page.18 レヴィの休息と鋼鉄の男
イビル・クランが街に現れた、その事件の二日後。サンドラの街の中央通りには引き続き、壊された店舗や公共物の修繕に従事する住人達の姿が見受けられる。
しかし、それ以外の人影、商店街の買い物客や公園で遊ぶ子供達の姿は殆んど見受けられない。
イビル・クランが街中に現れたと言う噂は、昨日の内に住人達の間に広がっている。極力外出を控えるのは一般人にとっては当然の対処であろう。
街のあちこちに、巡回中の武装した憲兵の姿も見受けられ、サンドラの街はものものしい空気に包まれていた。
「…静かねぇ。いつもだったらこの時間は、人がごった返してるのに…」
口を開いたのはお嬢。中央通りをギルドに向けて歩んでいる最中である。
その肩にぶら下がりながら、我輩は言葉を返す。
「仕方なかろう。奴等が現れたのはまだ一昨日の事である。皆、外出を控えておるのだ」
そんな中、何故我輩達がギルドに向かっているのかと言えば、ギルドから呼び出しが掛かった為である。
「しっかし、何の用件かしらね? わざわざギルド支部長のお使いが来るなんてさ」
「ジャックも呼ばれておると言う話であるし、間違いなく、一昨日の事件の関係であろうな。事情聴取か、その辺りであろう。支部長殿、直々にな」
我輩のその言葉に、あからさまに嫌そうに顔をしかめるお嬢。まぁ仕方あるまい。
只でさえ北の廃村の件でギルドがピリピリしている所に、一昨日の事件である。
ギルドとしても、少しでも情報を集めておきたいのであろう。
「あの人、話が長いから苦手なんだよね…バックレたら怒られるかなぁ?…」
「招集を無視して、ギルドを追放されでもしたら、直ぐにどこかの軍に目を付けられるであろうな。と言うか、既に先日の件でこのフェルタニアの兵には注目されているであろう。カンナギの武芸者はひたすら悪目立ちする故に。そして、お嬢はあっと言う間に騎士団か何かに勧誘という名目の徴兵をされて、戦争の道具となる訳である」
それこそが我輩がお嬢をギルドに登録させた本懐である。
ギルドは世界中に拠点を持つ、国から独立した自治組織の様な物である。メンバーに登録されてしまえば、例え騎士団が直々にスカウトに来ようと、本人がそれを望まぬとあらば堂々と勧誘を断れる。それだけの権利を保有するのだ。
お嬢の両親、アレイとオリヴィアがそうであった様に、カンナギの者がギルドの保護下に入るのは、全てはカンナギの武力を人に向けさせぬ為。イビル・クランと戦う為に編み出されたカンナギ流闘法術が、戦争の道具に利用されぬ為の手段なのである。
「それは解ってるわよ………あーもう…面倒臭いなぁ…」
「解っているなら宜しい。では、ギルドに急ぐぞ」
「はいはい…」
――――――――――
そして訪れたギルドの2階、支部長の執務室。 神経質な支部長のねちっこい事情聴取が、既に1時間程に渡り、執り行われていた。
只でさえ詰問が嫌いなお嬢は、もはや爆発寸前である。ハラハラ…
「それではレヴィさんは、偶々騒ぎを知り、あの現場に駆け付けてイビル・クランと戦闘行為に至ったと。そしてその場に居合わせた黒服の男に関しては、素性は知らない。交戦の結果、イビル・クランは逃走した。と、そう仰る訳ですね?」
「だから!さっきから、そう言ってる…言ってますっ」
同じ様な質問をアプローチを変えてしつこく繰り返す支部長。事情聴取の常套手段である。
我輩はお嬢に必要最低限の原稿を与えて、それ以外は何も話すな、知らぬ存ぜぬで通す様にと言い含めた。さっさと事情聴取を終わらせるには、これが一番手っ取り早いのだ。
厳密に言えば、現場に居合わせたのは完全なる必然であるが、気配を察したので向かったのは本当の事である。
お嬢がまだ、我輩の本当の素性を知らぬのも事実。
要するに嘘は言っていないが、真実も言っていない。それだけである。
「…街のあちこちで貴女の従魔…キーチさんが目撃されている、と言う件に関しては…」
「我輩はイビル・クランの気配には鼻が利くのでな。お嬢とは別行動で、奴等の傀儡になった人間の居場所を特定し、鎮静化して回って居ったのだ」
