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99 逢魔が時

 どうしてかな?

 僕は忘れていたんだ

 梟は、猛禽類だってことを




 銀狐はその言葉の通りお茶を一杯だけ飲んで、部屋に下がった。送っていった鳥の巣頭がなかなか戻って来なかったから、きっと彼の脚をマッサージしてあげているのだと思う。鳥の巣頭が彼のあの顔色の悪さに気付かないはずはないもの。僕は少し羨ましいな、と思ったんだ。誰にも弱音を吐かない銀狐が、鳥の巣頭にだけは甘えている。僕に対してとは違う、安心しきった笑顔を見せる。銀狐に信頼される鳥の巣頭は、僕の知っているあいつとは別の奴なんじゃないかと思ってしまう。そんな不思議な気分だった。



 翌日からの銀狐はすっかりいつもの彼で、僕たちは三人で楽しく残りの休暇を過ごした。やっぱり、賢くて物知りな彼がいると、ただの散歩や、ゲームひとつする事すら面白くて堪らなくなる。彼は僕のつまらない日常を魔法のように変えてくれるマジシャンだ。

 そして、時々彼の口からポロリと漏れる大鴉の話が聴けるのが、僕に取って無上の喜びでもあったんだ。



 そんな今までにない楽しい休暇はすぐに終わり、学校が始まった。でも、僕に取ってはそれもまた嬉しい。だってやっと大鴉に逢えるもの。





 慌ただしい、けれど充実した毎日が早足で駆け抜けて行く。校内の樹々も、窓から見下ろす林の落葉樹もすっかり赤や黄色に染まり、はらはらとその葉を風に乗せ舞い散らせている。


 そんなある日、梟から連絡を貰った。

 そっちに行く用事が出来たから逢いに出てこないか、と。勿論僕は承諾した。僕も梟に逢って話がしたかったんだ。



 僕は梟に謝らなければならない。

 以前なら、梟に貰ったリストに載っていた連中に声を掛けたり、軽く雑談したりする時間や余裕もあったけれど、生徒会に入ってからはとても無理だ。

 リストの連中は、前年度は下級生組の人気スポーツでの有望選手だったみたいだけど、今は殆どが副キャプテンや、副寮長などの何かの役職についている。だから僕が話掛けると、生徒会役員と各役職の会話、みたいになってしまうんだ。

 どうも僕は、鳥の巣頭や銀狐のような気さくな社交性は欠けているみたいで、上手くいかない。プレップの頃は、もっと普通に誰とでも接していたと思うのに……。


 それに何よりも、こうも銀狐と親しくなった以上、ジョイントに手を出すのはさすがに怖かった。もしあの時のようにバレて、またあの白い箱に押し込められたら、とその想像だけで寒気が走る。

 だから、僕にジョイントを扱うのは無理だって、ちゃんと梟に断らなければ。売るのも、僕自身が吸うのも……。

 身体の奥底からジョイントが欲しいって、心が乾いて、乾いて仕方がない時も、確かにまだあるのだけれど……。




 ともあれ、僕は彼に逢いに行った。その土曜日の午後は、鳥の巣頭や銀狐は生徒会の役務で他の学校を訪問していたので丁度良かったのだ。


 待ち合わせは、ハイストリートの外れにあるチェーン店のコーヒーショップだった。茶色で統一された落ち着いた内装の店だ。いかにも梟の好み。一番奥の席で、梟が軽く手招きしている。手を振り返して、先にカウンターでホットチョコレートを買った。


 梟は、僕の制服を見て「よく似合っている、良かったな」と、まず褒めてくれた。この赤のウエストコートを見せたくて、わざわざ私服じゃなくて制服を着て来たんだ。嬉しくて、自然に笑みが零れ落ちる。

