キノコ生態レポート その6
「ちょ、キノコ君!? 大丈夫!?」
「あぐっ………」
ありとあらゆる痛みが俺の体を駆けずり回っているような、途方もない苦痛が俺に襲いかかっていた。体の内側から無数の針で突き刺されているような例えがたい苦しみで、意識が飛びそうになるのを必死に堪えるので精一杯だ。
世界はグルグルと回り、月夜の心配する声がまるでエコーのように重なって聞こえてくる。
「キノコ君!? キノコ君!」
「あちゃー、死んじゃうわねこの人」
「ぐはっ! がはっ……」
呑気で、あまりに他人事なヴィロサに向かって、俺は血が混じった胃液を吐き出した。
被弾したお腹が焼けるように熱い。腹に焼けた板を押し当てているような痛みだ。
「月夜? だぁーれが人間をここに入れていい何て言ったぁ?」
必死に目を開け、声の主を確認する。
すると、そこには灰色の服に身を包んだ女性が、頬を紅潮させながら凶悪な笑みを俺たちに向けていた。
「どぉよ人間? 苦しい? 苦しい? 私の毒を受けた人間は、三日三晩苦しみ抜いた末死ぬの! キャハハハハ! もう最っ高よ!」
「紅……あんた……」
紅と呼ばれた『菌型知的生命体』に向けて、月夜は過去に見たことのないような表情を向けていた。
それが激しい怒りの顔だと気付く頃とほぼ同時に、俺は意識を失ってしまった。
★☆★☆★☆
「おとーさん。おとーさんはどうして山に入るの? 学校で『菌型知的生命体』は危ないって習ったよ?」
「いいかい我が愛しの息子よ。『キノコの娘』は決して悪い奴等じゃない。人とは違う種族なだけなんだよ」
「そーなの? でも先生が、『菌型知的生命体』にたくさんの人が殺されてる、って言ってたよ」
「それは人間だって同じさ。いい人もいれば悪い人もいる。何事も一括りはよくない。それは賢いお前ならわかるね?」
「うん!」
これは夢だ。なぜなら死んだ父が俺の目の前にいるはずがないからだ。
幼き日の、遠く、そして儚い夢。
尊敬する父は、『菌型知的生命体』の研究者だった。自ら自身で『僻地』に入り、研究活動を行う研究者として、日本のみならず世界でも有名で、俺にとってはこの上ない程偉大なる父親だ。
しかし、そんな父は死んでしまった。死因はもちろん『菌型知的生命体』による毒殺。
俺は泣いた。『菌型知的生命体』を恨んだし、一時期は奴等を全員根絶やしにしてやろうとも思ったこともある。
そしておぼろげな記憶の中、霞みがかったような顔の父は小さく息を吸い、少し嬉しそうに口を開く。
「よーし偉いぞ。ならお前が大きくなったら、私の研究を引き継いでもらおうかな?」
「え!? いいの?」
「もちろんだとも! だからしっかりと勉強も運動も頑張って、毒に負けない体を作るんだよ」
「うん! 任せてよ!」
夢の中の幼い俺が無邪気に笑う。
当の成長した俺は、『キノコの娘』の毒にやられて死にそうになっている未来を知らずに、屈託なく笑っている。
自分の現状を思い出すと同時に、毒による痛みが甦ってきた。すると目の前の夢は瞬く間に霞んでゆき、障気が蔓延する『僻地』の臭いが鼻腔を刺激してくる。
そして、遠くからヴィロサの間延びした声が聞こえてきた。
「やっぱり殺してあげるべきだって。見ていて可哀想よ」
「だから大丈夫だって! 大丈夫よ……」
「あのねぇ月夜。いくら毒に強いと言っても、この子は人間でしょ? だったら紅の毒を受けた以上もう未来はないわ」
「何度も同じこと言わせないでよ! 大丈夫ったら大丈夫なの!」
「はぁ。もういいわ勝手になさい。でも、貴女のそれは優しさじゃないってことを理解しなさい」
キノコの娘達の不穏な会話を耳に受けつつ、ぼんやりとした頭をゆっくりと回転させていく。体の感覚が徐々に蘇り、毒による苦痛と、それによる不快な気分が胸の奥から舞い上がってくる。
「うぐっ……」
猛烈な不快感を体から締め出し、力を振り絞って目を開ける。すると、ぼんやりとした明かりの中にうっすらと月夜がこちらを心配そうに見つめているのが見えた。
「キ、キノコ君!?」
「え? ウソでしょ!?」
次第に視界がはっきりしてくる。どうやらここは家の中のようだ。ランタンが部屋の隅に置かれており、優しく部屋を照らしている。木をくり抜かれて作られたような部屋で、部屋の上部に作られた窓からは月光がこれでもかという程差し込んでいた。
「……ここはどこだ?」
唖然としているヴィロサを余所に、目に涙を浮かべた月夜に声をかける。月夜は瞳をみるみる潤ませながらしゃっくりを上げた。
ほぅ。『菌型知的生命体』に涙を流す機構なんて備わっているんだ……。てことは人間と同じように涙腺が……?
「……ありえないわ。いくら毒に強いっていっても……。月夜……あなたまさか……」
「キノコ君ーー!!」
ぶつぶつと何かを呟くヴィロサを遮るように、月夜が俺に抱きついてくる。
月夜が横になっている俺に覆い被さるように俺を抱き締めると、俺は自分の鼓動がまるで条件反射のように早鐘の如く鳴り打つのを感じた。
べ、別に照れてなんかないんだからね! なんて下らないことを考えつつ、人間のそれとあまり変わらない感触に俺は戸惑いながら、月夜に優しく声をかける。
「暑苦しい。離れろ」
「なっ……! 人が心配してあげてるのに、な、何よその言い草!」
月夜を優しく押し退け(ていうか力が入らない)、俺の体をゆっくりと起こす。
「で? ここはどこだ? 俺を襲ったやつはどうなった?」
「ここはさっきの『役場』の中よ。貴方を襲った娘なら、月夜がたっぷりお灸を据えたわ」
取り乱している月夜に変わって、ヴィロサが答えた。
なんだか物凄い訝しげな視線を俺に向けてくる。
なんだこいつは。俺の顔に何かついてるのか?
そして、まるで不審者を眺めるような目付きを俺に向けたまま、躊躇いがちに口を開く。
「……あなた、本当に人間?」
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