陽のあたる公園
うだるような暑さもはるか昔のよう、夏の猫毛の鬱陶しさが懐かしい。それでも冬の午後は日差しも暖かく猫達に限りなく優しかった。
ちょうどミカボシも二—二〇二の太陽公園に着いたところだった。
彼以外の猫は既に集まっているようだ。
入り口から見たすべり台の右側、一番日当たりのいいベンチのベンチの傍、そこが集合の場所である。ベンチに座れるのはニャー次郎ただ独匹だ。
ミカボシが公園をぐるりと見渡せば、彼らを遠巻きにする野良猫達の姿が見え隠れしている。
一昔前まではペット猫達を圧倒していた野良猫も、今では臆病猫の寄り合いでしかない。ペット猫達の座に未練があるのか、羨ましそうに覗いている。不思議なことに、普段なら騒々しいほどの子供達のはしゃぎ声が一つも聞こえない。
枝垂れた藤のトンネルを抜けて、ニャー次郎の座るベンチに到着すると、他の猫達は次々に「ニャン」と一礼し、前へと席を勧める。彼らの厚意に甘えしっぽをふりふり最前列へと向かうミカボシ。会場には、見知らぬ顔がちらほらしている。
ああ、うん、新入りだねぇ。訓練機関も終わったという訳だ。
ミカボシはベンチのすぐ前にちょこんと箱座りをする。ニャー次郎は彼を待っていたかのように、実際そうなのだが、話を切り出した。恒例の太陽公園猫集会。
「みんな、揃ったようじゃ。そろそろ始めるとしようかのう」
猫達は一様に頷いてみせる。どの猫もお日さまたくさんに瞳が細くなっていた。
「まずは訓練を終えた新入りを紹介しようかの。これからお昼寝仲間となる連中じゃ。さあ、お前ら、自己紹介でもするがよい」
分かったにゃん。と一匹の美猫がすっと腰を上げると、尾もぴんと真っすぐに立て悠然と前に出た。その歩く様はふわふわと飛ぶ蝶々のようだ。
優美な彼女の佇まいに雄猫達の瞳は尚更細くなり、ミカボシも知らず知らずに息を飲んでいた。逆に雌猫は嫉妬の炎をめらめら燃やす。昼間にも関わらず、心持ち瞳が広がって見える。
「うふ。初めましてぇ。えぇと、亀田パピーです。戦闘名称はニャンヌ・ダルクでぇ、ニャンヌって呼んでくださぁい、てへ。まだまだ二歳足らずの若猫だけどよろしくネ♪」
雄猫達は一斉に「にゃあ!!」と熱い歓声を上げる。ニャー次郎は思わず苦笑。
確かにニャー次郎も彼女くらいの美しい猫とは、ここ数年出会った記憶がない。さすがはエジプト原産のアビシニアン、抜群のスタイルだ。クレオパトラの袂に侍ったというその血統は、まさに極上。おそらくは職業猫モデルとしても一流になれるだろう逸材だ。
一匹の猫が、下心か恋心か、ちょっかいを出した。
「俺、最っ高にトベるマタタビ持ってんだけど、今夜、共鳴しない?」
他の雄猫達もつられて鼻の下を伸ばす。「うち、究極の猫缶あるよ!」「マジ、イケる猫じゃらしなんてどう?」と冗談半分の誘い鳴きが次から次へとニャンヌに向かって飛んできた。
ニャンヌもまた「ニャンっ」と可愛らしく微笑むも、きっぱりとその表情のままで答えた。
「所属部隊はぁ、特殊工作猫隊でぇ、うふ」
その言葉にほとんどの猫は、雌猫も含めて、一気に青ざめ黙りこくってしまった。
小悪魔の微笑だった。「共鳴しよう」などとほざいた猫などは耳もぺたんと伏せて、ぶるぶると身体を震わしている。特殊工作猫隊の猫に手を出すには、あまりにも不相応、身の程をわきまえなければならない。対猫簡易防護壁への集中強化トレーニングに耐えた強化猫。それだけで彼女の実力は十二分に伝わる。
変わらず笑っていたのはニャー次郎のみ、ミカボシはたまらず肩をすくめた。
「御苦労さん。ニャンヌよ、みんなとよろしくやってくれ」
ニャンヌもニャー次郎に振り返ると、
「ニャー次郎司令官と同じ集会所とはぁ光栄です」
まるで猫柳のようにぺこりと頭を下げた。
ミカボシも「うん、まあ、よろしくね」と声をかける。みんなも彼女に恐る恐る挨拶をする。