 しばらく学校や生徒会の話をしてから、僕はジョイントの話を切り出した。


「こんなところで出来る話でもないだろ? 場所を変えないか?」

 梟の煙水晶の瞳が有無を言わさぬ様子で僕を見つめる。僕は慌てて頷いて立ち上がった。




 ハイストリートから裏道に曲がった。

 黙ったまま横を歩く梟を見上げる。怒っているのかと思っていた彼は、不安な僕の気持ちを察してか、安心させてくれるように、にっと笑ってくれた。

「知り合いとシェアして部屋を借りたんだ。これから、こっちに出てくる用事が増えるからな。お前の寮からも近くていい場所だぞ」

 僕の頭をくしゃりと撫でる。

「おっと。髪をまとめるようになったんだな」

 僕は笑みを返しながら軽く頭を振って、落ちてきた前髪を掻き上げて撫でつけた。

「良い香りでしょう? 今一番のお気に入りなんだよ」

「覚えがあるよ。フランス製のコロンだろ? ヘアワックスも出ていたのか?」

「え? コロンの方は知らない! ヘアワックスは日本製なんだよ」

 僕は歩きながらポケットからヘアワックスのケースを取り出し、梟に見せた。梟は手に取って確認すると、軽く頷いた。

「この香りが好きなら、コロンを買って来てやるよ」

「うん、ありがとう! こっちじゃ売っていないし、どうしようかと思っていたんだ」


 このヘアワックスを使い終えたら無香料のものに変えて、コロンをつけよう。


 締まりなくほころんだ顔を見て、梟はまたぽんと僕の頭を撫でた。





「着いたぞ」


 赤煉瓦に白い窓のあるお洒落なフラットだ。

 二階の梟の部屋は、スタジオフラットで、キッチンは壁で区切られている。でも、いかにも借りたばかりといった感じで、広い部屋の端にダブルサイズのベッドマットレス、窓の傍に二人掛けのソファーとローテーブルがあるだけだ。


 でも……。


 部屋に染み付いた甘い匂い。ジョイントの匂いに、胃がぎゅっと縮こまり、背筋を通って渇望が駆け昇る。

 この香りだけで目眩を起こしそうだ。


 ソファーに腰を下ろした梟が、軽く手で覆って火を点けた。ジョイントに。

 コトリとローテーブルに置かれた梟の大切にしているライターが、窓からの赤い光をきらきらと反射する。傾き出した夕暮れの光が、フローリングの床や、白い壁を赤く染める。その赤の真ん中に僕は呆けたように突っ立っていた。


 梟は腕を伸ばし、指の間に挟んだジョイントの吸い口を僕に向ける。

 僕は、マタタビに惹かれる猫のように、ふらふらと引き寄せられ、唇に銜え、ゆっくりと吸い込んでいた。


 深く、深く……。


 久しぶりに味わう陶酔と安堵感に、僕は幸せな吐息を漏らすように白い煙をそっと吐き出した。


 蛇のジョイントだ。最上級の。


 たった一口吸っただけなのに、初めての時のように身体を支えていられなかった。もう、僕はどろどろに溶け始めている。僕は梟にしなだれかかり、ジョイントを梟の手ごと引き寄せた。

 クスクスと笑いが零れて上手く吸えない。僕はジョイントを自分で持ち直し、合間合間に少しづつ吸った。クスクス、クスクス、止まらない。

 梟はその間に僕のジャケットを脱がせ、ホワイトタイを解き、ウエストコートのボタンを外していく。


「いいよ、あなたなら。僕はあなたのこと、好きだもの」


 甘い吐息が漏れる。梟の首に両腕を廻し、唇に舌を這わせ丁寧に吸った。舌を絡ませてくる梟から顔を逸らせ、ジョイントを吸い込む。薄く薄く吐き出し、漂わせる。窓から差し込む夕映えに白い煙が揺蕩い、解けて消える。僕は梟の首筋にしがみついたまま、クスクスと笑った。



 白い霧の中、羽音が聞こえる。


 梟の?

 それとも、大鴉、きみかな?


 甘い夢が見れそうだ……。


 僕は、もう一口、じっくりと丁寧に味わいながら、ジョイントの煙を呑み込んだ。






スタジオフラット… ワンルームマンションのこと。

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