日常の終わり
とうに穏やかな日常が崩れ去ったことを理解しつつ、それでも救助隊がやってくれば何もかもが元通りになってくれるのではという淡い期待はやがてこっぴどく裏切られてしまう。
結果から言えば、おれたちを含む客のすべてが二日間にわたって館内から出ることを許されなかった。厳重な封鎖下に新納マリンパークは置かれていたのだ。
今であればその判断に納得もできる。極めて危険な伝染病に感染している可能性の高い人間を野放しにするわけにはいかなかったのだろう。
地獄だってもっとまともな場所なのではないか、と思えるほどひどい二日間だった。金輪際呼び起こしたくはない記憶なのだが、頭の中には力任せに抉るようにして刻みこまれている。到底忘れられるはずもなかった。
中と外は回線がまだつながっていたため、状況報告は水族館の運営サイドによってたびたび行われていたようだ。しかし救助は来ず、外へ出ることもできない。もちろん脱出を試みた者もいた。その都度、麻酔銃で容赦なく狙撃され、全身を防護服で覆った連中に拘束されてしまうばかりだ。
窓からそんな一部始終を何度も目にしたおれたちは四人で小さく固まって、ただひたすらに無慈悲な時間を耐え続けた。
発症して死ぬ人間は増える一方であり、館内にはむせかえるほどの血の匂いが充満していた。水槽から床へと投げだされた様々な生物たちも息絶えて悪臭を放つ。空調システムだってもはや使いものにならず、まだ命が残っている者たちのすえた汗の匂いがそこへ混ざる。よくもまあ正気を保ったままあの場所から出てこられたものだと感心するほどだ。
ようやく生きて退館を許可されたおれたちは、まずメディカルチェックを受ける必要があった。そして例外なく、中にいた人たちはNNBFに感染していると判明した。
もはや日常の生活に戻ることはできない。計画の段階からニュースで何度となく取りあげられていた政府肝煎りの医療特別区域、そこがおれたちの収容先だと告げられた。反発する人もいるにはいたが、二日間の惨劇を目の当たりにしていた大部分の感染者はその決定を諦めとともに静かに受け入れた。
〈ユキザサ〉においておれたちはあくまでも第一陣の感染者であり、続々と第二陣、三陣の感染者が運ばれてきた。施設側からの手短な説明によれば、新納マリンパークを中心とする半径3キロ以内に感染者は集中しているのだという。
幸いというべきか、同じ角枝中学の生徒はおれたちの他にいなかった。
Unknown Virus of Ni-no Meteorite。ごく小さな隕石に付着していた未知の菌によってNNBF災禍が引き起こされた、そう知らされたのはもっと後になってのことだった。
「テロや政府の実験じゃあねえんだよって言っときたいんだろうさ」
醒めた表情でそう言い放っていたのは、まだ親しくなって間もない頃の市ノ瀬だっただろうか。事由がいずれにせよ、七月二十六日にすべては変わってしまった。
それから三百四十六日を経て、おれたちは二度目の運命の日となる七夕の朝を迎える。