うむ、これはほぼ真実である。
「…優秀な冒険者、優秀な従魔ですねぇ。最近騒ぎがあると、必ずあなた達の名前が上がります。あなた達の様な優秀なメンバーに恵まれて、管理職冥利に尽きますよ……はぁ…」
どうやら支部長殿はかなり多忙を極めている様子である。…まぁ、主にお嬢のせいであろうが。
元々不健康そうな顔色は、疲労の蓄積により、病人一歩手前の所まで悪化している。
「…事の次第は解りました。わざわざご足労下さり、感謝します。…そうそうそれと、国からギルドに感謝状が届きまして。彼方の言いたい事を直訳すると、イビル・クランを撃退したという優秀な冒険者に是非一度、お目に掛かり「お断りしといて下さい」…ですよね……そんなに怒らないで下さいよ…私だって仕事でやってるんですから……はぁ……」
…うむ。職務に忠実である故に打算的な性格にも見えるが、案外気の良い男なのかも知れぬな。
「あぁそれと、例の北の廃村の件ですが…先見隊からの報告が届き、貴女方の依頼結果の裏付けが取れました。よって近々、討伐隊が編成される予定です。…もし本当に、先日のイビル・クランが背後に居るのであれば、これはかなり厄介な事実ですね…」
…うむ…その件で気になるのは、ぼろ雑巾が口にしていた『イベント』とやらの事である。
「奴等が北の廃村と関係しているのは間違いないであろう。動くとすれば、討伐隊が派遣されるタイミングに合わせて出鼻を挫いてくるか…それとも…」
「魔物を陽動に、手薄になった街をまた襲う…そんな可能性も視野に入れなければなりませんね…」
支部長が我輩の言葉の後を継ぐ。しかし、我輩はすぐにそれを否定した。
「いや、それはあるまい。今の所、奴等の狙いは一戦交えて痛手を負わせた我輩達に絞られている。それを放置して街を狙いに来る事はあるまい。それに、もしそうなった場合は…そのがら空きの背中に、今度こそ致命の爪を突き立ててやるのみである」
「…貴方、本当に猫ですか?」
「うむ。我輩は猫である」
「…そうですか…じゃあ良いです、それで。……それと最後に、レヴィさん。フェルタニアのギルド本部より早馬での速達があり、今回の功績を正式に貴女の物と認め、本日付で冒険者ランクAに昇格とします。という事です…最短、最年少記録を二つ同時に塗り替えちゃいましたねぇ……おめでとうございます」
「ふーん…」
うむ。お嬢ならばこんな反応であろうな。ギルドとしては、優秀な戦力をギルドに繋ぎ止めておく為、異例中の異例のスピード昇格を決定したのであろうが、本人はランクに興味を持たぬ為に、あまり効果は無い。
「いや、ふーんて……ははっ………お話は以上です。…御苦労様でした…」
最後は乾いた笑みを浮かべながら、支部長殿は退出を許可した。
「………どーも。それじゃ、失礼します!!」
わざとらしく声をあらげ、ドアを激しく音を立てて閉めるお嬢。精一杯の嫌みであるな。
「あー!!肩こったっ!!キーチ。下行って飲むよ!」
ぐるぐると肩を回しながらお嬢が口を開く。む。これは我輩が割りを食う事になるパターンの奴である…
時刻は漸く昼を回ったばかり。この時間からの飲酒など、年頃の娘のする事ではない。……が、事情聴取で相当にストレスを感じた様子であるし、一昨日はお嬢も頑張ったのである…まぁ、たまには良かろう。
…来た時にはイザーク達も酒場に居たのである…あやつらも巻き込んでやろう。くくく。
そして一階に戻ったお嬢と我輩。そこでいきなり、むさ苦しい男共の暑苦しい歓迎を受ける。
「「姉さんっ!!Aランク昇格、おめでとうござ…」」
しかし彼等は直ぐに、黒いオーラを纏ったお嬢に気が付き、固まる。
「…三秒以内に、散れ」
蜘蛛の子を散らす様に、とは正にこの事であろう。速やかに各々のテーブルへと帰っていく冒険者達。大変良く躾られた忠犬の様な姿である。
「すまんな、兄達。お嬢は今少し、疲れておってな。気持ちは有り難く頂いておくぞ」
我輩は慌ててフォローに回ったが、どうやら彼等もそこまで気を悪くはしていない様である。その後は内輪でこっそり、お嬢の昇格祝いが始まっていた。
