病めるときも健やかなるときも
満場一致で推されてはさすがにおれも断れない。
「調子のいいあんたがいちばん結婚式の進行に向いてるっぽい」
まだ目元が赤い神谷の発言に、なぜかおれを除く全員が賛成したのだ。
まあ、本格的なのを求められているわけではないだろうから、引き受けること自体は別にかまわなかった。
「あれって神父? 牧師? どっちがやってんのよ」
このように細かい部分はかなりあやふやなのだが。
そんなおれに工藤が「あまり気にしなくてもいいですよ」と声をかけてきた。
「航センパイ、最近じゃ人前式ってのもけっこうありますから。わたしがこの前出席したのはそれでした。神さまに結婚の承認を得るんじゃなく、参列したみんなの拍手をもって承認とするんです」
「それ、いいな。そっちでいこうや」
坂本が大きく頷いている。
智也と修介も「賛成」とばかりに手をあげた。
「おっけ、ならそれで。せっかくの七夕だし、笹メインでいっとく?」
「だな。とりあえず、一年に一度しか会えないなんてけちくさいことは言わせないようにしねえと」
「彦星か、あいつも好きな女がいるわりには根性ねえよな。天の川なんて泳いで渡りゃあいいんじゃねえの」
「坂本さん……天の川は星の集まりですよ」
「ギリシャ神話では乳に見立てていたらしいからね。今でも英語じゃmilky wayって呼ぶくらいだし」
「ウェイって何だ? うぇーい」
「頼むからおまえはもう永遠に黙ってろ。同中のあたしらまでバカだと思われちまうだろうが」
「東洋と西洋、どっちの呼び名もきれいですよね」
「いやー、茅紗も昔は『天の川で泳ぎたいー』って駄々こねてたからなあ」
「おお! 仲間か!」
喜ぶ坂本とは対照的に、工藤は無表情のまま「余計なことは言うな」と修介の腹に一撃を入れた。間違いない、これは本気のやつだ。
やり方さえ決まれば、あとはもう別段用意するものもなかった。純白のウエディングドレスもなければキャンドルもブーケもなく、祝福してくれるはずの家族さえいない。ここにあるのはたくさんの祈りにも似た願いが託された笹の木、うっすらと汚れの目立つ白い拘束衣、そしてとても大切な友人たち、それだけだ。
でも充分だった。
笹の木の前におれ一人だけが立ち、みんなは少し離れて並んだ。その間のスペースに、三輪さんのでこぼこした手を引いて市ノ瀬がやってくる。
「何だか照れるな」
はにかむ市ノ瀬、というのはえらく新鮮だ。彼のそんな顔を見ると無性に泣きたくなる。
こみあげてくるものを振り払うように、おれは両手を大きく横に広げた。
「オーウ。イチ・ノゥセさん、ミィワさん、アナータがたはカミの存在を──」
はいやり直し、と容赦なく神谷からダメ出しが飛んできた。
「だから神父や牧師じゃなくていいって、さっき茅紗が言っただろうが。しかも何だそのエセ外国人風。悪ふざけはやめてもっと真面目にやれ」
くそ、それでおれが号泣したらどうするつもりだ。
しかし神谷以外からも凍えそうなほど冷たい視線を浴びせられている以上、きちんとやり直すしかなさそうだった。
「リハーサルのつもりだったんだよ。場を温める的な? 心配しなくても次はちゃんとやらせてもらうって」
「あたりまえだ」
神谷はあくまで手厳しい。
「センパイ、流れとしては誓いの言葉、指輪の交換、全員の承認って感じですからね。よろしくお願いします」
ぐだぐだになりそうな気配を察した工藤からは参考になるアドバイスをもらう。
その言葉に従うと、まず最初は誓いの言葉か。
「では、二人を代表して市ノ瀬環に愛を誓っていただくことにしますかね」
しかしさすがに市ノ瀬も怪訝そうに首をひねっている。
「愛を誓うって、具体的には何をどう言やいいんだよ」
「おれが知るか。さっきみたいに思いのたけをぶちまければいいんじゃない?」
肩をすくめて適当な返事をしたおれに対し「役に立たねえ進行役もあったもんだぜ」とぼやきつつも、自分より優に頭三つ分は背の高い三輪さんに正面から向き合った。
深呼吸をし、真剣そのものの横顔で市ノ瀬がすっと彼女の胸に触れる。
みんなが固唾を飲んで次の言葉を待つなか、三輪さんだけを見つめて彼は穏やかに言った。
「ふーちゃん、おれは死ぬまで離れることなくずっとそばにいるよ」
死が二人を分かつまで。どれほどの覚悟を込めてそう口にしたのか。
おれとしては静かな余韻に浸りたい場面だったが、坂本と修介は思いっきり指笛を吹き鳴らしているし、工藤と神谷も大盛りあがりだ。
「きゃー! 聞きましたまひろさん、あの市ノ瀬さんがあんなこと言ってますよ」
「あたしとしては不本意だけど、仕方ない。フーカの隣にいる権利を認めてやる」
「もう、素直じゃないんだからあ」
本来なら結婚式というのは厳かな雰囲気で行うものだろうから、はしゃぐ行為は褒められたものではない。けれどもここでは違う。祝う気持ちさえあればそれでいい。少なくともおれはそう思っている。
「そこのテンションが上がっている女子二人、指輪の代わりになりそうなものって何でもいいから持ってないか?」
次の進行に備え、期待薄とわかりつつ一応確認だけはしておく。
「んー、残念ながらないですねえ。まひろさんは?」
「あたしもない」
