NNBFなる奇病
地名からついた呼称がNi-no Burst Fever、略してNNBFと表記される新種の伝染病はおれたちの人生を大きく変えてしまった。それこそまったくの別物へ。
発症すれば突然高熱を伴う激しい痙攣が起こり、しばらくその状態が続いたのちに全身が異様なまでに大きく膨れあがる。そうなってしまってはもう助かる術はない。苦しむ時間が長いか短いかだけの違いであり、いずれ膨張の止まらない肉体が文字通り破裂して無惨な死に至る、そんな奇病。
おれたちは幾度となくグロテスクな死の舞踏を見届けてきた。肉体が弾け飛んだあとの血の匂いは、どれだけ生きながらえても忘れることができないだろう。
着用を義務づけられている白いローブに似た服には、右腕と右足に二本ずつ、丈夫な黒いベルトが備えつけられている。もちろんファッション的な意味合いからではなく、痙攣の際に拘束を容易にするためだ。
痙攣は発症の合図であり、発症者は即座に拘束されることとなる。おびただしい数の犠牲を経て発症者への対処法はそのようにマニュアル化されてきた。残酷なようだが、然るべき理由は存在する。
NNBFは感染しただけの者から非感染者へと伝染することはほぼないらしい。代わりに、発症者からの感染力は非常に強力なものだという。〈ユキザサ〉で治療に従事する人たちのリスクを考えればやむを得ない処置だろう。発症者の致死率が今のところ100パーセントなのも大きく天秤に作用したはずだ。
すべてが暗転したあの日から二百九十一日間、新納市においても〈ユキザサ〉内においてもNNBFによる死は、飽くことなくひたすら無造作に誰かを選び、蝕み続けた。だがそれ以降、厳密には五十四日間に渡って発症者は出ていない。投薬をはじめとする発症者への対策に一定の効果があったということか。
それでも感染・発症を防ぐ手段が確立されていない現在の状況下において、収容されている感染者たちが解放され、元の生活に戻るのはずいぶんと気の長い話のはずだ。そりゃそうだろう。近所におれみたいな感染者がいれば、不発弾よりもひどい扱いになるのは目に見えている。逆の立場ならおれだっていやだ。
今に至るまで外界からは徹底的に隔絶されており、インターネットやテレビ、その他の情報をおれたち感染者が得る手段は〈ユキザサ〉には存在しない。家族の消息だけなら無事かどうかだけを手短に教えてもらえるくらいだ。おれの家族は事なきを得たようだし、友人たちの家族も同じく無事だったらしい。
ただ、家族のほうは逆におれの生存をもうあきらめていてもおかしくない。
186/2527。現在〈ユキザサ〉にいる感染者の数と、今までに収容されてきた感染者の総数と。不遜だ、傲慢だと思われるかもしれないが、おれの心の内にはたしかに「自分は生き残った者の側だった」、そんな安堵感がある。
まともな人生はもう望めないのだろうという諦観と、生き残ってやったぞと高揚する感情とが渦巻き、反発しあい、溶けあいながらおれを形作っていく。
はたして一年前のおれと、現在のおれとが同じ存在だと言えるのだろうか。