空白の1ページ目
茫洋とした意識の中、轟々と流れる水の音が鼓膜を揺らした。
この音に覚醒した思考の所有者はゆっくりと目を開き、辺りを見回す。
視界は細かな水の分子で真っ白に覆われている。
目の前にあるのは、滝だということが分かった。
滝から順繰りと側にあるものに目を移していく。
徐々に意識がはっきりして来る。
岩、樹…それが何かである事を把握すると、思考の所有者は
ふと周囲の把握を断念した。
目の前にある物体が何かであるのかはわかるが、この場所は
一切見たことがない場所だったのだ。
どこか見覚えのある場所に似ていないかと記憶を探る。
だが、心当たりのある場所はなかった。
それどころか、一切の地名が出てこない。
試しに自分の体を見てみた。
手、足、何故かぐっしょりと水に濡れていて、なおかつ傷だらけだということは把握出来た。
しかし、なぜ傷だらけになったのか、水に濡れていたのか、自分はどうして今までここで
意識を失っていたのか等は一切覚えていなかった。
そして、極めつけは自分の名前が一切思い出せないという事に気がついた。
「ここは…?俺は…?何も覚えていない…?」
口から出たのは言葉だった。
理解できるし、自分が言葉を覚えているということは把握出来た。
思考の持ち主はふらふらと立ち上がると、滝を背に歩き始めた。
幸い言葉や歩き方は忘れていないようだった。
記憶のないこの人物には歩いた所で知っている場所にたどり着くとも、知り合いと出くわすともわからなかった。
ただ、記憶の空白が創りだす不安に耐えかねるように、ひたすらに歩いた。