表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/206

137 狼

 寓話に隠された

 真実は

 時に

 とても残酷




 ハーフタームの前日に、寮対抗ラグビー大会が行われた。


 僕はボート部の二人を連れて、買い出しに街へ出掛けることになった。試合が終わった後の打ち上げティーパーティーのためだ。

 エリオットの行事には独自の伝統があり、このラグビー大会の後に出される定番スイーツというものがある。

 砕いた焼きメレンゲと生クリームを合わせ、それに苺を加えてぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べる。いかにも手の掛からない即席スイーツだ。


 買い置き出来る二点は事前に用意しておき、注文しておいた苺は当日届けてもらうのだが、今年は苺の状態が悪かった。傷んでいたり、潰れていたりで使えないものが多く、急遽足りない分を買い足して来ることになった。各寮ごとに材料を仕分けたり、器やスプーンを用意したりと雑用は山ほどあり、各寮の寮長と不備のないように連絡を取り合わなければならない生徒会は猫の手も借りたい忙しさだ。手の空いているのが、風邪で長期欠席し役割を振り分けられていなかった僕しかおらず、苺とは言え大量に購入するので一人では心もとないと、次年度役員の彼らを付き添いで付けてもらったのだ。



「ゲームが終了するまでまだ時間があるから、焦らなくていいからね」

 こんな時まで心配そうな顔をする鳥の巣頭に笑顔で返し、僕たちは会場のグラウンド脇から急ぎ坂道を下ってハイストリートへ向かった。つもりだった。


 ボート部の二人は、「マクドウェルさんがお待ちかねですから」と、小声で告げ、僕をあの、梟と最後にあったフラットへ連れて行った。そして道途中で、「話が終わったらあそこで待っていて下さい」とカフェを指差すのも忘れなかった。

「苺は?」

 と、訊ねると、そんな事二の次でいいとばかりに鼻で嗤われ、「僕たちで済ませておきます」としたり顔で言い返された。


 もとよりマクドウェルに逢って話しを詰めるつもりだったので異存はなかったが、彼ら二人が余りに用意周到で抜かりのないことに驚いていた。

 それはマクドウェルが現状に満足出来ず彼らを急き立てているのではないか、という連想に結び付き、急に緊張で足が震えた。




 インターホンを押し、表玄関を開けてもらい、マクドウェルの待つ三階の部屋へ上る。今度は鍵が掛かっていたので、またインターホンを押す。


 ドアを開けてくれた彼は、創立祭の時と変わらない、慇懃な紳士的な素振りで僕を迎えてくれた。

 僕は彼越しに、部屋の様子に目を配った。

 前のフラットと同じ。白い壁にフローリングの床、ソファーに、ローテーブル、ベッドマットレス……。

 吐き気がしそうだ。

 前に一度来たことがあるはずなのに、部屋の記憶など欠片も残っていない。それなのに、この部屋の設えが只々気持ち悪かった。




「どうした坊や? 顔色が良くないな」


 マクドウェルは僕の顎を指の先で上向かせ、確かめるように眉根を寄せると、ぽんと背中を一つ叩きソファーに座るように促した。


「今にも倒れそうじゃないか。気分が悪いのかい?」


 あなたが怖いだけだ。


 なんて、言えるはずもなく。無理に口角を上げて笑顔を作り、焦って首を横に振る。


「あの、どの位売り上げたらいいのでしょう?」

 あれこれシミュレーションしていた語群なんてすっかり飛んでしまって、率直に訊ねてしまっていた。ジョイント一本の値段すら知らないのに。


「まぁ、そう慌てて話さなくてもいいだろう? お茶でも淹れてこよう。今日はあのファグたちはいないのかい?」

 マクドウェルは煙草を銜えながら、目を眇めるようにしてドアを一瞥し、顎をしゃくる。今日の彼はサングラスをしていなかったので、その凍てついた冬の空のような灰色の瞳を僕はそっと盗み見ていた。返事を待つこともなく、マクドウェルは別のドアの向こうへ消えた。


 この人、もしかして……。


 自分の想像に噴き出さないように下を向いて、奥歯をきゅっと噛みしめた。


 だって、彼、垂れ目で、おまけに目尻には笑い皺があって、凄く人が好さそうに見えるんだ。金色の睫毛に縁どられたあの瞳には、ぞっとするものがあるけれど……。


 まるで紳士の皮を被った狼だ。


 ふと『赤頭巾』の童話を思い出した。優しいおばあさんだと思ったら、中身はとんでもない狼で、僕みたいな子どもは丸呑みで食べられてしまうんだ。あの灰色の瞳がそう告げている。


 お前を食べてやるって。



「きみ、砂糖は?」


 顔を上げると、狼が笑みを湛えて角砂糖を摘まんでいた。


「二つ……、お願いします」


 戸惑いながら囁くような声で答えた。


 さぁ、ここからが問題だ。彼が僕に何をさせたいのか、どれだけの事を要求して来るのか。今まで梟の言う通りに動いていただけの僕が、この狼の要求に応えることが出来るのか……。



 僕は今すぐ逃げ出したい衝動に駆られながら、ぎこちなく彼の淹れてくれた香り高い紅茶をこくりと飲み下した。




 

ファグ…… パブリック・スクールで特定の上級生につき雑用をする従僕のような初級生のこと。現在この制度は廃止されています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