122 植物園2
僕の世界と
きみの世界が
すれ違う
瞬間
銀狐は僕をベンチに横たわらせ膝を貸してくれた。
僕は断ったけれど、右脚なら平気だからと、構わず僕の頭を持ち上げて膝に載せた。
すぐ具合が悪くなる癖に……。
でも、鳥の巣頭がいるから。マッサージしてもらえるから大丈夫かなと、僕はされるがままに従った。それにちょっと、彼に甘えたかったんだ。
銀狐の冷たい指先が、僕の乱れた髪を掻き上げる。未だ強張っている僕の腕や、背中をほぐすように摩ってくれる。
僕は少しづつ緊張を解いて、ゆっくりと呼吸出来るようになっていた。
「どうしてきみは、セディを名前で呼ばなかったの」
僕が落ち着いたのを見計らって、銀狐は子爵さまの話をまた持ち出した。でも、僕を責めている訳ではないのは口調で解った。純粋に不思議だから知りたい、そんな静かな声音だったもの。
「親しい仲じゃなかったから。僕はあの人が買った、ただのラブドールにすぎないもの」
「そんな下卑た言い方はやめてくれよ。少なくとも、セディはきみのことを真面目に想っていたのに。彼に失礼だよ」
「そんな訳ないよ。僕は単なるソールスベリー先輩の身代わりだったんだよ?」
先輩の名前に、銀狐は一瞬息を呑んだような気がした。
僕は横たわったまま、川向こうに茂る緑の葉を揺する風のさやさやとした戯れを眺めていた。
こんなふうに子爵さまのことを話していることが自分でも不思議なくらい、凪いだ気分だった。
「だって、彼、初めての時、僕を先輩の名前で呼んだんだ。そんなひとを、恋人みたいに名前で呼ぶことなんてできないよ。そんなの辛いじゃないか」
「初めての時って?」
訝しそうに眉根を寄せた銀狐は本当に意味が解らないみたいで、僕はくすくす笑い出してしまった。銀狐はぷんと唇を尖らせる。
「初めて僕を抱いてイった時」
みるみる赤くなっていった彼を見て、僕は笑い過ぎて咳き込んでしまった。可笑しくて涙が滲んでくる。
銀狐はそんな僕を見て、恥ずかしそうにぷいっと顔を逸らせた。
「……きっかけは、確かに先輩だったのかもしれないけれど。セディはきみのことが、本当に好きだったんだよ」
そっぽを向いたまま、銀狐は呟いた。
「でもきみは、きっちりと線を引いてしまって心を開いてくれなかったって。きみの心には、別の誰かがいるのだろうって嘆いていた」
笑いはもう収まっていたから、僕はまた、川向こうの木立に視線を戻した。さっきまで陰っていた空から陽が射し、木漏れ日がきらきらと踊っている。
「快楽に溺れていただけだよ」
僕の返答に、銀狐は深くため息を吐いた。
「きみは子爵さまとはどういう関係なの? 同じプレップ出身なのは聴いたけど。それだけ? 随分仲がいいんだね、学年も違うのに」
「僕とセディとベンは、家ぐるみの付き合いでね。幼馴染だよ。あ、ベンって言うのは、ベンジャミン・ハロルド、今季の監督生代表兼カレッジ寮長だよ」
「子爵さまと一緒に生徒会を辞任した人だね」
大鴉のお目付役だった人だ。大鴉とあの赤毛の子を争っていた……。今も、しょっちゅう大鴉と一緒にいるところを見かける。投資サークルにも参加している人だ。
「カレッジ寮が懐かしい?」
「そうだね。でも、いいんだ。グリフレット寮に移ったのは僕の希望だからね」
僕は寝返りを打って、まじまじと銀狐を見上げた。
「自分で奨学生を降りたってこと?」
「留年は決まっていたけれど、それで寮を追い出された訳ではないよ」
エリオットでの最高の特権である黒のローブを自ら脱ぐなんて!
僕が信じられない思いで彼を凝視していたせいか、銀狐はちょっと恥ずかしそうにふふっと笑った。
「カレッジ寮にはね、何年か前にきみと同じような子がいたんだよ」
銀狐は僕から目を逸らして、独り言のように呟いた。
「上級生の先輩方にいいようにされて、酷い暴行を受けて病院に運び込まれてそのまま退学してしまった」
聴いたことがある……。
「マイルズ先輩と同じプレップの、田舎の寄宿学校出身の子だった。その子は、キングスリー先輩の大切な友人だったんだよ」
やっぱり、梟の言っていた子だ……。梟が好きだった子……。
「主犯はマーレイ。知っているだろ? ソールスベリー先輩に向かって発砲して捕まった彼だよ。記者会見中の、一部始終中継されていて大騒ぎになった事件の」
僕は黙って頷いた。テレビ画面の中ではなく、個人的に百足男のことは知っていたから。
「ビショップが、彼の派閥だった」
それも、知っている。
銀狐は僕に話しているのか、自分自身に話しかけているのかよく判らなかった。
「マイルズ先輩まであんな悪しき慣習を踏襲しているなんて、信じられなかった。酷いことをされ学校を辞めていった子は、マイルズ先輩を慕っていたんだ。寮は違っていたけれど、ちょうど今のきみとジョナスのような関係だったと思っていたから」
鳥の巣頭……?
あいつと梟との共通点なんて見いだせない。大体銀狐は、僕と鳥の巣頭をどんな関係だと思っているのだろう?
「きみは、キングスリー先輩があの日、まともに歩けないほどに殴られていて、あの場所で事故に遭ったって知っている?」
僕の身体が、びくりと強ばったことに、銀狐は気付いただろうか?
「僕は、先輩をそんな目に合わせた奴らを見つけ出す為に、カレッジ寮を出たんだよ。先輩は、グリフレット寮を探っていたんだ。歴代のラグビー部のキャプテンを輩出してきた、あの寮をね。あの寮がエリオットに無法を蔓延らせた元凶なんだ」




