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45 玩具

 水鏡に映るナルキッソスの影

 それはきみ

 そして、きみの中の僕





 案の定、今日の子爵さまは落ち着きがなかった。ジョイントの吸い方が雑だ。そんなんじゃ、いい気持ちになれないよ。二本目のジョイントに火を点けようとした子爵さまを、僕は止めた。


「すまなかった。もし、罪深い僕の存在がきみの人生を狂わせてしまったのなら、きみに殺されても構わないよ」


 怪訝そうに、子爵さまは僕の顔を睨めつけた。いったい何が言いたいのだ、と。


「あなたの心を占めている人の、あなたが今、一番知りたくてならない言葉なのでしょう?」


 子爵さまは一段と眉を潜める。仄暗い室内に輝く蝋燭が、子爵さまの彫りの深い顔立ちに更に深い陰影を刻み込む。


「あの中継を見ていた友人が教えてくれたんです。その子、読唇術が出来るんです。だから……。ソールスベリー先輩がマーレイの耳元で言った言葉は、」


 僕は子爵さまを刺激しすぎないように、控えめな口調で告げた。


「嘘だ……」


 けれど、僕のそんな思いも虚しく、子爵さまは苛立たしげに声を荒立てて、僕の言葉を遮った。眉間に皺を寄せて、不快で堪らないというふうに。


「先輩がそんなことを言う訳がない……」

「……僕にも、それが本当かどうかは、」

「僕の友人にも、同じことを言われたよ……。でも、先輩が、あのマーレイ相手にそんな事を言う訳がないんだ!」




 どうやら僕はしくじったらしい。


 僕は両腕で頭を抱えたまま、ソファーの肘掛に顔を埋めてしまった子どものような子爵さまの姿を、途方に暮れてぼんやりと眺めていた。


 泣いているのかな……。


 ローテーブルの上の蝋燭が揺れる度に、背後の壁に映る子爵さまの影が、しゃくり上げるように揺れる。


 僕はこんな時どうしていいのか皆目判らない。

 子爵さまは、何故こんなに落ち込んでしまっているのだろう?

 僕には、白い彼の言う、この言葉の意味も良く解らない。


 白い彼が新入生(フレッシュ)だった頃から嫌がらせの限りを尽くしていたという百足男に、どうして彼の方が謝るのだろう? 百足男の怪我だって、自業自得じゃないか。それなのに、殺されても構わないなんて……。


 罪深いのは百足男の方なのに……。そうなのか? 本当にそうなのか?

 ああ、そうなのか……。


 僕はふてくされている子爵さまの黄金の髪を掻き上げて、こめかみにキスをした。


「罪深い先輩が、あなたを狂わせてしまったのですね……。あなたはこんなにも彼のことを信じて、大切に想っていたのに。可哀想に……」


 子爵さまはやっと顔を擡げて僕を掻き抱いた。


「酷いだろう? どうしてマーレイなんだ? 一緒に死んでくれると言うのなら、僕が彼を殺してやりたい」


 なんて、なんて、短絡的なんだ、この人は!


「殺してやりたい! 殺してやりたい! それで、僕のものになるのなら……」


 これが、僕を抱き締めて言う言葉か……。


 僕は乾いた笑いを噛み殺す。

 このお坊ちゃんに言った処で解かるはずがない。欲しい玩具が手に入らないとごねる駄々っ子。


 玩具なら、いるじゃないか、もう一人。

 あなたの心を掻き立てる先輩の生き写しが……。



 あなたみたいなお坊ちゃんが、あの白い彼に相手にされる訳がない。顧みられなくて当然だ。

 でも、あの天使くんなら……。



「あの子、先輩の弟、夕方いつもフェローズの森にいますよ。いつも一人で、凄く無防備に……。あんなんじゃ、すぐに誰かに喰われてしまいますよ」


 ほら、顔色が変わった。


「殺せばいい、先輩の代わりにあの弟を。いや、殺さなくったって、あなたのものにすればいいんだ。そうすれば、きっと先輩はあなたに気付いてくれる。罪深い自分が、あなたをも狂わせてしまったことにね……」


 僕は眼を瞠って僕を見つめる子爵さまの唇を喰んだ。



 あの天使くんの翼をもぎ取りたい。叩いても落ない程の泥を浴びせて。


 そうして、絶望に打ちひしがれるきみに、僕はジョイントの白い翼をあげるんだ。


 一緒に飛ぼうよ、天使くん。


 きみが僕の処まで来てくれれば、僕はきっと、きみの中に僕を見つけられる。きみは水鏡の中の僕。

 きみの心が砕けたら、僕が欠片を集めてあげる。


 だから、ねぇ、子爵さま、僕のために彼を壊して。



 浅い夢の中では、子爵さまは酔いきれない。

 僕たちはもう一度ジョイントを燻らせる。

 子爵さまの重たい心が白い煙に包まれて解けて天に舞えるように。


 ねぇ、子爵さま、あの天使くんを捕まえて。誰かに汚される前にあなたの手で。


 視界を遮るジョイントの白い霧が、子爵さまの思考を奪う。


 僕はこの霧の中であなたと交わり溶け合って、あなたの思考を奪うんだ。僕はあなた。あなたは僕。僕たちはくるりと入れ替わる。




 さぁ、彼を捕まえて、僕に頂戴。







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