page.8 レヴィと雪月花
時は平日。琴の日の昼下がり。場所は月灯の仔猫亭、食堂のカウンター席。
『パカーン!』
我輩こと、黒猫のキーチは、食後のティータイム中である。
『パカーン!』
我輩、飲物はミルクが一等に好きであるが、そこに上品な紅茶を香り付けに入れた物も良いものである。
『パカーン!』
「ハンナ殿、これは良い茶葉であるな。気取らぬ香り高さ、とでも言おうか」
『パカーン!』
「お気に召した様で何よりだわキーチさん。お手頃な値段なのに、上品な香りで気に入ってるのよ、コレ」
『パカーン!』
うむ。ここ暫く茶の香を楽しむ合間も無かったのである。たまにはこう言う『パカーン!』…しかし喧しいのである。先程から何の音か?
「キーチちゃん、キーチちゃん!レヴィお姉ちゃん凄いんだよ!薪を素手でパカーン!って!」
元気よく登場したのはエリスである。小さな手で手刀を振り下ろす真似事をしておる。うむ。犯人はお嬢か。そう言えば昼食を摂った後姿が見えないと思ったら、腹ごなしに薪割りを手伝っていた様だ。
「真似をしてはいかんぞエリス。普通は斧を使うのである」
エリスの様な普通の娘には、あまり人外な行いを見せないで欲しいものだ。
「ふぅ、良い汗かいたー。テルセウさん、お水頂戴」
エリスの後に続き、普段着姿のお嬢が清々しい顔で食堂に入ってきた。休日だと言うのに、精がでるのである。
我輩達が月灯の仔猫亭に宿泊し1週間になる。その間お嬢は精力的にギルドの依頼をこなした。
ゴブリン討伐の依頼を受けては、ラルファギナ大森林内にて偶然にも小規模なゴブリンのコロニーを発見、迷わずこれを駆逐。
因みにコロニーとは同種の魔物が集まる集落である。常識人であれば、一人では決して手を出さない。
2日後、これにより餌場を失った一部のオーガ達が、深部から街道近くにまで進出してくると言う事態が起こり、ギルドより緊急の討伐依頼が出る事に。しかしお嬢は他の討伐依頼の最中、件のオーガの群れに偶々出くわしたので、ついでに殲滅。
流石にこの段に来て、ギルドも気が付いた。即ち、このレヴィという新人は普通ではない。
少し活動を自重して貰わねば、他のギルドメンバーが食いっぱぐれ、最悪ギルドの運営にも支障をきたすのではないか、と。正解である。
そこでギルドは、一計を案じた。
力量は間違いなくAランク級、貢献度的にはまだDランクと言った所のお嬢ではあるが、ギルド支部長の裁量で、急遽Bランクへの昇格が決まったのだ。
優秀な冒険者である貴女には、他のメンバーでは難しい仕事を優先的にこなして欲しい。また、皆の見本になって頂けるよう、合同依頼を率先して欲しい。と、これは支部長の台詞である。
要するに、お嬢はBランク冒険者になったのだから、ランク以下の依頼を受けるのは自重しろ。受けるなら、他のメンバーと組め。という事である。
基本的に、徒党を組むのが嫌いなお嬢である。加えてBランク以上の依頼が常に有るわけでもなく、現在は休暇中である。
まぁここ一週間でそれなりの収入があったのである。たまにはのんびり過ごすのも悪くなかろう。
そこに、厨房から水の入ったグラスを手にしたテルセウが姿を見せる。
「レヴィちゃん、薪割りなんか頼んじまって悪かったな。助かったよ」
テルセウに礼を言ってグラスを受け取り我輩の隣に腰かけるお嬢。
「どういたしまして、良い運動になったし。お水、ありがとう」
そう言って笑顔を見せるお嬢。透けるような色白の額にかかる白銀色の髪。緋色の瞳との対比で、双方の美しさがより際立つ。
異性であれば誰もが目を奪われるであろう、女神のような微笑みである。