ニャンヌは極く自然にミカボシの隣に腰を下ろすと、「ミカボシ猫長、これからよろしくね、うふ♪」とウインク。ミカボシも彼女の小粋な振る舞いに、どきりと耳をぴんと立てる。
しかし真面目な話、ミカボシにとって四匹目となる特殊工作猫隊。心強い部下に違いない。
「もう一匹おったな。ほら、お前じゃ」
ニャー次郎に促されて二匹目の猫が前に出る。
見事な毛並みのアメリカンショートヘアー。丸々と太った立派な体格な割に妙にびくびくと歩いている。前のニャンヌとは対照的に、しっぽは自信なげに下へ向けて、ヒゲは申し訳なさそうに垂れ下がり、耳まで寝かせている。その挙動とは、正反対に恰幅のいい垂れたお腹がぷるんぷるんと揺れる。
その姿にくすくすと笑い声が漏れていた。
「ボ、ボクは三丁目のマンションに住んでる三ノ宮茶々丸と言いますねん。み、みなさん、ど、どうぞ、よろしゅう、お、おっおねがっいしましゅう」
その様子に笑い声から嘲りが加わった。猫はもじもじと下を見続ける。
ニャンヌに恐れおののいたさっきのお調子猫も威勢を戻し、からかうように尋ねる。
「ねえ、ボクちゃん。君の戦闘名称を教えてよ」
あまりの緊張と恥ずかしさに新入り猫は大きな身体を小さくする。きっと顔色は真っ赤なのだろう。尻込みする彼に、猫達はますます笑い声を大きくする。ニャンヌも「ちょっとそれ、ありえない」と呆れたようだ。ニャー次郎は気難しそうに周りを眺めている。
見かねたミカボシがニャホンと咳払いをすると、さすがの猫達も居住まいを正す。
今度はニャー次郎が口を開いた。面持ちは変わらず神妙なまま。
「お前さんの戦闘名称は何だね?」
ニャー次郎の声に新入りはびくりと身体を痙攣させる。
あらまあ、ずいぶんと繊細な猫だねえ。大丈夫かい。
ミカボシは余計な心配をしてしまう。
日本猫軍総司令官をはばかって、押し黙ってはいるが猫達は懸命に笑いをこらえる。その空気に、どの猫も腹筋が痛そうだ。
新入りはおどおどと下を向いたまま応じる。
「・・・・・・でんねん」
あのお腹の持ち主とは思えぬか細い声に、聞き取れたのはニャー次郎と最前列のミカボシ、ニャンヌだけだった。「ニャンだって?」他の猫達はお互いの顔を見合わせた。
うふ、とニャンヌが悪戯っぽく笑うと、ミカボシが制する間もなく、大きな声でその名を叫ぶ。
「彼の戦闘名称は『微笑みデブ』だって」
瞬間、堰を切ったかのように猫達は一斉に笑い転げる。にゃにゃにゃにゃみゃみゃみゃみゃななななの大合唱。中にはお腹を抱える猫やむせ返る猫までいる。
微笑みデブの大きな身体はますます小さくなっていく。おそらく訓練ではかなりの劣等猫だったのだろう。ここまで情けない戦闘名称を得るのもかえって難しい。
猫達の笑いの渦は留まる気配がない。もともと悪乗り大好きが猫達、生来の気質だ。牙丸出しに大口を開ける猫、目を真ん丸に見開いて笑い涙を流す猫、笑いすぎて引きつけを起こす猫、むせすぎて吐き出す猫、テンションがおかしくなって踊り出す猫、それに合わせて一曲謡い上げる猫。
「〽三千世界を一眠り、外にいるのは野良猫か? しっぽにじゃれつく、よしとくれ。人間様は置きてるか? 構いやしないよ、おりゃ眠る。だって俺達、猫だニャー!」
最終的にはニャー次郎、ミカボシ、ニャンヌを除いた猫達で、猫楽リズムの猫盆踊りが始まった。
「いい加減にせんかぁっ!」
ニャー次郎の凄まじい一喝、その迫力ある声、逆立った毛、鋭い眼光に猫達は身体をのけぞらせると、しっぽを股の間にしまい込む。公園は即座に静寂に包まれた。
ミカボシですら毛が逆立ってしまった。
「微笑みデブ君、よろしくのう」
老猫に驚くどころか、心臓が止まりかけた微笑みデブは「こっこっ、こちらこそ、よっ、よっ、よろしゅうお願いします」としどろもどろに答えるのがやっとだった。
ミカボシも「うん、まあ、よろしくね」と言うと、よくやく他の猫達も挨拶をし始める。