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19 白樺の林

 秋晴れの空に、白い煙が揺蕩う。

 真っ直ぐに、蒼を目指す。

 何の迷いもなく。




 アヌビスはちゃんとジョイントをくれた。

 森小屋まで行っていられなかったから、僕は柔らかに生い茂る草の上に腰を下ろし、白樺の根元に凭れてそれを吸った。


 濃い緑の中の白い幹が輝きを放ち出す。木漏れ日を白が弾き飛ばす。ここは僕の楽園。この白い兵隊たちが、僕を守ってくれる。どんな香水よりも心地よい草の香りに、ジョイントが甘やかな華を咲かせる。


 ああ、良かった。

 白い彼は、きっとここにいるんだ。

 この白樺の一本に化けているんだ。

 しつこいアポロンから逃げ出した、ダプネーのように。


 僕はきみを見つけたよ。

 ジョイントから立ち上る白いきみ。

 見つけたよ。


 僕は声を立てて笑っていた。



 白樺の陰から、鳥の巣頭が近付いて来た。僕の前に立ち、手を差し伸べる。僕はその手を笑って掴んで、思い切り引っ張った。

 崩れ落ちてきた鳥の巣頭を、僕は強く抱き締めた。


「ごめんよ。今朝の僕はどうかしていたんだ。きっと、きみに冷たくされて悲しくて、あんな態度を取ってしまったんだよ」


 せいぜい哀れっぽい声で囁いてやった。



 朝、鳥の巣頭は僕を浴室に連れて行ってくれた。歯を食い縛って、僕を支えて。

 湯船にお湯を張ってくれた。僕の身体を洗ってくれた。

 僕はこいつの腕を引っ張った。今みたいに。

 バスタブに落ちたこいつに馬乗りになって、何度も、何度も、湯船の中に、この頭を突っ込んでやった。


 息が出来ないだろ?

 苦しいだろ?

 僕みたいに。


 楽しくて、楽しくて、ずっと口元が緩んでいたよ。


 ぐったりして、もう抵抗しなくなったから引き上げてやったら、こいつはゲホゲホと、呑み込んだ湯を吐き出していた。

 僕も、何度も、そうやって吐いたよ。

 もっとも、僕が吐いたのは別のものだったけれどね。

 どろどろに溶けた白い彼。

 だらりと僕の口から溢れるそれは、まるで繭の中で死んでしまった蚕のよう。


 僕は優しくこいつにキスしてやったよ。

 舌を絡めて唇を離すと、きらきらと光る糸を引いた。


 ほら、僕はきみを絡め取った。


 今度は僕の番。

 あいつらが僕を食べたように。僕がきみを食べる番。


 蜘蛛のように、ガジガジと食べて穴を開けるんだよ。

 そこに消化液を流し込むんだ。それで中身はどろどろになる。

 どろどろの中身だけ、吸い出すように食べるんだ。

 身体はちゃんと残るからね。食べられたって誰にもばれやしないから。安心して。


 僕は、きらきら光る、ねばねばの糸の上に落とされた蟻。今度は僕が落とす番。




「可哀想なきみは、僕。好きだよ」


 ほら、僕はきみで、きみは僕だ。僕たちに境界線なんてないだろう?

 この白い煙の中で。

 溶け合うんだ。熱く。

 どろどろになったきみを、僕が食べてあげる。



「きみは、心が病気なんだ」

 僕を強く抱きしめて、鳥の巣頭が囁いた。


 僕は笑ってしまったよ。


「うん、そうだね、きっと。きみのせいだね」


 きみがあの時、僕を、一人残して行ってしまったから。

 きみがあの時、僕を、抱き締めたから。

 きみが、僕を、この家に連れて来たから。

 きみが、僕を、アヌビスに引き合わせたから。


 僕がこんなに寒いのは、全部、全部、きみのせい。


 でも、いいんだよ。世界はこんなにも美しいから。

 僕はきみを、許してあげるよ。




 ジョイントを吸うとお腹が空くんだ。びっくりするほどね。


 僕は夕食の席でたくさん食べたし、たくさん喋った。たくさん笑いもした。だって楽しかったからね。

 アヌビスは時々眉を吊り上げて、僕を睨んだ。僕を無視して喋っていた。子爵さまとね。


 子爵さまは取り澄まして、それはお上品に食事をなさっておられたよ。礼を欠かないように、にこやかに相槌を打ち、料理を褒め、世辞を言う。お節介夫人も大喜びだ。

 子爵さまは、やっぱり僕を無視していた。でも、時々、僕をちらちらと見ていた。


 白い彼を探しているんだね。


 僕はもう、怒ったりしない。

 そんなこと、どうだっていいからね。


 食事は美味しくて幾らでも食べられたし、テーブルの上のキャンドルの揺らめきから、妖精が生まれて飾られている花の上で踊っている。漂う香りは、メヌエットを奏でる、飛び交いぶつかり合う音符のよう。

 楽しくって仕方がないよ。


 忘れ去られた鳥の巣頭は、一人黙々と食事を口に運んでいた。



 食事が済んだら、僕は直ぐに部屋へ戻った。アヌビスが僕たちにカードを教えてやる、と誘っていたけれど。


 今の間に、もう一本吸っておきたかったもの。

 僕の夜は、死の番人に見張られているのだから。




 バスタブに浸かってジョイントを吸った。

 白樺の林の上に掛かる、細い、細い月が、蛇の目のように妖しく輝いている。


 僕はゆっくりと、白い煙を吐き出した。

 煙と一緒に、この温かい揺らぎの中に僕が溶け出す。


 蛇はもういない。


 どんなに長く煙を吐いても、あの月にまで届かない。




 部屋に戻ると、鳥の巣頭が僕を待っていた。僕のベッドに腰掛けている。


「そこ、どいてくれる? きみのお兄さんが来るから、もう自分の部屋に戻って欲しいんだ」


 僕はにっこりと、鳥の巣頭に微笑み掛けた。








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