187 カフェテリア
星降る夜に
零れ落ちる
祈りの欠片
「怪我は大したことはないよ。打撲と軽い捻挫。全治三週間てところだよ」
「可哀想に」
僕は居た堪れない思いで吐息を漏らした。
「聞いていた計画とまるで違う。元々誘拐とか、そんな話じゃなかった。ひと気のない場所であの子に絡んで、恐怖心を煽る、そんな程度だったのに」
「その計画自体に無理があるからね、面識はないといっても、あの子たち生徒会役員だからね。口を利けば気付かれたかもしれない」
銀狐の尤もな意見に嘆息する。
「こんな中途半端な形であの子たちが捕まってしまったら……。元も子もないよ」
「それは大丈夫。目撃証言には気を遣っておいたからね」
銀狐は僕を振り返り、にやりとした。そんな彼に、僕もくすりと笑みを返す。
「本当に、きみは頼もしいよ」
寮の夕食時間と重なって、案の定ひと気の絶えているカフェテリアで、僕たちは楽な壁際のソファーに座った。
「これはきみの分」
カフェテーブルに置かれたサーモンのベーグルサンドとカップスープに、小首を傾げて彼を見た。
「また最近食べてないだろ? 目の下にクマが出来ている」
「ああ、これは違う」
唇に人差し指と中指を当ててみせる。
「吸っているの?」
途端に彼の表情が険しくなる。
「見逃してくれよ。もう一芝居打たなきゃいけないんだ。だから、食事は……」
取れるはずなのだ。本来なら。ジョイントを吸えば、お腹は空くはずなのだから……。
でも、彼の見立て通り、僕はこのところ碌な食事を取っていなかった。朝、歯磨きや洗顔をするように、栄養剤を機械的に口に放り込む。それだけだ。
「それ、銀ボタンくんの考案したメニューだよ。特製ソースなんだ。ここのカフェテリア、食べられるものが置いてないからって、厨房に掛け合ったんだって」
苦虫を嚙み潰したような顔で吐息を漏らしながらも、彼は話題を変えてくれた。ほっとして、僕はその皿を自分の近くにまで引き寄せた。
「彼、本当に食べ物に詳しいんだね。自分で作るなんて、僕にはとても想像できないな」
「睡眠と食事は、健全な心と身体を育てる基本だって」
「なるほどね、僕はそのどちらも取り逃がしてる。……彼の作るものは、好きだけどね」
温かいスープを一口飲み、添えられているナイフとフォークで、ベーグルサンドを切り分けた。
「何故だろうね、僕は彼の作るものを食べると、泣きたい気分になるんだ」
「愛が籠っているだろ? フェイラーの偏食もお陰でかなりマシになった」
え?
一瞬戸惑った僕を見て、銀狐はくすりと笑った。
「言ったろう? 彼は見かけによらず世話好きだって。病気がちなお兄さんに食べてもらえる様に、少しでも食べ易くて美味しいものをと、工夫したそうだよ。今はそうやって蓄えた知識をフェイラーの為に使っている」
「天使くんも、なにか持病があるの?」
「おそらく、摂食障害だろうね、あれは」
返す言葉が見つからず、黙り込んで視線を落とした。
可哀想な天使くん……。
あんな目に遭って、どんなに平気そうに振舞っていても、心はやはり悲鳴を上げていたのだ。僕と同じように……。
「銀ボタンくんが、彼が、傍に居れば、きっと良くなるよ」
「そう思うよ」
銀狐は、物憂げに頷いた。
そんなにも繊細な天使くんを、ちょっと脅かすだけ……、だなんて、僕は何て安易に物事を考えていたのだろう……。
「……他に、他にいい方法を思いつくなら……」
伏せていた目線を上げ、銀狐を縋りつきたい想いで見つめた。
「警察には、熱狂的なフェイラーのファンが握手を求めようとしただけで、いきなり車が停まりドアが開いた事に動転した別の子が、誘拐と勘違いして悲鳴を上げた事で、あんな惨事に繋がったように見えた、そういった目撃証言を出しておいたよ。裕福な家の子が多いからね。割りに多いんだよ、こういった誤解って。地元の警察も辟易するほどにね」
「誘拐未遂ではない……、って?」
銀狐は軽く頷いた。
「警察もそれで納得していたよ。プロフェッショナルのボディーガードのついているフェイラーに、あんなずさんな誘拐はあり得ない。少なくとも、プロの仕業じゃない」
ボディーガード……。それも僕は初耳だったんだ。
「どちらかと言うと、フェイラーのボディーガードの気を削ぐ方が大変だったって、監視役の子が言ってたよ」
帽子とサングラスで顔を隠したボート部の子たちが、フェイラーに腕を伸ばした途端に「誘拐だ!」と叫んで彼らを牽制し、二人いるボディーガードが対応出来ないように悲鳴を上げて「助けて!」、と彼らにしがみついて足止めまでしてくれたのだそうだ。
「さすが奨学生だね……!」
銀狐の手配してくれた護衛役の子たちの対応の見事さに舌を巻き、僕は感心して目を見開いて彼を見つめてしまった。天使くんを守ること、それでいて、あの子たちが捕まらないように上手く逃がすこと。事前のシナリオとは違う展開であっても、咄嗟の判断が出来るのはやはり優秀な奨学生ならではに思えた。
銀狐は自分が褒められたみたいに、少し照れ臭そうに首を竦めた。
「それで、大鴉……、銀ボタンくんは?」
銀狐は金の瞳を細め、一、二度軽く頷いた。
「ショックを受けていたよ。キングスリーの怪我は想定外だ」
「可哀想に」
怪我を負った彼も、天使くんも、大鴉も……。僕のせいで……。罪深い、僕のせいで……。
僕は彼らを生贄の祭壇に捧げ、僕の願いを叶えてと、天に向かって腕を伸ばす。
こんなにもなんの関係もない彼らを傷付け、罪を重ねながら、僕は願う事をやめられない……。
「暫くは、かなりの厳戒態勢でフェイラーの身辺を警護する。ハーフターム明けに、その警護を解除する。その時に、」
「予定通りに決行だね」
無理に口角を引き上げ、頷いた。
「ハーフターム……、もう一度あいつに逢える。きみに感謝するよ」
銀狐は何か言いたそうに眉を寄せて、僕を睨んだ。でも、何も言わずに自分のベーグルサンドを掴むと、がぶりと、かぶりついた。
「いいだろ、別に。ベーグルだってサンドイッチなんだから」
唖然として見ていた僕に、彼は怒ったように膨れっ面をして告げた。
いや、怒っているのではなく、頬にベーグルが詰まって膨れっ面になっていただけかもしれないが……。




