キノコ生態 レポートその4
月夜達の住処ある『僻地』に侵入を果たして、はや数時間が経過した。奥に進めば進むほど障気の密度は大きくなってゆくはずなのだが、不思議と体に違和感は感じられない。これに関しては、毎日の母親作猛毒キノコ料理を食べている事が効を奏したということに他ならないだろう。
「キノコ君おっそいよー」
山道を軽快な足取りで登っていくのは、『菌型知的生命体』もとい『キノコの娘』である静峰月夜だ。
ていうか軽快なんてものじゃない。半分くらい浮いているかのように、軽々と岩や枯木を乗り越えていく。
コイツらの体重は7~8キロ程しかなく、人間のそれと比べて遥かに軽いのはよく知られているが、それにしても速い。
「ちょ、ちょっと待てって。俺は、人間なんだよ」
俺は、ゼェゼェと息を切らしながら月夜について行く。
「なっさけないなー。早くしないと夜が明けちゃうよ?」
「うっせぇ。これでも急いでるんだよ」
実際の所、途中で気分が悪くなったらと思い準備してきたガスマスクを使っていないので、想定よりも速いペースで山登りは進んでいる。
にも関わらず、このポンコツ毒キノコは、その事実を知ってか知らずか飄々と俺を急かしてくる。
「あっ! そうだ!」
「なんだよ」
「もう一度、キノコ君にキスしたら興奮して速くなるんじゃないのー?」
「なっ……」
ニヤニヤと張り付いたような笑みを浮かべながら、月夜が俺の頬を両手で何度もつついてくる。
ウザったいことこの上ない。
「あれー? 何で黙ってるの? 照れた? もしかしてまた照れた?」
「……ちっ」
「あーうそうそ! 無言で武器を構えないで!?」
実際照れるんだよ。恥ずかしいからやめろ!
なんて言葉は言えるはずもなく、取り敢えず月夜を睨み付けつつ『月夜バズーカ』(たった今命名)を構える。
「あーやだやだ。これだから人間はすぐに暴力に訴えるんだから。それでも本当に霊長類なの?」
「うっせぇ菌類」
うんざりとしたように、やれやれとかぶりを振る月夜。
なんだか、キスされてからずっと月夜のペースだ。俺がすぐに照れてしまうから仕方ないと言えば仕方ないのだが、このままコイツにいいようにされるのは人類の沽券に関わる。
ていうか大至急仕返ししないと俺の気が収まらない。
「な、なぁ月夜」
「ん? なにキノコ君? そんな深刻そうな顔して?」
「……実は俺、お前にキスされたとき……少し嬉しかったんだ」
「……へ?」
自分の肌の体温がどんどん上昇していっているのを感じつつ、月夜に詰め寄る。
月夜は困惑したように一歩後ずさった。
「だから、思い出を風化させたくないんだ。変に茶化したりするのをやめてくれないか?」
「ど、どうしたのキノコ君? な、何か変だよ?」
ここで気のきいたキザなセリフでも言えたら良いのだけれど、あいにく俺にそんな経験値はない。
月夜は口元に手を添え、満更でもないように目を伏せている。頬も赤く染めた月夜を、月明かりが優しく照らす。
ふははは。バカめ。さて。どのタイミングで煽りを入れてやろうか。
顔がにやけそうになるのを必死に堪えつつ、俺がもう一歩近寄ると、後ずさる月夜は木にぶつかって逃げ場をなくしてしまった。俺は月夜がそれ以上逃げられないように木に手をあて、じっと月夜を見つめた。月夜は相変わらず困ったように目を泳がせている。
「だ、ダメだよキノコ君……私はキノコだから……!」
恥ずかしそうに、月夜がモゴモゴと訳のわからない口上を述べている。
ふっふっふ。バカめ。さて、ではそろそろどっきり大成功の看板をコイツに突き付けようじゃないか。
しかし、俺がしたり顔で月夜をバカにしようと口を開いた瞬間、月夜の向こう側から怪しく光る二つの赤いものがこちらに近づいてくるのが見えた。
なんだあれ? じっと、暗がりに目を凝らすと、それがこちらを見つめる赤い瞳だということに気が付いた。
え? 人間? 何でこんなところに? ていうか今の俺、もしかして見られた?