だが、その女神が手刀で薪割りしている姿など見れば、誰もがドン引きするであろう。
「真に残念な娘である……今更か」
「あんた、なに一人でブツブツ言ってんの?あ、テルセウさん、剣の素振りしたいから中庭貸してね」
「ああ、自由に使ってくれ」
どうやら残念女神は休暇をじっとして過ごすつもりはないらしい。
水を飲み干すと、雪月花を手にさっさと中庭へと向かってしまう。
「私、見てきても良い?」
「うむ。だが、十分に離れて見学するのだぞ?近寄ると危険である」
はい!と一つ元気に返事をし、お嬢を追いかけるエリス。
「レヴィちゃんも、たまの休暇くらいゆっくりすりゃあ良いのになぁ」
娘の背を見送りテルセウが呟く。
「それが出来れば、苦労はせん。お嬢はゆったりと時間の流れを楽しむと言う事が出来んのだ。…常に武の道に生きてきた、弊害であるやもしれんな」
幼き時分より鍛練の中に身を置き、時間を惜しみ己を研磨し続けてきた結果、今の彼女がある。
それはお嬢自身が望んだ事でもあり、彼女に後悔は無い。
今もああして時を惜しみ、常に道を邁進し続けておる。
故に何もせずに日々を過ごす事になど、意義を見出だせんのだ。
齢15という若さを思えば、今はまだそれでも構うまい。
だが、彼女のその武への情熱に、愚直なまでに真っ直ぐなその姿に、我輩は時々、心配を覚えるのだ。
我輩がミルクを口にしながらお嬢の将来を思慮しておると、閃いた、と言うように口を開くテルセウ。
「男でも出来れば変わるんじゃねえか?あんだけの器量好しだしよ」
ぶほらっ!
「汚ねっ!おまっ!何でお前は他人に向けて吹き出すんだよ!?」
「ゴホン…いや、すまなんだ。あまりに斬新に過ぎる意見であったので、つい」
お嬢に男であるか…。考えた事も無かったのである…
「別におかしくは無いだろ?15にもなるんだしよ」
「まぁ、恋愛の一つ位は経験していても確かにおかしくは無いが…お嬢であるぞ?」
チンピラに絡まれれば瞬殺し、初依頼を受ければいつの間にか二つ名が付いていて、ゴブリンのコロニーを単騎で蹂躙し、オーガの群れを素手でパカーンしてしまう様なお嬢である。
「…相手はさぞや、苦労するであろうな」
我輩はまだ見ぬ、いつかお嬢の伴侶となる者を心中でおもんばかるのであった。
陽光の注ぐ月灯の仔猫亭の中庭、そこに拵に納めたままの雪月花を構えるお嬢の姿があった。
左足を前に半歩踏み出し、刀を頭上に、やや右に寝かせる。諸手左上段と呼ばれる、基本的な上段の構えである。
基本的に防御より攻撃に重きを置いた、攻め一辺倒のお嬢が好む型である。
呼吸を整え、お嬢が動く。静から動へ。鋭く右足を踏み出すと同時に左手で片手持ちにした刀を振り下ろす。
列泊の踏み込みが中庭を叩き、数本の芝生を舞い上がらせる。
その右足を基点に、やや右奥へ体をさばき、すかさず横凪ぎの一太刀。
そこで仮想の敵を銅から真っ二つにした刀が急停止。また最初の諸手左上段へと戻る。
お嬢は一連の動きを何度も繰り返し反復する。最近は型も技もない魔物しか相手にしていなかった為、正式な剣術と言うものがどうしても疎かになる傾向にあった。その為、感覚を取り戻そうとしておるのだろう。
寸分のズレも無く、刀が同じ軌跡を描く。その動作は淀み無く、美しい。演武の動きの一つであるが、正しく舞いを披露している様である。
その動作が終われば、また別の、一連の動作を確認するように反復する。
少し離れた場所では木箱に腰掛けたエリスが、お嬢を大人しく見学していた。
「エリスよ、退屈では無いか?見ていても、特に楽しい物でもなかろう」
