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いつもの日々が続いていたなら

 アトリウムに戻ってみると、先ほどとは違っていくつものグループが思い思いに時間を過ごしていた。

 修介と坂本はといえば、笹の木の近くで三人の女子とのんびりしゃべっている。その中に、普段と変わらずにこにこしている三輪さんの姿を見つけて何となくほっとした。


「おう、おかえりー」


 目ざとく坂本が遠くからおれに声をかけ、こっちに来いと手招きで呼ぶ。


「あーっ、航センパイだー。おはようございまーす」


 一人の少女が嬉しそうにおれのところへ走り寄ってきた。角枝中学陸上部での後輩、工藤茅紗だ。

 おれは走り高跳び、工藤は400mと専門は分かれていたが、入部してそれほど間もない頃からなぜかおれを慕ってよくじゃれついてくる。ちなみに工藤は修介の従妹であり、この件に関しては、修介はおれを快く思っていないのがありありと態度でわかる。小さい頃から妹同然に可愛がっていたらしく、いわばシスコンをこじらせたみたいなものなのだろう。業が深い。


「センパイこっちー」


 と腕を引っ張る工藤に連れられて、みんなのところへとやってきたおれを修介が渋い表情で見ている。が、毎度のことなので気にするほどのものでもない。

 工藤がおれにべったりなのも日常茶飯であり、修介以外はもはや誰も気にしなくなっていた。正直言って、工藤がおれのどこを気に入っているのか、今になってもまるで見当がつかないでいる。一度修介が彼女にその点を問い質したらしいが、まともに答えようとはしてくれなかったそうだ。

 案の定、何ごともなかったかのように坂本が話の続きを再開した。


「タイミングいいぜ。ちょうど今、下りてきたこいつらとまた志望校トークしはじめたところなんだよ」


「自分は行ける学校がないのにな」


 すぐさま切れ味が抜群すぎるツッコミをしたのが、市ノ瀬や坂本と同じく椿野中出身の神谷まひろ。彼女は三人の女子組の中で最長身であり、もっと言えば170cmのおれと変わらない。つまり、ヒールのある靴を履かれるとおれは負ける。

 神谷の容貌はどこから見ても立派なヤンキー少女だ。背中の半ばまで伸びた長い髪は、かつては赤みがかった茶色で綺麗にカラーリングされていた。

 ここ〈ユキザサ〉で彼女たちとの交流が始まって最も驚かされたのが、神谷と三輪さんの仲がとてもいいことだった。


 申し訳ないが外見は地味な三輪さんと、きつめの顔立ちがまた派手さを倍増させている神谷とが親友同士だとは教えられてもなかなかぴんとこなかった。二人が並んでいるとカツアゲする側&される側の構図ができあがってしまう。

 おれと同じそんな感想をうかつにも口にした修介は、たたらを踏むくらい強烈なビンタを神谷からお返しとしてもらっていたのは懐かしい思い出だ。

 そして二人の力関係を知って二度驚かされたのも記憶に新しい。


「まひろちゃん、そんなこといっちゃダメだよ。人にはそれぞれ得意不得意があるんだもの」


「う、ごめん」


「あやまる相手がちがうよ。ね」


 さながら三蔵法師と孫悟空。神谷が三輪さんに口答えしている場面を、いまだおれは目にしたことがない。

 渋々ながら、坂本に向かって神谷が頭を下げる。


「あたしが言いすぎたよ。日本中探せばどっかにおまえみたいなアホでも入れてくれる学校があるかもしれないからな。悪かった」


 工藤と修介とおれは「謝ってないよね、これ」とお互い顔を見合わせていたが、三輪さんはにこにこしながら頷いていたからこれでOKのようだった。彼女の基準はやや不透明だ。

 ただ当の坂本はまるで気にしていない様子でひらひらと手を振っている。


「いーっていーって。おれが救いようのない成績だったのは事実だし」


「そんなひどい成績だったのにここで志望校トークですか。自虐的な」


 意外そうな口調で思いっきり毒を吐く工藤。たぶん、悪気はない。


「やっぱり進路って一大問題なんですねえ」


「そりゃあなあ。茅紗はあたしらの一つ下だから、受験だ志望校だと言われてもあんまり深くはまだ意識してなかったんじゃないの」


 学年違いの工藤に対して、あぐらをかいて鷹揚に座っている神谷が質問をする。


「いえ、わたしの中ではもう決めていましたよ」


「へー、えらいな。ちゃんと考えてたんだ。で、どこさ」


「航センパイが行く高校です!」


 内心予想していた答えとはいえ、こうもはっきり口に出されるとどうリアクションをとればいいのかわからない。

 おそるおそる周りを確認すると、四者四様の表情をしているのが目に映る。


「──愛されてるねえ、西崎」


 無表情で神谷が発した短い感想に、いろんな意味が含まれている気がするのは考えすぎだろうか。

 工藤とおれは付き合っているわけではなかった。もちろん彼女の気持ちには気づいていたし、おれなんかにはもったいないくらいの素敵な子だ。

 ただ、じゃあこれが恋愛なのかと問われれば「わからない」としか言えない。答えを出す前におれたちの関係はNNBFによって宙ぶらりんとなってしまった。未来を約束できるはずもない以上、その場に留まるしかできなかった。


 本当に工藤には申し訳ないと思っている。彼女の気持ちを無下にはできず、さりとて受け入れることもできず。先ほどの神谷の言葉には、情けないおれを揶揄する気持ちが込められていて当然だろう。

 そんなおれの内心の葛藤を露知らず、断固反対とばかりに声を張りあげたのはもちろん修介だ。


「おい茅紗! こいつと同じ学校ってことは北高になっちまうんだぞ? おまえは成績いいんだから頑張ればもっと上、ひょっとしたらあの智也と同じ一高だって狙えるくらいの位置だろうが!」


