page.5 キーチと懐旧
新月の夜。12月ともなると、流石に夜は冷え込むのである。
気分的に、月のない夜と言うのも、それに拍車を掛けているのやもしれぬな。最も、月は今は見えぬだけで、間違いなくそこに存在するのではあるが。
古の俳人は、月が雲に隠れ見えない夜にも、確かにそこにある月の姿に想いを馳せ、『見えない物を思い浮かべるのもまた、風流である』と語ったそうである。
だが、我輩やはり、月は見えたほうが、趣もあり、感性を刺激されると思うのである。まぁ新月では、こればかりはどうしようもないが…
新月と言えば、この世界にも一応、宗教というものが存在し、人々の心の支えとなっている。 その一つ、月の女神、セレネを信仰する、マーニ教。
セレネは月の女神にして、運命を司る神として世界中に多くの信者がおり、この大陸中に広く普及する、最も有名な宗教である。
マーニ教の教義では、女神セレネは月そのものであるとされており、新月は女神の休息の一時であると云われる。
まぁ実際の所は少し違うのであるが。
チンピラ集団を鎮圧したお嬢と我輩は、再び宿への帰路についていた。
「あー…最近あんなのばっか…身体が鈍るわ…」
これはお嬢である。確かにあんなチンピラを幾ら相手にしようと、自らの糧にはならん。
武人としての強さと経験とは、己と同等か、それ以上の強者と凌ぎを削ってこそ、その身に付くものである。
後は、日々の鍛練の中で自らを高めて行くしかない。
「キーチ、明日は組み手付き合ってよ」
「たわけ。明日はギルドで仕事である」
うなだれるお嬢。
我輩、旅の合間を縫って時折お嬢の訓練相手になっておる。が、最近は何かと慌ただしく過ごしておったせいで、相手をしておらん。
そろそろ、強者との闘いに飢えておるのであろう。脳筋だけに。
「時にお嬢。お主最近、氣の流れが拙い時があるぞ。調氣法の鍛練はきちんとしておるのか?」
「やってるわよ!ただ、最近、実戦で氣を使ってないからさ…」
調氣法。即ち、氣を調え、己の内でその流れをコントロールする鍛練である。
そもそも、『氣』とは何か? 簡潔に述べるならば、それは『生命力』即ち、あらゆる生物及び、このテルステラと言う星、そのものが宿す『純粋なエネルギー』である。
主に生物が宿す『氣』を『プラーナ』
対して星が宿す『氣』を『エーテル』と呼ぶ。
我輩達、カンナギ流の武芸者は入門編を経て、この生命エネルギーを、闘いに転用する術を学ぶのだ。言わば、カンナギ流の実技編であるな。
人の一人一人が持つ『プラーナ』はこの星が保有する『エーテル』と比べれば、それこそ爪の先程の量である。しかし、己の中の『氣』であるプラーナを認識する事で、星の『氣』であるエーテルを知覚し、体内のプラーナを媒体に、星のエーテルに干渉。その一部を体内に取り込む事を可能にする。
そして、取り込んだエーテルをプラーナと混合させ、己の氣として使用出来る状態とする。
その一連の流れをひたすら繰り返すのが『調氣法』と言われる、カンナギ流の鍛練の一つである。ふぅ…
…因みに、入門編でひたすら門下生をいじめ抜くのは、ふるいに掛けるのと同時に身体を限界まで追い込み、最後に残る、己のプラーナを無理矢理に認識させる為でもあるのだ。
「良いか?お嬢。調氣法は言わば、カンナギ流の基礎にして最も重要な鍛練の一つである。それを疎かにして、今より先へ進めるとは思うな」
この『氣』使用する事により、カンナギ流の戦士は常人とは一線を画す、人外の肉体を手に入れるのである。
「はい、師匠」
素直に頷くお嬢。この娘は、武の道には兎に角真摯な態度で接する。
故に、その上達振りには目を見張るものがある。
通常、プラーナを認識出来るようになるまで、五年。エーテルを知覚し、己の氣として扱えるようになるまで更に十年間。それほどの時間を要するのである。
それをお嬢は、15と言う齢で既に、カンナギ流の上級編へと片足を踏み入れつつあるのだ。正直な所を言えば、末恐ろしいとしか言い様が無いのである。
…そう言えばかつて…居たな。カンナギ流の申し子と呼ばれた、一人の英雄が。
これ程の才気を見せた者、カンナギ流の長い歴史の中でも…
「お嬢で、二人目であるな」
「…ん?………二人目って、何が?」
このお嬢なら、かつての英雄と自分が同じだと言われれば、喜ぶのであろうな…
しかし…英雄として生を受ける事が、必ずしも幸せであるとは限らないのだ…
「……我輩を投擲武器にした相棒が、である」
「あ、前にも居たんだ…私が言うのもなんだけど、ワイルドな人だねぇ…」
「ふふ、そうであるなぁ。確かに、竹を二つに割った様な、はっきりした性格の人物ではあったな…」
英雄と言う運命の下に生を受け、誰にも恥じぬ生涯を全うした、偉大なる、かつての相棒。
脳裏に浮かんだのは、何時も笑顔を浮かべていた、英雄である相棒。
だが、我輩だけは知っている。常に…英雄の定めと、己の願いの間で、彼女が揺れていた事を。
…日に二度も、思いだそうとはな…
「……ふーん」
…うん……なんであろう…お嬢のこの反応は…
「キーチ、宿まで乗ってく?」
お嬢が自らの肩を叩いて聞いてくる。
「何であるか、唐突に」
「いや、何か元気ないみたいだからさ」
…どうやら、お嬢にすら気を使われてしまった様である。
「今日は珍しく優しいではないか。どうしたお嬢?
