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123 五月 亀裂

 立ち昇る

 旋律

 白い

 芳香




 鳥の巣頭との関係を修復出来ないまま、新学期が始まった。


 決して仲違いしている訳ではない。今までと変わらず喋りもするし、一緒にいる時間も長い。けれど僕たち二人の間には、大きな亀裂が入っている。鳥の巣頭はいつだってすぐそこにいたのに、今は隣にいても、触れ合っていても、ひどく遠い。鳥の巣頭はここにはいない。僕と同じくらい朧で、曖昧で、僕には見つけられなくなってしまった。






 学校での大鴉の持て囃されぶりは相変わらずで、生徒会執務室でもいつもその話題で持ちきりだ。なんとか株を買っただの、売っただの、そんな話ばかりしている。

 鳥の巣頭はそんな皆の様子を苦々しそうに眺め、「学生の本分を忘れている」とか、「金儲けに夢中になるなんて卑しい行為だ」とかぼやくのだけれど、サークルを禁止する程の理由はなくて、ふくれっ面をするだけでどうしようもないみたいだ。



 大鴉の話題がもう一つ。

 春になって花開き出したフェローガーデンを通る道を久しぶりに抜けたら、彼の畑があった場所に、白く塗装された角材を支柱にした八角形の鳥籠のような形をした温室が造られていた。


 突然現れた、そのきらきらと光を跳ねる温室をぽかんと眺めた。

「これも銀ボタンの実験だよ。生物のスタンリー先生の推薦付き。あの子、先生方を丸め込むの、本当に上手いよね」

 鳥の巣頭のトゲのある言い方に、心がチクリと痛んだ。

 僕はこんなふうに苛立っている時のこいつをまともに見ることが出来ない。僕のことを言っているのではないのに、全部僕のせい。僕が悪いんだと、責められているような気分になる。

 だから何も言い返さず、黙って歩を進めた。



「あ、ほら、見て」

 ふわりと漂ってきた上品な香りに惹かれ、川沿いの道に一本だけ植わっている樹に向かって足を速めた。

「凄いな。満開だね」


 張り出した枝一杯に薄紫色の花のつける木蓮の、掌程もある大輪の花に手を伸ばしそっと触れた。

「綺麗だね」

 鳥の巣頭を振り返ると、こいつはつい今しがたまでの不機嫌さは忘れたように、何故だか照れたような、はにかんだ笑みを浮かべて「うん」と頷いた。





 あの日からずっと、梟には逢っていない。彼からも連絡はない。さすがに僕も自分からあそこへは行けなかった。

 ジョイントの顧客に、梟はあのフラットを引き払っているがどういうことだ、と尋ねられ、初めてその事実を知らされた。だから、ジョイントの取引は停止中だ。多分、ボート部を通じてのルートも止まっているんじゃないかな。

 銀狐と彼のお兄さんがあのフラットに来たのはジョイントの取締りのためではなかったにしろ、普通に考えて、こんな状況でジョイントを売るとか、考えられない。

 僕の傍には、いつも銀狐がいるもの。


 それに、それとは別の理由もあった。

 そろそろ、Aレベル、ASレベルの試験が始まる。今年は受験内容や制度が大きく変わるため、例年は五月半ばにあるハーフタームが創立祭明けに廻され、学校側も新制度対策に力を入れる。

 僕にしても、ジョイント常習の彼らにしても、まずは試験だ。






 試験期間に入り皆がぴりぴりとしている中、僕は銀狐に逢いに生徒会執務室に行った。生徒会室もさすがに人影はまばらで、いつもいるのは銀狐くらいだ。彼は、この学年は二度目だから、と試験期間中も黙々と溜まった雑務をこなしている。元・奨学生の余裕といったところだろうか。


 僕が部屋に入ると、その日は珍しく先客がいた。黒いローブを見て一瞬、大鴉かと思いどきりとした。プラチナ・ブロンドのその彼が、大鴉の訳がないのに。おまけに、ローブから覗くのは灰色のスラックスだ。


 二人は僕に気付くなり、ぴたりと会話を止めた。執務机を挟んで向き合って座っていた監督生もおもむろに振り返り、僕を見上げた。いつもの銀狐の様子と違う重苦しい雰囲気に僕は戸惑い、

「お邪魔でしたか? 僕、出直して来ます」

 と、口篭もりながら告げた。


「構わないよ、モーガン。話はもう終わったから」

 銀狐の面にやっと笑みが浮かぶ。おざなりの。手前の監督生は、立ち上がり、二言、三言、銀狐と言葉を交わして部屋を出た。


「お茶を淹れようか?」

 ぼんやりとつっ立ったままだった僕に、銀狐が声を掛けた。

「あ、僕がするよ」


 立ち上がり掛けた銀狐を目で制して、僕は電子ケトルでお湯を沸かし、お茶を淹れた。生徒会に入ったばかりの頃は下手だったけれど、今はもう、皆、僕の淹れるお茶は美味しいって言ってくれるようになった。今なら、どうして大鴉が電子ケトルのお湯で紅茶を淹れるのを渋ったのかもちゃんと解る。


 ポットの紅茶をカップに注ぐ。その刹那、立ち昇る湯気と金色の芳香が、僕は堪らなく好きだ。


「きみも銀ボタンくんの投資サークルの会員だっけ?」

「名前だけね。僕にはああいうややこしいことは向いてないよ。レポートを読んでもちっとも意味が解らない」

「そう? 僕は面白いけどな」

「え? きみ会員だっけ?」

「違うけれど、いつも誰かが見せてくれる」

 銀狐はふふっと笑ってカップを持ち上げる。


「ああ、ほっとするな」

 いつも明るい、自信に満ちた金の瞳が今日はなんだか元気がない。

「何か面倒なことでもあったの?」

 さっきの深刻そうな様子といい、何だか胸騒ぎがした。


 ジョイントのことがバレたんじゃないかと、気が気じゃなかった。僕は触っていない。でもボート部の方から漏れるかもしれない。あの子たち、何だか口が軽そうだもの。それに、ラグビー部の連中。それから……。想像すれば切りがない。



「銀ボタンくんのことでね……」

 銀狐の口から深いため息が漏れる。


 大鴉……。僕はほっとしたのか、拍子抜けしたのか「あ……」と、間抜けな声を上げた。


「彼がどうかした?」

「きみ、本当にこのサークルに興味がないんだね。メール読んでいないんだ?」


 銀狐は僕を見て苦笑する。


「彼、投資サークルの活動を予定よりも早く停止しただろ? 続けてくれって嘆願が凄いんだよ」


 きょとんとした僕を見て、銀狐はくすくす笑いながら首をすくめる。




 そのニュースを聴いて、まず僕の脳裏に浮かんだのは、大鴉ではなく梟のことだった。






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