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26 三月 パレード

 人が死ぬのを見たことある?

 凄く、呆気ないものだよ。





 学校が始まった。

 梟はすこぶる機嫌が悪い。相変わらず、僕には優しかったけれど。


 僕が梟に呼ばれると、鳥の巣頭は僕を睨んだ。部屋に誰もいない時、いちいちシャツを捲って痕がないか確かめるんだ。鬱陶しくてたまらない。




 梟はずっとイライラしている。

 生徒会内部での対立が激しくなって、いろいろ頭が痛いらしい。梟は自分の派閥を広げる為にいろいろしなきゃいけないのに、金が足りない、と愚痴っていた。


 ラグビー部は春先までずっと練習試合が詰まっている。子爵さまは忙しい。だから、梟は僕に上等のジョイントをくれ、何人もの相手をさせた。あのボート置き場で。勿論、子爵さまには内緒だ。ラグビー部の奴らはいなかったからばれっこない。僕は乱暴な奴らばかりのラグビー部が嫌いだ。子爵さまは別だけれど……。


 でも、鳥の巣頭にはすぐばれた。


 恨めしそうに僕を見て、殺さんばかりに梟の背中を睨めつける。

 でも何も出来はしない、こいつには。だって、鳥の巣頭だもの。梟を糾弾して一緒に放校になるって? そんな馬鹿をするはずなかった。





「ジョイントの顧客リストが漏れている」


 ある日、梟が顔をしかめて呟いた。僕にそんな話をしたことはなかったのに。

 梟がジョイントを売るのを邪魔していた奴はもう卒業したのに、未だに誰かが嗅ぎまわって邪魔してくる。バレないようにずっと気をつけてきたのに尻尾を掴まれたら放校だな、と梟は自嘲的に笑って、煙草を銜えて火を点けた。


 でも、苦笑しながら僕の頭を撫でてくれた。


「お前は大丈夫だ。心配するな。絶対にお前のことは喋ったりしないよ。だからお前も、誰かに何か訊かれても、知らぬ存ぜぬで押し通せよ」


 僕は頷いて梟の煙草を一本貰った。


 鳥の巣頭なんじゃないかと、そんな気がした。あいつが、梟を陥れようとしているんじゃないかと……。


 僕はますます鳥の巣頭が嫌いになった。





 梟はジョイントを僕にくれるのも、誰かを呼ぶのも、学校の敷地内を使うのを止めた。入り組んだ裏通りにある汚れた誰かの部屋だったり、それとは似ても似つかない街一番のホテルだったり。

 でも、上等のジョイントを吸った後、僕は暫くまともに歩けなくなるから、梟は軽いやつしかくれなくなった。寮まで戻れなくなってしまうからね。その代わり、週末だけだったのが平日にも増えた。


 梟はいつも落ち着かなくて、焦っているようだった。


 梟が可哀想だ。


 僕にジョイントを売ってくれればいいのに。そしたらたくさん買ってあげるのに。





 その日は聖パトリックデーだった。


「パレードを見に行こう」

 たまたま土曜日だったこともあって、梟が珍しく機嫌よく僕を誘ってくれた。下級生だけの街への外出は禁じられていたから、僕はこのお祭に連れて行って貰えることが嬉しくて仕方がなかった。



 ハイストリートは、アイルランドのシンボルカラーの緑の服を着た人で一杯だ。

 聖パトリックはアイルランドから蛇を駆逐したっていうけれど、本当かな。僕の呑み込んだ蛇は未だに僕を見張っているのに。


 吹奏楽のパレードを暫く眺めた後、梟はパブに入って緑色のビールを頼んだ。僕には緑色のソーダ水を。

 それは子爵さまの瞳の色に似て、透き通ってきらきらしていた。


「尻尾を掴まれる前に、こっちが尻尾を掴めそうなんだ」


 梟はビールを一気に煽りながら目を細めた。

 僕は何のことか解らなかったけれど、取り敢えず頷いた。梟は僕の頭をくしゃりと撫でてくれた。




 それからどこかのホテルの部屋へ行って、薄いジョイントをくれた。今日は三人だ。窓の外から微かにパレードの音楽が聞こえる。威勢のいいマーチングバンドの演奏だ。


 僕は目を瞑る。白い煙まで緑色に色付いて見える。透き通る緑の煙はどこか優しくて(くすぐ)ったく、何故だか気恥しかった。聖パトリックの追い払った蛇は、きっとアイルランドからイングランドへ逃げ込んだんだ。薄い薄い煙の中、蛇の鱗が緑に光る。きらきらと。


 飛び散る音が木霊する。火花が散るように。




 気が付くと、梟が僕の横で煙草をふかしていた。窓の外はもう真っ暗だ。表からはまだまだ賑やかな喧騒が聞こえてくる。


「起きられるか?」


 目を覚ました僕を見て、梟は目を細めた。

 僕は頷いて身体を起こした。ホテルのいいところは、シャワーがついているところだ。ふらふらしながらシャワー室に入った。


 服を着終わってぼんやりしている僕に、梟は気付けの煙草をくれた。




 薄暗い通りの石畳で、僕は何度も躓いた。その度に梟が僕の腕を掴んで支えてくれた。

「道が悪いな、明るい通りに出よう」

 梟は吐息交じりにそう言って、昏がりからお店の並ぶ大通りへ向かう角を曲がった。



 信号が変わった。

 歩き出そうとした僕の肩に腕を廻し、梟は引き止めるように力を入れた。

「渡らないの?」

 僕は梟を見上げる。


 梟は怖い顔をして、じっと車道の向こう側を睨めつけている。

 僕も、ゆるりとその視線の先を追った。


 黒いローブ。うちの学校の奨学生がぼんやりと立っていた。その人は、何故だか僕、いや、傍らの梟かもしれない、を見て声を上げた。呼び掛けるように片手を上げている。


「……今、行くから、」


 人違いだ。彼が呼んだ名は、僕でも、梟でもなかった。騒音にその声も掻き消される。


 でも、その彼は動かなかった。


 聖パトリックデーのパレードで、ハイストリートは交通規制が掛かっている。そのせいか、こんな時間なのに、いつもは静かなこの通りですら随分交通量が多かった。


 信号が変わる。


 ふらりと、その彼の身体は、つんのめるように前に踏み出した。


 叫び声にも似た急ブレーキを踏む音が、薄闇を切り裂く。鈍い音が跳ねる。叫び声。幾つもの。


 あっという間に人だかりが出来ている。ショーウインドーの灯りの前で、影絵のようにくるくると人が動き回っている。立ったり、座ったり、大声で叫んだり。



 何が起こったのかうまく認識出来ないまま、僕は呆然と立ち尽くしていた。

 梟は僕の両肩を痛いほど掴んでいた。微かに指が震えている。


「やはりお前は俺の守護天使だ」


 背後の梟を見上げると、煙水晶の瞳が燃え立つように輝いていた。梟は僕の腕を掴むと道を渡るのを止め、足下の悪い昏がりの石畳の道に逸れ、逃げるような早足でこの場を後にした。


「あの人、死んだのかな?」


 梟は何も答えなかった。





 寮に戻って、あの地下の空爆シェルターで、梟は初めて僕を抱いた。







セントパトリックス・デー …… アイルランドにキリスト教を広めた聖人聖パトリックの命日。3月17日。

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