「…たくっ、やかましいのよ、いちいち騒ぐなっての…」
「そう言うな。彼等も善意でしてくれているのだ」
我輩が取り直すものの、不貞腐れた様に椅子に腰掛けるお嬢。そこに恐る恐るイザーク達三人組が近付いてきた。
「あ、姉さん、何か荒れてやすね? 支部長の呼び出しって、Aランク昇格の話じゃ無かったんですかい?」
どうやら既に、一昨日の一件でお嬢がAランクに昇格するのでは、と噂が持ち上がっていたらしい。
「…昇格の話に、小一時間の事情聴取付きってどうなのよ? 私はランクとかあんまり興味無いしね。ひたすら苦痛だったわ」
「そりゃ、姉さんらしいっちゃ、らしいっすわ」
そう言って朗らかに笑うイザーク。多少は気心の知れた彼等と話し、お嬢も少し態度を軟化させた様である。
「しっかし、まさかの最年少記録とは…あのアレイの記録が破られる日が来るなんて、夢にも思いませんでしたよ」
おお。そう言えばそうであったな。アレイがAランクになったのは確か16の時である。
「え!? もしかして父さんが最年少の記録ホルダーだったの!?」
「何だ、知らなんだかお嬢。齢16にしてAランクに登り詰めたアレイ・ハウルエルの逸話は有名であるぞ?」
「へー。私、父さんの記録を抜いたのかー。…それはちょっと、嬉しいなぁ」
『ちょっと』とか言いつつも喜色満面のお嬢。だらしない顔でニヤニヤしている。
しかし、その我輩達の会話をなんとは無しに聞いていたイザーク達が、再び固まる。
「…姉さん、今『父さん』とか言いましたか?」
「父さんて、あのアレイが姉さんの親父さん…って事ですかい!?」
「…いや、俺はある意味納得しましたよ…」
口々に驚きを表すイザーク達。そう言えばこやつら、お嬢のファミリーネームを知らんかったか。
「うむ。このレヴィ・ハウルエルは間違いなく、アレイとオリヴィアの娘である。我輩の相棒の先代は彼等だ」
「じゃあアレイが連れてたって言う、黒い従魔って、キーチさんの事なんですか!?」
「如何にも」
イザークにそう返してやると、しばらく放心状態になる三人。
アレイが冒険者としてサンドラに居た当時は、こやつらはまだ幼子であった筈。ギルドに伝説的に語り継がれるアレイの関係者が、目の前に居る我輩達だと聞かされては、それも当然か。
「…ねぇキーチ。父さんて、そんなに有名人なの?」
「うむ。この国で有名な話としては、国内最北の地であるアルカン山脈に住み着いた黒龍の討伐があるな。あれはやたらと王水のブレスを吐きおって、近付くのにも苦労した。中々に骨のあるエルダードラゴンであったぞ。最終的にはオリヴィアに顎を砕かれ、アレイが両翼を切り飛ばし、墜ちた所を我輩が消滅させたのだが」
「…我が両親ながら、とんでも無い事しでかしてるわね…」
その際に彼等が頂いた二つ名が、アレイはずばりそのまま『龍墜の刀鬼』であり、オリヴィアはその容姿と、しなやかにして強力無比な徒手空拳から『白妙の豹』(はくたえのひょう)と呼ばれ、当時の冒険者達の畏怖と尊敬の対象であった。
「なるほど…つまり姉さんは、サラブレッドだった訳ですね。道理で、出鱈目に強い訳です…」
復活したビギンズが何やら一人で納得する。この大男は、意外と順応性が高い。
まぁ確かにお嬢は、父からは剣術、母からは格闘術の才能を確実に継いでおるな。その実力は例えプラーナを用いずとも、並のAランク冒険者では歯が立たん程である。
そこで、我輩はふと気になる事を思い出し、口にしてみた。
「時にビギンズよ。今サンドラのギルドには他にAランクは居らんのか?」
北の廃村の討伐隊となれば、それなりの質と人数を揃えなければなるまい。Aランクがお嬢一人だけでは、ギルドとしては些か拙い。
「いや、他に二人、居るには居るんですが、二人とも依頼で遠出してるんですよ」
「二人か…少ないのう…」
我輩の独り言に次いで、衝撃から立ち直ったザックが、ある男の名を口にする。
「……あ。そういや、『鋼鉄』のバルテスさんがそろそろ帰ってくるって、ギルドの斥候仲間に聞きやしたよ」
むむ。鋼鉄のバルテスとな? ひょっとすると我輩の知る、あのバルテスであろうか?
