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103 腐臭

 ポロポロと零れる

 銀の雫は

 腐った月の(ただ)れた肌





「全然足りないんだ」

 一人目の男が帰った後、そいつが来る前にジョイントを吸い終えていた僕は、シーツを身体に巻きつけたままソファーにいる梟にしなだれかかり、媚びた視線を投げ掛けた。

「吸いすぎだ」

 梟は、額に落ちる僕の髪を掻き上げる。

「顔色が悪過ぎる。お前、相当自分で吸っているんだろう?」


 その通り。梟から預かった顧客開拓の為のジョイントを、僕は全部吸いきった。


「ちゃんとお金を払うよ。生徒会に入ったら売ってやるって、前に言ったじゃないか」

「そんな覚えはないがな」

 苦々しげに呟く梟に、僕の頭はまた混濁する。


 梟じゃない……。なら、誰だろう、そう言ったのは……。


「せめて一人に一本は吸わせて。直ぐに醒めて気分が悪くなるんだ。やってる最中に僕が吐いたりしたら、興醒めだろ?」


 ほら、煙水晶が揺らいだ。梟だって解っているんだ。これっぽっちのジョイントじゃ、僕はもう大した夢も見られないっていうこと。それどころか、バッドトリップしているってこと。


 どうして梟は渋るのか、僕にはそっちの方が判らない。



「お前、どうして、あの時、」

 何か言い掛けたのに口をつぐみ、掻き上げた髪を抑えたまま、梟は僕の瞳を覗き込んだ。

「ガラス玉みたいな目だな」

「褒め言葉?」

 ちっと眇められ逸らされた視線が、そうではないと言っている。


「ヘアワックスは? 髪をまとめている方がいい。あっちの方が似合っている」

「もうなくなった」


 嘘だ。本当はもう、使いたくないだけ。僕の腐った匂いを誤魔化すのに、大鴉のヘアワックスを使うのが嫌なだけだ。 


「買ってきてやる」


 梟は本当に面倒見がいい。僕はソファーから立ち上がった梟に手を伸ばす。


「頂戴。もう次のひと、来ちゃうよ」



 膝に投げてよこされたジョイントに、梟の銀のライターで火を点ける。腐った匂いが僕を包む。腐った僕に相応しい、どろどろの腐臭。(ただ)れた腐海に漂う僕は一塊の汚物。こんな僕を欲しがるあいつらは、屍体を喰い散らすハイエナか……。


 ジャッカルの頭のアヌビスを思い出し、ジョイントを加えたままくすくすと笑った。ポロポロと、白い灰が零れる。僕が笑い声に合わせてポロポロと。



 さっき梟が僕に言い掛けたこと、何のことか解るよ。

 どうして僕は、今までと同じようにジョイントを吸って、顧客の相手をしただけなのに、終わった途端逃げ出して泣いていたのか、って、ことだろう? 

 そんなもの、何故だかなんて、僕にだって解りはしない。ただ嫌だったんだ。僕だけ違う匂いがすることが……。

 僕だけが腐臭が漂っていることに、その時始めて気がついたんだ。

 こんな腐った匂いだから、鳥の巣頭はジョイントを嫌って僕にやめさせようと煩く言うってこと。銀狐や、生徒会の他の奴らからは、こんな匂いはしないもの。


 この白い煙にずっと包まれていた僕には判らなかった。

 でも、ジョイントが僕を腐らせたのか、僕が腐っているから、僕の纏うこの香りもこんな腐った香りに変わったのか、僕にはよく判らない。



 僕はゆっくりとジョイントを吐き出しながら、ローテーブルに置いたままだったコロンを手に取った。

 約束通り梟が買って来てくれた、ヘアワックスと同じ香りのコロンだ。

 あのヘアワックス以上に、この香りは大鴉を思わせてくれる。目を瞑って鼻に近付けると、すうっと爽やかで、でも少しぴりっとした風が通り抜ける。そして甘い余韻が仄かに残る。彼が通り過ぎるみたいに。だから余計に、僕はこれを纏うのは嫌だ。僕にはふさわしくない香りだもの。


 僕には釣り合わないひと。それが、僕の大鴉。

 誰にも届かない孤高の鳥。

 銀狐だって、彼を捕まえることなんて出来はしない。


 きみのことを考えている時だけ、僕の腐った世界に清涼な風が吹く。

 その力強い翼が、この腐臭をなぎ払ってくれる。

 永遠のような刹那の中で、僕はきみの翼に守られる。

 ……そんな、夢を見る。


 それが僕の至福の時。


 ジョイントの白い煙の中で、僕はどろどろに爛れ落ちる。肉は溶け、骨はパキパキと外れていく。赤く染まるこのシーツの上に転がっていれば、ハイエナどもが僕を喰らいにやって来る。

 欠片ひとつ残さず喰らい尽くしてくれればいいのに、この白い霧が晴れると同時に、僕は腐った身体を取り戻している。

 そうして、本当は僕だけが屍体だってことが、他の人間にバレないように怯えながら日々を過ごすのだ。


 ああ、早く誰かが僕を喰い尽くしてくればいいのに!






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