page.6 初仕事と脳筋娘:前編
月灯の仔猫亭に宿泊し二日目。カーテンの隙間から射し込む光が朝の訪れを報せる。
身を起こした我輩は寝台の上で身体を伸ばし、欠伸をする。これはもはや猫としての習慣であるな…くわぁふ…
お嬢を見ればやはりまだ目覚める様子は無い。が、その寝様は昨日の様な酷い有り様でもない。どうやら二度目と言うことで寝台にも慣れたらしいのである。
昨夜、朝と昼間のお嬢の醜態を本人に教えてやったら『今すぐ忘れろこのエロ猫ぉ!』等と喚きながら殴りかかってきおった。理不尽である…
どうやら、我輩を殴り飛ばして無理矢理記憶を消去しようとしたらしい。いかにも脳筋らしい行動である。
しかし、お嬢のごとき未熟者に一本を許す我輩ではない。宿の調度品を壊さずにお嬢をいなすのに、少し苦労した。
ひとしきり暴れると、無駄を悟ったのか、床に両手を着いて『一生の不覚…』とか言いながら、一人で凹んでいた。心なしか顔が紅かったようである。
お嬢にも、羞恥心と言うものがあったのであるなぁ…脳筋だ残念だ何だと(我輩が)言うが、やはり思春期真っ盛り、お年頃である。
…まぁ、昨日のアレを一生の不覚と言うのであれば、我輩これまで四回はお嬢の一生の不覚を観ているが。
それを告げるのは死体に鞭を打つようなものである。自重しよう。
さて、それはともかくお嬢を起こさねば。今日はギルドで仕事を受けなければならん。
お嬢の寝台に近寄り、取り敢えず声を掛けてみるも、当然の如く反応が無い。やはり無理矢理起こすしかないか…
問題は、いかにして起こすか、その方法であるが…
「うむ。無難な所で呼吸を阻害してみるか」
我輩は、お嬢を刺激しないよう、顔の側まで移動する。このお嬢、たまに寝たまま攻撃して来ることもある為に油断は禁物である。
後は前脚で鼻を塞ぎ、口の上に腹を落とす。
そして徐々にお嬢の顔色が青くなっていくのを眺める事、数十秒…お嬢が唐突に覚醒する。
「………だあああぁぁぁ!苦しいわ!駄猫っ!!」
起き上がった反動で我輩をはね除けたお嬢は、般若の形相で睨み付けてくる。
「おはよう、お嬢。爽やかな朝であるな」
「お前の尻の下で目覚めた朝が、爽やかな訳あるかっ!」
「お嬢が起きんからである。何度も言わせるな、自業自得である、と」
こんな朝も最早、日常の風景である。最近では慣れたものだ。
早い所、朝くらい自力で起きれるようになって欲しいものである。
朝の恒例イベントも済み、朝食を採った我輩とお嬢は宿を出てギルドへと向かう。
道中、何やら町のチンピラ数名が路地裏で意識を無くした状態で発見されたとか何とかの物騒な噂話が聞こえてくる。
勿論、我輩は何も知らない。
そして再び訪れたギルドホーム。
今日も今日とてギルド内に溢れかえる厳つい男達。女性の冒険者も居るには居るが、多いのはやはり男性冒険者。
総じて若い者が多く、齡30を越えたものは少ない。冒険者稼業はハイリスク、ハイリターンである。所謂ベテランと呼ばれるようになる前に、命を落とすか、怪我で引退してしまう者が多いのだ。
そして、冒険者ギルドのもう一つの特長、それが冒険者ランク。誰もが最低ランクのEから始まり、冒険者としての功績やその力量をギルドが査定。評価に比例し、次第にランクを上げて行くのである。
Aランク冒険者ともなれば、そのギルドの花形である。今日も若き冒険者達がその頂を目指し、依頼に繰り出して行く。
そんなギルドホームの一角、掲示板の前。初日から残念ぷり全開の脳筋娘…お嬢の姿があった。
「何この依頼。公衆トイレの掃除って…こっちは薬草の採取…これは…薪拾い?…これの何処が冒険者の仕事なのよ。」
「お嬢よ、冒険者ギルドは街の何でも屋である。前にも聞かせ…」
「あ!この討伐依頼、面白そう!これに決めたっ」
我輩の言葉を聞かず、何かBランク推奨とか書かれた討伐依頼書を掲示板から手に取り、受付カウンターに一直線である。
冒険者ギルドの斡旋する仕事は、大きく二つに分けられる。
一つは、街の住人や役場からの依頼により構成される。要するに雑用の様なものである。
例えば先程お嬢が言った公衆トイレの掃除等は役場から、薬草や薪集めは商いを生業にする者達からの依頼である。中には、魔物の部位収集なども有るには有るが、基本的には危険度の低い依頼が多い。全体的に低ランクの依頼が集中するのだ。
