはなかったから、それで一向に構わない。



 キシキシと古びた床板を軋ませて、天使くんのいる病室へ向かった。昔の造りそのままの、重厚なオーク材のドアの前まで来て立ち止まり、僕は横の腰壁に凭れた。子爵さまたちはそのまま中へ入って行く。



 口を塞がれたのであろうくぐもった悲鳴と、暴れてベッドの軋む音が、開け放されたままのドアから聞こえる。僅かに隙間を残してドアの大半を閉めた。



 ここに来た時には降っていた霧雨は、もう止んでいるようだった。

 ゆるりと流れる黒雲から満月に近い月が顔を覗かせている。雨跡を残す窓ガラスは、その月の(おもて)を歪ませ不安定な青白い光を辺り一面に振り注がせる。


 煌々と輝く月光が飴色の廊下に窓枠の十字の影を刻む中、僕は水底のような青に揺れる廊下にだらりと座り込んだ。柔らかく、それでいてひんやりとした床板の木の感触がトラウザーズを通して伝わってくる。




「うぅ……」


 戸口の隙間から漏れ聞こえるあの子の呻き声。

 子爵さまの荒い息使い。


「あ……」


 下卑た笑い声と、連続するシャッター音が、静まり返った廊下にも鈍く響く。




 おもむろに煙草を取り出し、火を点けた。

 そして、その時、偶然手に触れた携帯プレーヤーを思い出し、取り出してイヤホンを耳に差し込んだ。


 小フーガ ト短調だ。


 ランダムに再生されるフーガの中で、これが一曲目だったことが、無性に嬉しかった。


 冴え冴えとした月光が、静寂もまた青く染める。遍く淡い輝きにフーガの螺旋が纏いつく。

 銜えたままの煙草から真っ直ぐに紫煙が立ち昇る。まるで、あの月を目指してでもいるように。月に行き着く前に揺蕩い消えてしまう煙の行方を目で追いながら、流れ込むフーガの荘厳な調べに恍惚として酔いしれた。





 パイプオルガンにかき消され、霞む外界の音の中に微かな鴉の羽音を聞いたような気がして、イヤホンを外してドアの隙間に眼を向けた。


 キィィ、とドアが大きく開き、子爵さまが不機嫌そうに僕を見下ろした。

「もう、いいのですか?」

 立ち上がり小首を傾げた僕に子爵さまは軽く頷いて背を向け、きゅっと踵を返して出口へ向かった。


 お仲間にあの子がやられる処を見たくない。と、いうことか……。

 一人でやるだけの度胸もなかったくせに。独占欲だけは一人前だ……。




「このままジョイントを吸いにいらっしゃいますか?」


 子爵さまは、また黙ったまま頷いた。








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