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ユキザサ

 この建物を設計した人間は善意に溢れていたのか、それとも皮肉屋だったのか。

 リゾートホテル然とした四層吹き抜け構造となっており、突きあたりに設けられた一面の巨大な窓から日差しが降り注いでくるアトリウム。教えてもらわなければ誰もここが医療施設の一部分とは気づかないだろう。


 窓側以外の壁や床のタイルはクリアな白を基調とし、さながら光の大ホールといった趣の空間にはアクセントとしてふんだんに緑が配されていた。たとえば壁面の一部に白と緑で構成された市松模様であったり、小川に見立てた芝生であったり、ずいぶんと気が利いている。点在する3mほどの人工ケヤキは意外なほど精巧な出来映えだった。教えてもらわなければ本物だと勘違いしてしまうほどに。


 だが今日の主役は何といっても中心部に置かれた立派な笹の木だ。吊るされた色とりどりの短冊にはそれぞれの切実な願いごとが記されていた。


『はやく病気が治りますように』


『家族に会いたい』


『もう誰も死なないでほしい』


 願いごとの枝葉は違えど、核はみな変わらない。ここで日々を送るおれたちは誰もが同じことを祈る。

 七夕の日をサマーバレンタインと呼んだりもするんだぞ、などと言っていたのはたしか中学二年のときのまだ若い数学教師だったか。授業中の脱線話として百貨店でのアルバイト経験を話していたときのことだったはずだ。


 今となってはそんなのはひどく昔の出来事にしか感じられないし、七夕の夜が終わってしまえば、この短冊たちだって厳密に区分されて燃やされて、産業廃棄物という名の灰になるのだろう。


 おれたちがNNBFに感染してから今日でもう三百四十五日目。もう、割り切るべきなのだ。過去より未来より、今日この一日をできるだけ楽しんで生きていかなければ。刹那的な態度だと言われようとも、明日がやってくるかどうかさえわからないのだから仕方ないじゃないか。


 そう思いながらカラフルに彩られた笹の木を見遣っていると、不意に肩へと手を置かれて体がびくんと反応してしまった。


「どうしたよ、西崎。何驚いてるんだ」


 おれのリアクションが面白かったのか、声の主である市ノ瀬環はからかうような笑みを浮かべている。

 広々としたアトリウムでいつもの面子がいつものように車座になり、くだらなくも盛りあがれる話題に興じる。これが平穏な生活から切り離されたおれたちの日常なのだが、考えてみれば感染前だって似たようなものではなかったか。

 どこにいたって人間ってやつはそう変われるものでもないらしい。


「やー、七夕だなあってもの思いにふけってた」


「惜しい。まだ七月六日だけどな。で、おまえはどうなの」


 何の話だっけ、と聞き返すおれに、「かつての志望校だよ。ちゃんと聞いとけバカ」とあきれながら答えてくれたのは向かいに座っている日浦修介だった。


 志望校、その話題は古いようで新しい。高校生になることができなかったおれたちは意識してか無意識のうちにか、これまで触れずにやってきたのだ。

 みな揃いの白い衣を着用しているなか、一人だけ上手く洒落た感じに着崩している市ノ瀬が「なら日浦からいってみようか」と促してくる。


「そのあと西崎、笛吹で。まずは角枝中学組からよろしく」


 毎日同じ面子とばかり話していればある程度の役割分担はできてくるのが自然だ。おれを含む角枝中学出身の三人、それと市ノ瀬と坂本の椿野中学組。この五人のグループにおいては彼、市ノ瀬環が会話を回す中心的な役割を担っていた。


「おれはまあ、北高だろうな。近いし」


 特にためらいもせず修介が答える。

 似たような成績のおれも「同じく」とすぐ後へ続いた。


「笛吹はどうなの?」


「そりゃおまえ、新納第一しかねえでしょ。なっ智也」


 市ノ瀬からの振りに修介が勝手に答えている。だが実際、県下トップの進学校である新納第一高校を智也が目指さないというのであれば、うちの中学からは誰も行けない理屈になってしまう。それほどまでに智也の成績は群を抜いていた。