そして後一つ、ギルドが直接魔物の討伐や生息数調査などを、冒険者に依頼として呈示する場合である。
此方はゴブリンやらオーク等の下級の魔物から、国から危険指定生物とされる様な狂暴な魔物を対象としたものまで、ピンキリである。
此方はその危険度により、中から上ランクとされる依頼が多い。
当然、危険な依頼ほど、報酬も評価も高く、低ランクの冒険者が受注しようとしても、カウンターで門前払いである。
今我輩の目の前にいる、受付カウンターで撃沈してきた阿呆の様に。
「阿呆よ、いや、お嬢よ。そなたは、昨日ギルドに登録したばかりのピカピカのEランクであるぞ。Bランク推奨の討伐依頼など、受注出来る訳がなかろう」
何故こやつは考えるより先に行動するのか…
「けどっEランク推奨の仕事って掃除とか採掘の手伝いとかよ? 私が考えてた、冒険者の仕事からかけ離れ過ぎ……を?」
「…今度は何を見付けた…?」
「Dランク推奨。フォレストウルフの毛皮の納品…」
「まぁ受注出来ない事はないであろうな」
ワンランク上くらいであれば、受付職員の裁量でも依頼を発注出来るであろう。
「仕方ないか…今日はこれにする…」
改めて依頼書をカウンターに持っていくお嬢。
あ、受付嬢が若干引いておる。おそらく先程の一件で、超級のアホだと思われたのであろう。
近くにいた若い冒険者達も呆れたように笑いながら依頼に出て行く。
かくして、お嬢の初仕事が幕を開けたのであった。
サンドラの街から南に進むこと1時間。我輩達はラルファギナ大森林に到着した。
この森は我輩達の故郷であるカルツドウル王国と、このフェルタニア王国の国境沿いに拡がる様にして存在する。面積にして約30000㎡という広大な森である。
そこに生息する動植物の種類は多岐にわたる。フェルタニア王国の資源であり、サンドラの街の収入源となるのだ。
今回お嬢が受けた依頼は、この大森林に生息するフォレストウルフという狼。その毛皮の納品である。
フォレストウルフはテルステラ全土の森に生息する野性動物である。性格は獰猛で、集団で狩りをする。時には熊のような大型の動物もその餌食となるのである。 その毛皮は耐久性に優れるため、庶民の普段着や作業着の材料として、重宝されるのだ。
「アレイも、冒険者に成り立ての頃は良くこの森に通ったものである」
「すごい森、ね!…迷子になったり、しない?!」
「案ずるな。我輩が居ればまず迷いはせん」
踏み込んだ森の中、高く生い茂る木々は日の光を遮り、微かな木漏れ日が幾ばくかの明りをもたらす薄暗い環境である。
何処まで見渡しても同じ様な光景が連なるばかりで、土地勘の無い者ならば直ぐに道に迷うであろう。
「便りにしてるわ…よっと!」
話をしつつも森の奥へと歩を進めるお嬢。先程から手当たり次第に、姿を見せる獣や魔物を仕留めておる。
そのお嬢の手には今、一振りの刀が握られている。
お嬢の愛刀、銘は『歌仙・雪月花一片』(かせん・せつげっかひとひら)
刃の中央が強く反り返った二尺三寸のミスリル製の刀身を、美しい板目肌の刃文が彩る打刀。銘をそのまま写したかの様な純白は、素材となるミスリル鋼を丹念に鍛え上げ、その強度を存分に引き出した証である。
刀匠はドゥーラ・カセン。代々カンナギ流の戦士の武器を鍛えてきた鍛治師の名門『カセン』の名を現在に継ぐ名工。
しかしその至高の一振は今は、全身をミスリル鋼で補強した拵に納められたままである。お嬢は襲い来る獣と魔物をその鞘で打ち払い、徒手空拳で仕留める。
何故抜刀しないのかと言えば、一つは依頼の素材を傷付けぬ為に。そしてもうひとつ、我輩が抜刀を許可していない、というのが理由である。
カセン一派が打ち上げるのは『スピリットアーム』と呼ばれる武器である。お嬢の『雪月花一片』もこれにあたる。
スピリットアームとは星が持つ生命力、エーテルをその身に宿した武器。即ち『生きた武器』である。
カセンの名を継ぐ鍛治師達はその門外不出の技術を用い、文字通り武器に命を吹き込むのだ。
このスピリットアームの使用者は、己のプラーナと武器のエーテルを同調させ、その武器に内包される力を解放する。つまりは最低限、エーテルを扱う技術を身に付けなければならぬ。
