表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/206

25 支配

 蛇が脱皮するように

 こいつは自分を脱ぎ捨てた

 中から出て来たのは別の生き物





「兄さんがいる時、きみはいつも甘い香りがしていたね?」

 横たわる僕の髪を丁寧に梳き上げながら、鳥の巣頭が僕に訊ねる。僕はもう疲れ果てて眠いのに。

「地中海の庭、貰ったんだよ」

「誰に?」

「誰って……。アヌビ……。ああ、そうか、貰ったのはナイルの庭だ」

「学校にいる時は違う香りがしている」

「だから、地中海の庭だって」

「誰に貰ったの?」

「寮長」


 煩い。しつこい、鳥の巣頭。おが屑頭のくせに……。


「マシュー、」


 煩い、まだやる気なのか。


「ジョイントって何?」


 鳥の巣頭の唇の触れる背中が、びくりと跳ね上がった。心臓が、ドキドキと、もの凄い速さで脈打っている。


 梟に怒られる……。気付かれるな、て、言っていたもの……。


「誰に痕をつけるな、って言われたの?」


 鳥の巣頭が僕の肩に歯を立てる。


「答えて、マシュー」


 僕はもちろん応えなかった。


「マシュー」


 目も耳をしっかりと塞いだ。


 煩い、煩い、煩い! 鳥の巣頭のくせに!


 白いシーツを握り締めて、小刻みに震える僕を鳥の巣頭が抱き締める。伸し掛る。我が物顔で。


「マシュー」


 囁く声が僕を追い詰める。やめろ! その名を呼ぶな! 僕はお前なんか知らない!





 鳥の巣頭がジョイントをくれた。

 あの森小屋で。


 スノードロップが咲いていた。


 僕はこの花が嫌いだ。

 視界に入るのも嫌だったから、ずっと俯いていた。

 真っ白に染まる小径を、足の裏にサクサクとした霜の抵抗を感じながら、黙りこくって鳥の巣頭の後ろに従って歩いた。




 鉄製の薪ストーブに火を入れて、やっと部屋が温まった後、アヌビスの銀のシガレットケースをポケットから出された時は、自分の目を疑った。


「誰にも言わないから安心して」


 鳥の巣頭が僕の肩に腕を廻す。僕が銜えたジョイントに火を点けてくれた。白い煙がふわりと立ち上る。


 白い彼が微笑んでいる。


 僕に会いたかった?

 僕もだよ。


 僕はゆっくりと、少しずつ、白い彼で胸を満たした。

 ほら、白い彼は僕を蕩かす。

 鳥の巣頭に凭れ掛かって、少しずつ、少しずつ、彼を解き放つ。僕はもう彼。彼と一緒に溶け出して揺蕩う。


 嬉しくて、嬉しくて、くすくす笑い出した僕を、鳥の巣頭が、あのでかい目をもっとでかくして見つめている。僕は益々可笑しくて、声を立てて笑い、鳥の巣頭にキスしてやった。


「まだだよ。吸い終わるまで駄目」


 シャツの中に入れてきたこいつの手を、掴んで止めた。

 白い灰がポロポロと落ちる。


 正面にある窓の傍に、子爵さまが佇んでいる。背中を向けて。雨が止むのを待っている。


 涙がぽろぽろと零れ落ちた。


 顔を背けて、薪ストーブの小さな窓から覗く金色の炎を覗き込んだ。

 きらきらと躍る煌き。パチパチと跳ねる色彩。


 僕は、助けて、と白い彼を吸い込む。彼は、僕を分解して溶かして流す。ぽろぽろと灰と一緒に零れ落ちる僕。



 微睡む僕には会えなかった。



 天井に大きく張った蜘蛛の巣が、膨張した空気に揺らめく。蜘蛛が僕を狙っている。

 背中に当たる固いラグに溶け出した僕が染み込んでいく。細い繊維の中に隠れて、僕はこっそりとあの蜘蛛から逃れるんだ。


 僕の中にストーブの小さな炎が燃え移る。熱く。激しく。突き上げる。僕を灰にするために。


「マシュー」


 何処かで誰かが呼んでいる。


「答えて」


 木霊のように繰り返される。


 答えて。答えて。応えて。こたえて。たえて。堪えて……。



 ――約束する。次も必ず僕が来るから。



 逢いたい……。彼に、逢いたい。





 鳥の巣頭がジョイントをくれたのは、たったの一度切りだった。

 嘘つきの鳥の巣頭。やっぱりおが屑野郎だ。お前なんかストーブの中に着火剤替りに放り込んでやりたい!


 前よりももっと重たい頭に、重たい手足。

 ぐったりと起き上がれない僕。

 それなのに、こいつはジョイントをくれない。


 役立たず!


 僕は思い切りこいつを罵った。手当たり次第に手近なものを投げつけた。枕とか、時計とか。


 それなのに、力じゃまるで叶わなかった……。


 僕は組み伏せられてされるがままだ。



「僕はきみだろう? きみが僕にそう言ったんだよ。僕だけがきみの痛みを解ってあげられる。だから、そんなふうに言ったんだよね。きみは、僕が好きなんだよね?」


 お前なんか大嫌いだ。


「もう寮長と寝ないで」


 梟はそんなことしない。それなのに、何度違うと言っても信じてくれない。


「きみがもう、誰ともこんなことをしないのなら、僕がきみにジョイントをあげる」


 嘘つき。お前の言うことなんて信じられるか。たった一本のジョイントで僕を騙した。アヌビスよりも(たち)が悪い。



「僕がきみを守ってあげる」




 吐き気がする……。

 誰か、僕を助けて……。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