「いいじゃん別に。修兄だって北高なんでしょ」


「よくねえ! いいか、おまえは人生の大事な選択を誤ろうとしているんだ。よく考えてみろ、おれと同程度のこいつの頭じゃ将来性なんてたかが知れてるに決まってるわ!」


 自爆をものともしないその潔さにはむしろ好感が持てる。とりあえず突っ込むことはせず、そのまま見逃してやることにした。


「ふーん。そういや市ノ瀬さんもめっちゃ成績いいんだってね。ああいういかにもそつなくモテそうな人と一高行って付き合えって言いたいわけ?」


「あんな軽薄そうなやつもダメだ!」


「じゃあ誰ならいいわけ? つーかまず自分が誰かと人並みに恋愛できるくらいになってから文句言いなよ。外からきゃんきゃん吠えてばっかり、バカじゃないの」


 あからさまに工藤が苛つきだしていた。修介が工藤のこととなると周りが見えなくなるのは珍しくないが、この話題はもう止めるタイミングだろう。

 神谷も同じ考えだったようで、任せろとこちらにウインクを寄越す。実際、おれの仲裁ではますます修介が意固地になるかもしれない。

 彼女の裁定はいたって単純明快なものだった。


「はいそこまで。自分の人生は自分で選ぶ、以上。日浦、何か文句ある?」


 次いで坂本も加勢する。


「ん、確かに今のは日浦が悪い。だが茅紗ちゃんよ、昔も今もタマは風花のだからな。男が海に出て行けるのは帰るべき港があるからなんだぜ」


「後半の意味はまったくわかりませんが、風花さんのことを考えず市ノ瀬さんの話を出したのは失言ですよね。そこはわたしも反省します」


 おれの隣で工藤が納得している一方、分が悪い修介は憮然として黙りこんでしまった。そして引き合いに出された三輪さんは、顔を真っ赤にさせてうつむき加減で固まったまま動かない。

 個人的に三輪さんは〈ユキザサ〉の宝だと思っている。が、それはおれだけに限らず、みんなにとってもそうなのだ。彼女は誰からも愛されべき人だし、実際に愛されている人だ。三輪さんを大事にしていないやつなんてそれこそ市ノ瀬の大バカ野郎くらいのものだろう。幼なじみだからって甘えているのだ、あいつは。


「なら風花さんは市ノ瀬さんと同じ学校で決まりですねー。それ以外の選択肢なんてありえませんし」


 工藤の言葉に、三輪さんの肩がぴくっと反応した。

 膝頭の上に肘を乗せ、頬杖をついた姿勢で代わりに神谷が答える。


「あたしとフーカはどうにかこうにか頑張って『目指せ北高!』ってレベルだったからなあ。一高なんて夢のまた夢、さらに夢の話さ」


「えっ。じゃあ離れちゃうじゃないですか」


「むしろそうあってほしいよ。あんなコマシ野郎にフーカは釣り合わなさすぎる。フーカと付き合うのは、あたしの眼鏡にかなったやつじゃなきゃ許さん」


 気のせいか、よく似た論理が先ほどまで展開されていたような。


「なーフーカ。あたしたちは北高で楽しいスクールライフを送るつもりだったもんなー。清楚なおしとやか女子として高校デビュー、してみたかったなー」


「わたしはタマちゃんみたいに、頭がいいわけじゃないから仕方ないよ」


 寂しそうに三輪さんが笑う。神谷との温度差が激しすぎるが、しかし待てよ。


「なあ。さっき、誰かさんが一高と北高とで迷ってるって言ってなかったっけ。あれは、そういうことなのかね」


 坂本と修介に向かい、投薬に行く前の会話を再確認させる。


「でしょうなあ」


 にやにやしながらまず坂本が乗っかってくる。


「たしか北高は制服がどうたら女子がこうたらって……んん? ああっ!」


 機嫌を少し直したらしい修介も、坂本とおれのやりとりの意味に気づいて大きな声をあげた。

 市ノ瀬め、なかなか可愛いところがあるじゃないか。


「シャイなんだよ」


「シャイだな」


「シャイボーイか」


 三人で結論づけていると、置いてけぼり状態になっていた神谷が睨みをきかせてこちらに絡んできた。


「おい、何の話だよ。自分らだけで楽しんでるのは感じ悪いぞ。ちゃんとこっちにもわかるように話せっての」


「うーん、どうしようか。あんまり神谷が聞きたい内容じゃないかもよ」


 意趣返しのつもりだろうか、もったいつけて修介は神谷を焦らしている。


「わたしはわかっちゃいましたよ、まひろさん」


 さすがに工藤は普通の女子だけあって、すぐに誰の話なのかを理解したようだ。


「やるな茅紗ちゃん。つーか神谷に恋愛力が足りないだけか。この際おまえはもう女子廃業しやがれ」


「んだとコラ。やんのか坂本コラ」


 面白がって煽る坂本に、鬼の形相で神谷が詰め寄っていく。

 暇を持て余しているせいか、ちょっとしたことで場の空気はジェットコースター並に上下してしまうのだ、まったく。常に中立の立場を崩さない智也がこの場にいない以上、面倒ではあったがおれが二人の間に割って入るしかないだろう。


「ちょっとおまえら、喧嘩するほど仲がいいのはわかるけどな──」


 そこまで口にしたとき、アトリウムの入口付近から不意に大きな音が聞こえてきた。穏やかなこの場所にはあまりに場違いで野蛮な音に、吸い寄せられるようにしておれたちは一斉に振り向いた。

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