出征、護航
岬から見える古い灯台は、強い波に打たれながらゆっくりと沖合へ光を投げかけていた。最近激しさを増し始めた敵国の空襲も、今はまるで嵐を前にした海のようになりを潜めている。夕闇に染まりつつある海の景色を眺め、海人は潮の香りが強い風を胸一杯に吸い込み、時間をかけてゆっくりと吐き出した。
幼いころから父に連れられてよく遊びに来たこの岬。灯台を指差し、大らかで何をするにも豪快だった父は、よく海人に海の話を聞かせてくれた。漁業を営むこの村では、男は例外なく成長すれば船で漁に出掛けることになる。そんな漁民の中でも特に腕が良いと評判の父は、海人にとっても誇りだった。
海人の名前は父がつけた。海のように大らかで素晴らしい人間になれという意味だそうだ。父はこの岬で海の話や漁の話をした後は、いつもそう言って大きな掌で海人の小さな背中をどやしつけ、痛みをこらえつつうなずく息子を見下ろして、まるでこの大海に轟き渡れとばかりに呵々と笑うのだった。
その父も数年前にこの世を去った。この大きな海で遭難した、仲間の船を助けるために。嵐の中村人が止めるのも降りきって、長年つき添った船を出し、そのまま戻ってこなかった。父亡き後、健気にも家を守る母のために、海人は自分が父の代わりとなる事に決めた。幼い妹や弟を守るのは自分だと。
だが今日、そんな海人の運命を、国が買い取ったのだ。村役場にいる男が、「おめでとうございます」といいながら、震える手で差し出してきた赤い紙。婦人の愛国者たちがその背後で日の丸を振っておめでとうございますと唱和する。ありがとうございますと返した海人の胸に父の言葉が甦った。
「海は厳しいが、大きく優しい」
と父は言った。
「そんな男になれ」
と父は言った。
今の自分がなすべき事は、父に代わって愛する家族の住む、このお国を守る事なのだと、父に背中を押された気がした。灯台が迷う船を導くように、父の言葉は海人の胸にある迷いを導いたような気がした。
「この身が朽ちようとも、その屍でお国を守る塞を築いてまいります」
嘗て一足先に赤紙を受け取った幼馴染は、そう言って敬礼し、村を旅立っていった。今の海人は、屍で砦を築けるほど大きい男になっているだろうか。この身で、父が愛し、また海人自身が愛する家族を守る事が出来るだろうか。
できる。海人は大きくうなずいた。できるはずだ。この国は必ず勝つ。海人は家族を守れる。決意を新たに、海人は灯台を見つめた。まるで悲鳴のような、嘆くようなサイレンの音が村で響き始める。
「お父さん、行ってまいります」
覚えたばかりの敬礼を灯台に向け、海人はすぐに踵を返した。
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「出征、護航」 了