気色悪いのであるぞ?」
「…何ならアンタだけ先に宿までぶん投げてあげようか!?」
「断る。スローライフが我輩のモットーである故」
うむ。調子が戻ってきたのである。やはり、お嬢はこうでないとな。
我輩は、お言葉に甘える事にする。一跳ねしてお嬢の肩に飛び乗った。
「やはり気が晴れぬ時は、お嬢をおちょくるのが一番であるな。礼を言うぞ。お嬢は癒し系である」
「…それ、貶してんの?誉めてんの?
…とりあえず、馬鹿にされてる気しかしないけどね!?」
むう。我輩、心外である。
「まさか。純粋に、この上ない誉め言葉であるよ。むしろこれ以上、お嬢を誉めるのは無理である」
「絶対馬鹿にしてるよね? つーか、誉めながら貶すな!!」
またいつもの阿呆なやり取りを取り戻し、再び歩き始めるお嬢。
かつての相棒がそうであったように、この相棒もまた、唯一無二の、パートナーである。
今日は…というか今日も、主に相棒のせいで、やたらと長い一日であった気がするのだ。
…だが、この相棒と共に行動するようになり、色々な意味で、退屈する事がないのは確かである。 良く言えば、充実している、とでも言おうか。
やがて月灯の仔猫亭に戻った我輩達。
遅い帰りを心配したエリスに迎えられ、我輩だけ夕げを頂く事にする。お嬢は先に部屋で休むと言い残し、さっさと階段を上がっていった。
「そういや、キーチ。昼間に強盗を捕まえたんだって?お手柄だったじゃねーか」
と、テルセウ。
「うむ。成り行きだがな。エリスに聞いたのか?」
「お前に助けられたって露店商のおっちゃんが、わざわざ礼を言いに来たんだよ。出掛けてる、つったらほら。これ、お前にだってよ」
そう言ってテルセウが我輩に一抱え程もある大袋を手渡してくる。
「そうか、それは済まぬ事をしたな……して、これは何であるか?」
袋によじ登り、その口を開けてみれば…
それは大量の、マタタビの実であった…
我輩は無言で袋を閉じる。これをどうしろと…いや、(猫の)食べ物である以上食べるしか無いのだが…
「良かったね、キーチちゃん」
と、笑顔のエリス。
「う、うむ。有り難く、頂くとしよう…」
苦笑いを隠しながら袋を背負い、我輩も部屋に戻る事にする。
部屋に戻るとそこには微動だにせず床に座禅を組み、目を閉じるお嬢の姿があった。
我輩に言われたから、という訳ではなかろうが、どうやら調氣法の鍛練中のようだ。ゆっくりと、深く呼吸をする度に、彼女の身体中の細胞が、エーテルを取り込みプラーナが活性化しているのが見受けられる。
お嬢はカンナギの鍛練に関しては、愚直なまでに真っ直ぐであり、余念がない。
自らが歩む、その道の先に居るであろう、技を極め、氣を極め、高みに達した自分自身を、常に見据えているからだ。
ふと、ある言の葉を思い出す。
『後悔ばかりしたくないから、いつだって前を向いて生きるんだ。常に精一杯、全力で』
常に前向きに生きる。
それは、簡単な様であり難しい。人は弱い生き物である。我輩も例外ではない。今日のように過去を振り返り、悔いる事もあるのだ。
常に前向きに生きる。
それはかつての相棒である、彼女の残した言葉であった。
我輩もその言葉を胸に、自らの道をしっかりと歩まねばならぬ。
ひたすらに前を見据える、現在の相棒と共に。
朔月に
おもひを馳せた
冬の夜
新月に、いつに無い趣を感じた今宵であった。