凍りつく空気。
木の向こう側からこちらを驚いたように見つめるその視線は、微かな好奇心と嘲笑が混じっているような気がした。
「変な気配がすると思ったら、貴女だったのねぇ月夜」
その声を聞いた月夜は、一瞬ビクリと驚いたように肩をすくめたあと、とてつもなく嫌そうに顔をしかめた。
「出たわね、ヴィロサ」
「出たとは何よ。失礼なこと」
ヴィロサと呼ばれた綺麗な女の人が、ゆっくりとこちらに歩いてきた。
雪のように白く、美しい女性だった。真っ白の鍔の大きな帽子をかぶり、同じく純白のドレスが美しさを際立たせている。
肩まで届く短めの髪も澄んだ白色をしており、まるで絹のように滑らかに風で揺れていた。
一瞬人間に見られたのかと思ったが、少し考えれば考えればこんな所に人間がいるはずがない。ということは、こいつは『菌型知的生命体』だろう。
「で? 貴女に迫っているその男の人は誰なの?」
俺に警戒心を含んだ赤い瞳を向けるヴィロサ。背中に生えた謎の白い羽が気になるが、俺も警戒を強める。
『菌型知的生命体』は人類の敵だ。用心するに越したことはない。
「この人はキノコ君。『キノコの娘』に詳しいから連れてきたの。枯木事件を調べてもらおうと思って」
ふーん? と息を吐きながら、ジロジロと俺を観察するヴィロサ。
むしろ俺がコイツを観察したい所だが、今は我慢だ。月夜以外の『菌型知的生命体』をこんなに近くで見たのは始めてだ。好奇心がそそられる。
「まるっきり人間ね……。ただの人間がどうやってこんなところまで……?」
「キノコ君は鍛えてるからね」
また月夜が適当な事を言っている。毒の耐性は鍛えてどうにかなるものではない。
その言葉に納得したのかしていないのか、ヴィロサはニヤニヤと性根の悪そうな笑みを顔に浮かべ、口を開いた。
「ふーん? まぁでも月夜が連れてきたってことはこの人もポンコツなのかしらねぇ?」
「は? どういう意味よそれ」
「あ? 月夜がポンコツだが俺まで一緒にされるのは非常に不愉快だ」
「は? 何キノコ君ケンカ売ってんの?」
鋭い目付きで俺を睨む月夜に対して、ヴェロサは少し嬉しそうに俺を見ている。
「あらあら、ただの人間が私たちにそんな口の聞き方なんて、度胸があるのかそれともただのバカなのかどちらなのかしら」
「あ? ただの菌類が人間にそんな口の聞き方なんてバカなのか? 脳みそテングダケなのか?」
「……月夜。この人間殺しちゃってもいいかしら?」
こめかみに怒りのしわを寄せながら、ヴィロサが吐き捨てるように言った。
「落ち着きなさいヴィロサ。キノコ君もケンカ腰にならないの」
月夜が珍しく達観したような表情で俺とヴィロサの間に割って入った。ヴィロサは優しげな笑顔を崩してはいないものの、視線には殺意の波動が入り混じっているような気がした。
「まぁいいわ。私は、アマニタ・ヴィロサ。よろしくね人間さん?」
「俺の名前はきの……」「キノコ君よ!」
「そう。よろしくねキノコ君」
「いや待て」
月夜が張り切ったようにそう言い切ると、奪い取る様に俺の手を取り、さらに真剣なまなざしを向けて口を開く。
「さっ! キノコ君、ヴィロサなんて無視してさっきの続き!」
「なっ……!」
キラッキラのその視線は、期待をふんだんに含んでいるようで、いつもの凶悪なそれとはかけ離れていた。
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