「ううん、退屈じゃないよキーチちゃん。お姉ちゃん、踊り子さんみたいで綺麗…凄いなぁ…」
まぁ、お嬢はまだまだ拙い所もあるが、確かに高い水準で納められた戦闘技術からは無駄な動きが削がれ、洗練された立ち振舞いには華があり、映えて見えるものだ。
ひとしきり型を反復すると満足行ったのか、雪月花を腰に戻すお嬢。
「こんなもんかな…どうだったキーチ?」
「うむ。至近距離からの胴打ちの振りが大き過ぎる、もっとコンパクトに。連続し技を放つのであれば、肩ではなく、もっと手首の返しを巧く利用せよ。上段からの技は思い切りがあり宜しい。が、唐竹を狙う場合は、相手との距離を意識せよ。場合によっては腕を伸ばし切らず、踏み込みの距離を微調整するなどして、ニノ太刀に繋げる工夫も必要であるぞ」
「少しは誉めるとか無いのアンタ…」
「思い切りは良い、と誉めたであろう。後は精進あるのみである」
「た、大変なんだね剣術って…頑張ってね、お姉ちゃん」
うむ。お嬢など、まだまだである。
時は移り、夕刻。食事と湯あみを終えたお嬢は、寝間着に着替えて調氣法の鍛練中である。
取り込んだエーテルがプラーナに溶け込み、淡い光となってお嬢を取り囲む。
氣の扱いに関しては最近に来て益々上達しておるな。もう雪月花を十全に使いこなせる域である。後は、お嬢の気構え次第であるな。
「お嬢よ、明日はギルドで依頼を探す。あまり根を詰めるでないぞ」
「解ってる。あと少し…」
我輩は小さく嘆息する。鍛練であれば、いつ如何なる時にも手抜きを知らぬ。それはお嬢の長所でも有るのだが…
「お嬢よ。気ばかり急いても、それでは雪月花は言う事を聞いてはくれぬぞ」
その言葉に、お嬢のプラーナが揺らぎ、霧散する。
「私、焦ってる様に見えた?」
「見え見えであるな。大方、いつまで経っても雪月花が思うように扱えぬ事を、不甲斐なく考えているのであろう?」
それは、お嬢が初めて雪月花を抜刀した時の事である。拵から放たれた雪月花一片。その刀身が放つエーテルを、お嬢自身が御しきれず、危うく道場一棟を吹き飛ばしかけた事があったのだ。
その場に我輩が居たために事なきを得たが、当のお嬢は自らの刀に振り回され、制御しきれなかった事を強く悔いていた。
雪月花を十全に使いこなして見せる事は、お嬢の目標の一つであり、過去に自分を振り回した、刀に対する意地でもあるのだろう。
我輩の言葉にむくれるお嬢に、内心で苦笑をしながら声を掛ける。
「お嬢の齢であれば、スピリットアームを抜刀出来ただけでも、大した事なのであるぞ?」
「それは解ってるわよ。でも、私は早く、この刀に相応しい武芸者になりたいの」
雪月花を手に、真摯な表情を見せるお嬢。そうであるな…無茶をされても敵わん。きっかけ位は、我輩が与えても良かろう。
「お嬢よ。それならばなおのこと、焦らぬ事だ。雪月花がお嬢に問うているのは、力や技術ではない。その、昂った心である」
「雪月花が…問う?」
「左様。たまには鍛練から離れ、自分自身を見直してみてはどうだ?」
「鍛練から…離れて…」
うむ。後は、お嬢自身自らが気が付かねばならぬ事。我輩が口を出すのはここまでである。
「さて、我輩は先に寝るのである。お嬢も早く休むのであるぞ?」
「…うん、分かった」
自らも、何かしら思うことがあったのか、神妙な顔で頷くお嬢。
さて、お嬢は雪月花と解り合えるか、どうか…後は彼女次第である。
ひとひらの
花を片手に 雪小町
言の葉もなき
しずかな誓ひ
似た者同士の彼女らである。
白刃を手にするお嬢の姿を拝めるのは…そう遠い未来でもあるまい。
我輩、何気に楽しみなのである。