「うん、まあ、そうかな」


 いつだって控えめで自分が成績優秀なのをひけらかしたりしない智也は、苦笑いを浮かべながら曖昧に肯定した。

 一方、みるみる元気をなくしていったのは、市ノ瀬と同じく椿野中だった坂本だ。

 力のまったくこもっていない声で彼が呟いた。


「おまえら……おれと同じアホだと信じてたのに……」


 首を傾げて修介が疑問をはさむ。


「はあ? なんでよ。北高なんて平凡もいいところ、ザ・普通じゃねえか」


「北高だって充分レベルたけーよ……。十回生まれ変わっても届かねーよ……」


 本気でがっくり肩を落としている坂本をよそに、満面の笑みで市ノ瀬が事情を飲みこめていない角枝中メンバーへ簡潔な説明をしてくれた。


「ちゃんと説明しておくべきだったな。ケンタは本物のアホだぞ。おれはこいつが定期テストで30より上の点を取ったのを見たことがない」


 それを聞いた坂本は勢いこんで立ちあがった。市ノ瀬の顔面を指差し、おれたち三人の情に訴えようとしてくる。


「あーそうですよ、たしかにおれは頭がとことん悪いさ。でもな、タマは汚いんだよっ。やってることや言ってることはおれと同じアホのくせして、成績だけはやたらいいってそんなのおかしかないか? 何かが間違ってないか?」


「ケンタよ。残念ながらそれはすなわちおれがアホではない、ということだな」


 市ノ瀬環と坂本健太郎、二人はお互いをケンタ&タマと呼びあっているため、周りからはケンタマコンビなるぎりぎりのネーミングをつけられていたらしい。以前に聞いた話では保育園からの腐れ縁、とのことだ。そういう関係の相手を持たないおれには、二人の仲が少し羨ましくもあった。


「え、何? 市ノ瀬って頭いいの?」


 初耳、といった体でまたもや修介が問い返す。


「そうなんだよ! 不平等だろ? 不公平だろ?」


 賛同を得たと感じたか、坂本の声のトーンが一段と高くなった。

 だがそこは市ノ瀬、竹馬の友に対してさらなる追い討ちをかける。


「何らかの手違いでおまえの分の脳味噌も全部おれがもらって生まれてきたのかもなあ。ケンの字が『賢』いだったらとは思うが、まあそう気を落とすな」


「んん? おい、ひょっとしてケンカ売ってるのか? だったら買うぞオラ」


 言うが早いか、坂本は市ノ瀬のバックを取って流れるような動作でヘッドロックへと移行した。しかし市ノ瀬も素早く右手を差しこんで極められてしまうのを防ぐ。互いに慣れた動きだ。

 恐らくは二人の単なるじゃれあいなのだろうが、人のいい智也は本気の争いごとに発展しないよう、話題の軌道修正を試みる。


「じゃあさ、市ノ瀬も一高を受験するつもりだったの?」


 坂本に後ろからヘッドロックを掛けられた体勢のまま、少し視線を宙に泳がせてから市ノ瀬は口を開いた。


「迷ってたんだよ。正直なところ、あの夏休み中はずっと迷ってた。一高にするか、北高にするか」


 今度は間髪入れずにおれが突っこんだ。


「なぜにその二択? 明らかにランクが違うと思うけど」


 ようやく坂本を振りほどいた市ノ瀬は、再びあぐらをかいてどっかりと座り、そして全員に告げた。


「北高はなあ、市内でいちばん女子の制服が可愛いんだよ。他の追随を許さないくらいにな。そして制服が可愛い学校の女子もまた可愛い」


 これは真理だ、と市ノ瀬は重々しく頷いた。一年前のおれなら、偏った市ノ瀬の意見に激しく同調していたのではないだろうか。

 しかし今、おれたちは故郷である新納市からひどく離れた土地の、場違いなまでに美しい病棟の中で隔離されている。


 この白亜の医療施設は雪の結晶をモチーフとして設計されたものだという。確かに、真上からの全景図ではそのような形になっていた。正六角形の巨大な中央棟から六つの病棟が等間隔に周囲へと伸びている。

 隣接する病棟は通路でつながっているので、わざわざ中央棟まで戻る必要はない。本来ならその通路をたどっていけば各病棟をひと巡りできるはずだったらしいが、あいにく全施設が完成しているわけではなかった。


 政府が掲げた医療特区構想の中核施設として建設プロジェクトがスタートしたのは、おれがまだ生まれて間もない頃の話だ。いわば同い年にあたる。

 だがプロジェクトの完遂を待たずして災厄は起こった。そしておれたちNNBFに感染した者は未完成の施設において、それまでの人生とはまったく異なる煉獄さながらの日々を生き抜いてきた。


 セントラル集中医療特別区域。それがこの施設を含む一帯の正式名称だそうだが、そんな長ったらしい名前を使う人間は施設側にも感染者側にもいない。

 雪の結晶に似た花からとって〈ユキザサ〉、誰もが短くそう呼んでいる。

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