表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/206

33 六月 螺旋の渦

 あまねく満たす渦の中

 螺子の階段を駆け下りる

 混沌から、静寂へ





 創立祭が済んでも、相変わらず梟は忙しそうだ。


 僕は毎夜寝る前に、鳥の巣頭にジョイントを貰う。


 朝起きた時、頭が重い。すっきりしない。でも、眠れないよりマシだ。学年末試験の間中、鳥の巣頭がつきっきりで僕の勉強をみていた。


 試験は、きっとなんとか大丈夫。……多分。



 国語やラテン語は、夜に僕のベッドに来ることはなくなった。僕はもう眠れるからあいつらはいらない。その代わり試験が終わった途端に、鳥の巣頭がいない夕方に纏わりついてくるようになった。僕は授業が終わった後は疲れきっていて、何もする気になれないのに。だから、終わるまでぼんやりと天井を見ている。気怠くて、何もかも、どうでも良かった。






 やっと、子爵さまの日が来た。


 創立祭や試験で伸び伸びになっていたので、嬉しかった。もう、子爵さまに逢わなくてもジョイントを貰えるけれど、子爵さまのお陰で外で知らない奴の相手をしなくてすむもの。それに、子爵さまのお喋りは楽しかった。とても、緊張するけれど。

 子爵さまは、あの日の光の届かない地下の部屋にいてさえ、太陽のようにきらきらしく、眩しくて。

 僕は恥ずかしさに身を縮こまらせながらも、陽が昇り沈むまでアポロンの姿を追い続けた向日葵(クリュティエのように、その姿を追わずにはいられない。


 創立祭でちらと見かけたきり、校内でもほとんど会うことがなかったから本当、久しぶりだ。



 蝋燭を点けて待っていると、カツンと靴音がした。子爵さまはにこりともせずに、ソファーに腰を下ろした。僕はローテーブルの六本目の蝋燭に火を灯す。

 子爵さまは、黙ってポケットから煙草を取り出すと、蝋燭に近づけ火を移し、ゆっくりと慣れた手付きで吸い込んだ。甘い香りと白い煙が子爵さまに纏いつく。


 ジョイント……。


 僕は驚いて子爵さまの顔をまじまじと見つめてしまった。

 子爵さまの輝きのない曇った(みどりに、僕が映る。


「きみも、吸う?」


 長くしなやかな指に挟んだジョイントを僕に向ける。僕はその指先に顔を寄せて、震える唇にそれを銜えた。


 子爵さまと同じ白い煙が僕を満たし、溢れ出す。


 子爵さまは、だらりと背もたれに頭を凭せ掛けて、焦点の合わないどんよりとした瞳で僕を見つめていた。白い煙に包まれて。


「きみは綺麗だね」


 さらりと、僕の髪を撫でる。

 そしてやっと、にっこりと微笑んでくれた。こんなふうに子爵さまが僕に触れたのは、初めての気がする。僕が微笑み返すと、子爵さまも笑う。

 僕はもう、こんな薄いジョイントじゃ白い彼さえ見つけられない。ふわりと煙に揺蕩うだけ。でも、子爵さまが嬉しそうだから、僕も嬉しかった。


 


 けれど、すぐにまた子爵さまは沈みきった様子で何度もため息をついた。


「先輩が、ずっと学校を休んでらっしゃるんだ」


 白い灰がぽろぽろと落ちる。涙のように。

 子爵さまは、白い煙をゆっくりと静かに吸い込み、口内に溜めて転がす。呑み込んで吐き出す度に、綺麗な指先から白い涙が零れ落ちる。ぽろぽろと。ぽろぽろと。





 子爵さまが帰った後、僕は鳥の巣頭が来る前に地上へ戻った。日に日に色濃くなる、初夏の日差しを照り返す緑の梢が目に眩しい。木陰に座っていた鳥の巣頭が立ち上がる。僕は鳥の巣頭に腕を廻して抱きついた。


 とても、寂しくて哀しかったんだ。


 鳥の巣頭も、僕を抱きしめ返した。僕は、鳥の巣頭にキスをした。何故だかそうしたかったから。


 


「どういう事?」


 びくりと、鳥の巣頭の背中が跳ねた。

 木の影から現れた子爵さまが僕の腕をぐいと引っ張る。


「話が違うじゃないか」


 鳥の巣頭は俯いたまま子爵さまを見ようともしない。


「追加でもう一時間」





 地下室に戻った子爵さまは、ローテーブルの上のまだ輝きを残していた燭台から新しい蝋燭に火を移し、差し替えた。


「きみ、僕がきみのために幾ら払っているか知っている?」


 テールコートを脱ぎ捨て、ネクタイを解きながら子爵さまはあの深緑の宝石のような瞳を、酷薄に凍らせ僕を睨めつける。


「きみは僕が買ったんだ。他の奴には、きみに触れさせないという約束で。きみのその顔を、誰にも貶めさせたりはしない、て約束したのに。きみはどうして約束を守らないの?」


 そんな事、知らない。

 いや、どうだろう……。言っていたような気もする……。

 わからない……。


「きみは僕のものなのだから、どう扱おうと、僕の好きにしていいのだったよね?」



 乱暴にソファーに押し倒された。

 子爵さまのキスは、どこかアヌビスに似ていた。性急で獰猛で食い散らすように乱暴だった。


 僕の赤い龍……。


 僕はその背に腕を廻す。そっと。


 抱き締める。ぎゅっと。

 ずっと触れたかったこの人の熱い背中に指を這わせる。ドクドクと、脈打つ心臓の音が音楽みたいだ。バスドラムの刻む音が僕を押し流し、赤い龍を更に赤く染め上げる。焔と熱で(たぎらせる。


 白い彼はいない。

 微睡む僕が目を覚ます。

 微睡む僕が、僕と重なる。


 赤い龍が、背筋をうねり駆け昇る。

 (たかまる熱が絶頂に達した時、


「先輩……、先輩」


 甘やかな、喘ぐような声がその名を呼んだ。


 パリンと、僕が砕ける音がした。

 薄い氷を踏み潰した様な、そんな音。


 深淵の底に穴が開いた。

 竜巻のような渦が巻く。僕はぐるぐるに絞られ、ねじ曲がり、どろどろの渦に呑み込まれ、その穴に吸い込まれていった。


 どうして、深淵に底があるなどと思ったのだろう。

 底なんてなかった。だって、ここはウロボロスの体内。永遠に廻り続ける捻れた環。螺旋の渦。



 僕がいきなりくすくす笑い出したので、僕の上で果てて荒く息を弾ませていた子爵さまは首を(もたげ、眉根をしかめて不機嫌な顔をされた。

 僕は子爵さまの汗でしっとりと濡れた、太陽の絹の様な髪の毛に指を差込み梳き上げた。そして、そっと、柔らかくその唇を喰んだ。蛇がいつもしていたように。




 僕はラグビー部の連中は嫌いだ。だって、下手なんだもの。


 教えてあげるよ、子爵さま。

 何も知らないお坊ちゃん。




 ウロボロスの体内は完全な常闇。


 白い彼も、微睡む僕も、もういない。白い影も、赤い龍も。



 みんな、みんな、死んでしまった。渦巻く螺旋に呑み込まれて。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