「ザック、そのバルテスと言うのは……」
我輩が言いかけたその時、言葉を遮る様にして、ギルドの扉が大きな音と共に開かれる。
勢い良く扉を開けて現れた、小柄ながらも筋肉質な一人の冒険者。…噂をすれば影…と言う奴であろうか。
「おお。言ってる側から来たぜ、バルテスさんだ」
うむ。やはり、この男であったか。…しかしまた、懐かしい顔である。
姿を見せたバルテスが、何かを探すようにギルド内を眺め渡す。 そして、我輩達の席にその視線が固定された。
「…おおおおぉぉ!! 先生ぇ!!!」
…我輩その馬鹿でかい声に、かつてのバルテスと言う男の性格を思い出して、嫌な予感はしていたのだ。
バルテスは脇目も振らず、一直線に我輩達のテーブルへと駆け出した。いや、正確には、我輩を肩に乗せテーブルで寛ぐお嬢へと。
唐突に現れた男が、自らに向かい突進してくると言うこの状況。お嬢の取る行動など、一つに限られている。
流れる様な動作で席を立ち、構えるお嬢。我輩が制止の声を掛けようとしたが、時既に遅し。
バルテスがその間合いに入った次の瞬間、コンパクトに折り畳んだお嬢の左腕が霞み、飛燕の速度で繰り出された回し突きが、見事なまでにバルテスの顎を捉えた。
まさかいきなり殴られるとは思って居なかったバルテスは、まともに顎先を撃ち抜かれ、頭部を豪快に揺らす。しかし、突進していた彼の勢いはそれだけでは止まらない。
やや前のめりになりながらも、慣性のまま更にお嬢へと歩を進めたバルテス。
前のめりになった事でやや位置が低くなったその脳天に、今度は山なりに弧を描き打ち下ろす、右の追撃が痛烈に突き刺さる。
「おぶしっ!?」
プラーナを用いれば、オーガの頭部すら木っ端微塵にしてしまうお嬢の打ち下ろしである。これには流石に突進の勢いも敵わなんだ。
踏ん張る事も出来ず、顔面から床に叩き付けられるバルテス。
…突然の出来事に、ギルド内部は静まり返る。
そして、静寂の中で我に返ったお嬢が焦り始めた。
「………あ! ごめん!? …だって!いきなり突っ込んでくるから…つい、反射的に…」
「「バルテスさぁぁん!?」」
唐突に起きたその惨劇に、悲鳴が巻き起こる酒場の中、お嬢の足元に横たわるバルテス。今の倒れ方からして、かなり危険な状態やも知れぬ。
我輩はお嬢の肩から飛び降り、その足元の状況を急ぎ確認する。
……そして、安堵の溜め息をもらした。
「キーチっ…状態は? 大丈夫なの?」
反射的にとは言え、自分の拳が作り出した惨状に、慌てた様子で聞いてくるお嬢。
我輩はお嬢が安心する様に、落ち着いた声を掛けてやる。
「お嬢、案ずる事は無いぞ。床板は無事である」
「「「そこじゃねーだろっ!!!」」」
それは酒場に居た全員が一斉に唱和した、中々に壮観なツッコミであった。