それが出来ないのであれば、唯の宝の持ち腐れ。例えば、刀であれば抜刀する事すら出来ないのである。
お嬢の場合はエーテルを取り込み扱う事は出来るが、それを操作する術は見ていてもまだまだ危なっかしいのである。
一方の雪月花一片も、持ち主に似てかなりのじゃじゃ馬である。ひとたび抜刀してしまうと危険極まりない。下手をするとこの辺一帯の森が更地になりかねないのだ。
故にお嬢には、我輩の許可なく抜刀しないように厳命してある。
そもそもこの辺りの獣や魔物を仕留めるのにそこまでやる必要はないのである。
今もまたお嬢の背後。木の上から襲撃してきた赤い身体の巨大な猿型の魔物、ブラッドエイプの豪腕の一撃を鞘であっさりと払い、振り返ざまに放たれた裏拳が顔面を捉え、勢いもそのままに地面に叩き着ける。
この辺りの魔物など片手間でも十分、と言わんばかりである。
我輩はと言えば、先程からお嬢が倒した魔物の討伐証明部位や、獣の売却可能な部位をせっせと剥ぎ取っては背嚢に溜め込んでおる。
うむ。一時間程で依頼の毛皮だけではなく、様々な換金部位が手に入ったのである。我輩ホクホクである。
「お嬢よ。ぼちぼちの成果である。そろそろ戻らぬか?」
これだけ部位が手に入れば一日の稼ぎとしては十分である。むしろこれ以上は狩りすぎである。
「…消化不良なんだけど…」
「大森林の生態系を壊す気であるか?自然との共生とは「じゃあ後一匹、大物狩ったら帰ろうっ!」………はぁ…」
意気揚々と先を進むお嬢。我輩はため息を一つ溢し、背嚢を背負い直して後を続く。だが…
どうしたことか、それ以降は獣も魔物も大物どころか影すら見えぬ。
「……むぅ……」
唸るお嬢。もはやお嬢の異常さを察して逃げ出したのでは無かろうか?なにせ森に来てから1時間足らずで既に50体ほどの魔物やら獣を一人で狩っているのだ。
こんな出鱈目な生き物を見れば、野性動物とて逃げ出すであろう。
「居ないわねぇ…個人的にはオーガとか殴り甲斐がある奴希望なんだけど…」
「もっと奥地まで行かんと、そんなもんはおらん…」
喰人鬼と呼ばれるオーガを『サンドバッグにする』と宣言した女性は恐らくお嬢が世界初であろうな………む?
「お嬢よ。なにか音がする」
「そう?」
「真正面である。………これは…人間の声であるな…む。なにかから逃げておるな…あと50m程で接触である」
「お?もしかして、大物かな?行くわよっ!キーチ。人助けよ!」
肉食獣の様な笑みを浮かべるお嬢。確かに、これは助けが必要なのかも知れんな。…まぁお嬢は絶対に目的が違うと我輩が保証しよう。
目標は直ぐに確認できた。冒険者風の数人が、必死の形相で此方に向かって走ってくる。若い男二人に少女一人の三人組である。
良く見れば、今朝ギルドに居た若者達だ。お嬢に呆れ笑いをくれていたあの者達である。
あちらも我輩達に気が付いた様だ。と言うかお嬢を覚えて居たのだろう。此方に気が付いた途端に、慌てて口を開く。
「新入りっ!早く逃げろっ、オーガが出た!」
その言葉に喜んだのはお嬢である。希望していたオーガと言うその単語に、笑みが更に深くなる。
「おいっ、早くにげ…」
断言しよう。お嬢は若者の言葉を、『オーガが出た』の部分しか聞いてはいない。
その場に仁王立ちで冒険者達とすれ違うと、森の奥へと視線を据える。
その雰囲気は既に闘いに備え、抜き身の刀の様なプレッシャーを放ち始めている。星のエーテルに呼び掛け、プラーナを充実させているのだ。
声を掛けようと足を止めた冒険者達も、完全にお嬢の雰囲気に飲まれ言葉を失っている。
「兄らよ」
「!?…猫がしゃべった…?」
「じ、従魔なの…?」
我輩が冒険者達に呼び掛けると、案の定驚かれるが、今はそれどころではない。
「お嬢の側に居ると巻き込まれるぞ。我輩の後まで下がるがよい」
「あ、あの子がオーガと戦うのかよ!?殺されるぞ!?」
後に下がりながらも冒険者が抗議してくるが、もう遅い。木々を薙ぎ倒しながら、それが姿を現す。
『ガルァァアアアアァ!』
赤銅色の汚れた肌。その身体は首から四肢の先端まで全身が筋肉の塊。
技も何もなく力任せに振るわれるその豪腕は、脆弱な人間の身体に即座に致命傷を刻み込む。そして、その強靭な顎で噛み砕く。
古来より人はその存在を、恐怖と厭忌の念を込めて呼んだ。
喰人鬼…オーガである。