やはりか。与えられた必要最低限の身の回りの品では、さすがに指輪の代用にはならない。そこは男子も女子も変わりなかった。
ならば仕方ない、即興で考えついた案を主役へお伺いを立てることにする。
「じゃあ、とりあえず短冊を巻いて指輪っぽくしようと思うけど、それでかまわないか?」
「適当だなおい」
苦笑いで返事する市ノ瀬だったが、反対はしなかった。
さっそくおれは笹の木から吊るされた色とりどりの短冊のうちのある一枚を外すべく、眼球をフル回転させて探していく。目印となるのは橙色、それがおれの書いた短冊だからだ。もう笹の木に飾られている必要はない。
「よっしゃ、見っけ」
意外と早く見つかったそれを笹から外し、まず丁寧にできるかぎり細長く折り畳んでいく。あとは輪っか状にすれば即席結婚指輪の完成だ。
今の三輪さんの指は鉄パイプほどもある太さなので、とりあえずルーズに丸めたまま市ノ瀬へと渡してやる。
「はいでは注目、そろそろ次に移るぞ」
おれの呼びかけを受けて彼が三輪さんの左手をとった。
騒いでいた周りのみんなの視線も一点に集まる。
見つめられているのを気にすることなく、市ノ瀬が短冊で作ったリングを三輪さんの薬指に通していくが、やはり少し緩い。
すると彼はまるで手の甲にキスをするような姿勢をとる。片手は三輪さんの左手を支えたままなので、もう片方の手と口とで輪っかをきつく結び直す。
そして今度は本当に彼女の手の甲へとキスをした。
「ナイト! これナイトそのまんまですよ!」
そう工藤が騒げば、智也は「うわあ……すごく様になってるなあ」と感嘆の声を漏らす。それほど洗練された仕草だったのだ。
おれは流れを止めることなく、これまでの人生でいちばん力を込めた拍手を送る。続いて坂本も、神谷も、智也も、修介も、そして工藤も。見ているだけで手が痛くなってきそうなほどの祝福の拍手を誰もが市ノ瀬と三輪さんに送っていた。
ぎゅっ、と唇を噛み締めている市ノ瀬は必死で涙をこらえているかのようだった。
おそらくは会沢医師や〈ユキザサ〉の上層部がモニター越しにこの光景を眺めているに違いない。たぶんおれたちが何をやっているのかまではわからないだろうし、わかったところで「ごっこ遊びだな」と一笑に付されるのがオチだ。
確かにその通りだろうさ。だがごっこ遊びで何が悪い。人生を賭けたごっこ遊びなら、それはもう本物に等しい価値があるはずじゃないのか。
そしてその証明ができるのはおれだけだ。感情が昂ったせいか、体がやけに熱く燃えているように感じてしまう。
少しずつ拍手のボリュームが下がっていき、やがて最後の音が鳴り終わると、そこにはまるで夜の海のような静けさだけが残った。
そんな静寂のなか、泣きだす寸前みたいな顔で絞りだすように市ノ瀬が言った。
「ありがとう。できればもっと気の利いたことが言いたいのに、それしか出てこないな。みんな、ありがとう」
けれども彼は泣かなかった。むしろ吹っ切れたように歯を見せて笑った。
「これでもう、心残りはねえよ。おれはふーちゃんとともにここを出ていく」
別れの挨拶であるかのように、おれたち全員の顔を見回してから「おまえらはどうする」とだけ問いかけてきた。
彼も、そしておれたちもわかっている。許可なく〈ユキザサ〉を出ていこうとする行為は、外の世界に災いを振りまくのと同義だ。そのときおれたちを待っているのはもう麻酔銃なんかではない。
いつかNNBFに殺されるのを待つか、故郷に帰ろうとして人間に殺されるか。違いといえばその程度だ。
迷いなく最初に答えたのはやはり坂本だった。
「いいよ、タマ。好きに選べ。どのみちおれは最後までおまえらに付き合うさ」
負けじと神谷もそのあとに続く。
「ちっ、フーカをおまえらだけに任せるとでも思ってんのか」
椿野中学出身の四人は早々に結論を出した。はたして角枝中学の四人はどうか。
「まひろさん、昨日言ってましたよね」
工藤がまず口火を切った。
「自分の人生は自分で選ぶ、って。わたしはここを出ていきたい。檻と何も変わらないようなこの場所で、残りの命がどれくらいなのかばかり考えて生きたくはないんです。わたしはただ、目的がほしい。ここにたどり着くんだって目的が」
彼女の答えが決まったことで、自動的に修介の身の振り方も定まる。
「茅紗が出ていくんじゃ、おれがついていかないわけにもいくまいて」
「修兄が来るのは別に望んでないけど」
修介に対する相変わらずの辛辣さがいかにも工藤らしい。残るはあと二人。
「智也は?」
おれの問いに、困ったように眉を寄せて智也が言う。
「ぼくとしてはどっちでもいい。ただ、みんなと離れたくない。それだけだよ」
これで七人。揃って市ノ瀬、それに三輪さんと行動をともにすることを決意した。
正直言ってもっと意見が割れると思っていたが、つまるところとっくに優先順位がはっきりしていたのだろう。控えめに言って最高の連中だ。
「センパイも行きますよね」
工藤の言葉に合わせて、おれを除く全員の目がいっせいにこちらを向く。
強く脈打つ心臓、燃えるような体、そしてたったひとつの願いごと。
「残念。おれは反対だ」
あえて不敵に笑ってみせる。
「悪いがおまえたちを出ていかせるつもりはないから」
ここからはもう、後戻りできない。




