129 戻ってきた天使
光に跳ねるきみには
影がないと
僕は勝手に信じていた
天使くんが帰って来た。
最後に彼を見たのは、携帯の画面の中、大鴉と笑い合っていたクリスマスの画像だ。あれからもう半年になる。
天使くんが戻って来てから、一人でいるところを見たことがない。常に友人と一緒だ。だけど、その輪の中に大鴉はいない。全体朝礼で天使くんを見かけた時なんて、彼の瞳はずっと誰かを探しているかのように彷徨っている。そしてそれは、大鴉の背中を見つけるとほっとして緩むのに、決して声を掛けることも、以前のように傍に寄ることもない。
切なげに大鴉を目で追うだけの彼を見ていると、僕まで胸が苦しくなる。以前はあんなに、彼が大鴉に接近するのが、嫌で嫌で仕方がなかったのに。
僕にはやはり天使くんは特別な存在で、僕の分身のような親近感があるのかも知れない。僕と同じ、白い彼の影だから。僕と同じ、大鴉に囚われているから。
けれど、僕にはない、綺麗な翼が天使くんの背にはある。
腐った僕が絶対に傍に寄ることが出来ない大鴉の傍に、僕の代わりにいて欲しい。そんな歪んだ願いを持っている。兄である白い彼に似た天使くんの面差しに、僕の面差しを重ねている。
大鴉のあの噂が立つまではいつも一緒にいた連中は、掌を返したようにいなくなった。
でもその中で、ずっと以前から彼と親しかった連中だけは、彼とすれ違う時、悔しそうに唇を噛んで顔を伏せる。
大鴉に裏切られたと思っているのだろうか?
大鴉の方は、かつての友人たちに一瞥もくれない。真っ直ぐ前に進むだけだ。とは言え、大鴉はカレッジ寮の上級生に守られて、以前のように通りすがりに嫌味を言われたりすることはぐっと減ったから、僕はかなりほっとしている。
今季のカレッジ寮の寮長は、鳥の巣頭の友人で、子爵さまや銀狐の親友でもある。白い彼と同じプレップ出身で白い彼を尊敬しているし、白い彼は大鴉の後見人でもあるから、特別、大鴉には目を掛けているのだろう、と鳥の巣頭が言っていた。「何と言っても、去年のことがあるからね」と、ため息混じりで。
前年度のエリオット校サイバー攻撃事件は、この学校の五百年に渡る歴史に刻まれる大事件だもの。
結局あの事件は、ウイルスの感染源が本当に大鴉の携帯だったかどうかも特定されないまま、うやむやの内に終わった。その携帯を直接触っていた子爵さまや鳥の巣頭たちにしてみれば、間違いないのだそうだが。
鳥の巣頭にしてみれば、大鴉は顔も見たくない疫病神、というところか。
カレッジ寮の対応で落ち着いてきたとは言え、噂がすっかり収まった訳ではない。あんな噂なんて僕は信じていなかったけれど、下手したら放校、という鳥の巣頭の言葉が耳について離れなかった。
僕は、生徒会執務室に篭るよりも、カフェテリアで休憩することが多くなった。だって執務室では、示し合わせてでもいるように、大鴉に関する話題を口にしないのだ。噂話を聞くにはカフェテリアが一番だった。
壁と一枚張りの窓ガラスの角になるテーブル席を選んで座った。テーブル一つ飛ばした場所に、天使くんとその友人がいたのだ。大鴉の話題が聴けるかも知れない。
鳥の巣頭が、紅茶とサンドイッチをトレイに載せて運んで来てくれた。夕方の自習時間を潰して創立祭の打ち合わせがあるため、僕たちは、先に軽い夕食も取っておくことにしたのだ。
ちょうど食べ始めた頃、大鴉がカレッジ寮長ともう一人、スーツの上に黒のローブを羽織った男に連れられてやって来た。ローブを羽織っているのなら、教員のはず。だが、新しい教員の話は聞いていない。
「あれ、誰?」
生徒会に連絡があるはずなのに……。
その男と、大鴉の親しげな様子に心がざわざわと波立ち始めている。
「ああ、あの人はね……、」
鳥の巣頭が、不愉快そうに眉をひそめる。
「カレッジ寮の臨時雇いの学習補助教員なんだけどね、」
鳥の巣頭の小声で吐き捨てるような言い方が不可解だった。僕の耳元にぐいと顔を寄せ、続けて告げられた言葉に、僕は呆気に取られ吹き出してしまった。
「デキてるって? 冗談だろ?」
「どうだか」
だがその言葉の真意を確かめる間もなく、鳥の巣頭はカレッジ寮長と他の監督生に呼ばれ立ち上がって行ってしまった。
眼前に座っていたあいつの席がぽっかりと空き、僕に背を向けて座る大鴉と、スーツの男、金髪でべっ甲縁の眼鏡を掛けた若いチューターの姿がよく見えた。
額にかかる金髪を気障な仕草で掻き上げる、いかにもエリート然とした男だ。
「何、あれ、ヨシノじゃないみたいだ」
ふっと、そんな言葉が耳を掠めた。
僕は足を組み替えながら、そっと天使くんたちのテーブルを盗み見た。
「そうなんだよ。ヨシノ、ノース先生が来てから変なんだ」
天使くんの向かいに座る子が、ふくれっ面をして答えている。ちらちらと大鴉の方を見ながら、不満丸出しの顔をしている。
二人とも内緒話をするように声をひそめていたので、全部は聞き取れなかったけれど、あの新しいチューターが来てから、大鴉の様子がおかしいこと、彼らはあのチューターを嫌っていることくらいは解った。
僕の席からは、大鴉の顔は見えない。だが、初めは和やかな笑みを湛えていたあのチューターの表情は、段々と緊張に引き締まり、厳しさを増していた。
「ごめん、ごめん」
鳥の巣頭が戻って来て、代わりにその背後から大鴉が立ち上がった。カレッジ寮長はテーブルには着かずに大鴉を伴ってカフェテリアを後にした。
鳥の巣頭が邪魔で、あのチューターの顔が見えない。
僕の不機嫌な視線に鳥の巣頭は直ぐに気付いて、後ろを振り返った。身体を捻ったこいつ越しのあの男は、不満そうに、眉間に皺を寄せていた。




