キノコ生態レポート その30
「月夜……うそ、だろ?」
俺は動かなくなった『月夜バズーカ』を地面に落として月夜の傍に寄る。そして辛そうな彼女の頬に手を当てると、月夜が力なくその手を握ってきた。
「ごめんね。こんな目に巻き込んじゃって、本当にごめんなさいキノコ君……。怖かった……?」
「だからそんな風に謝るのをやめろって言ってるだろ!? しかもなんだよそれ……! 怖いわけないだろ! いつでも月夜が守ってくれたじゃねぇか!」
「あ、そう……かな? ありがとうキノコ君。そう言ってもらえると嬉しいよ。私、キノコ君のそんな優しいところ大好きだよ……?」
ニコリと力なく笑う月夜に対し、俺は月夜の手をしっかりと握り返した。
「だから何でそんなに弱気なんだよ! お前、俺の前から消えるなんて許さないからな」
「私は消えないよ? 菌糸から、また違う私となって、キノコ君の前に現れるから」
「それを許さねぇって言ってるんだ! お前じゃない『静峰月夜』なんていらない。お前じゃない『静峰月夜』なんて俺は欲しくない。俺にはお前がいないとダメなんだよ……。だから、だから、頼むからそんな風に言わないでくれよ……!」
「キノコ君……。ごめんね、ありがとう……」
月夜の瞳からみるみるうちに光が失われていく。それこそ風前の灯火のように、儚く、そして弱々しい物に変化してゆく。
「ダメだって月夜……。そ、そうだ! ヴィロサ! こいつを助ける手立てはないのか!?」
「……もうこの状態まで来た月夜ちゃんを助ける方法なんて……」
目を伏せ、考え込むようなそぶりを見せるヴィロサを藁にもすがる思いで見つめる。頼むよヴィロサ。もうお前だけが頼りなんだ。月夜が助かるのなら俺はなんだってするから。
そして、ヴィロサが苦虫をすりつぶしたような顔をしながらゆっくりと口を開く。
「余り現実的な方法ではないけれど……」
「何だっていい! あるのか!?」
食い気味に答えを急かした俺だったが、ヴィロサはこの案を提案してよいか迷っているようで、口元に手を当て困ったように目を泳がせている。あ? なんで早く言わないんだよ? 迷う必要なんてこれっぽっちもないだろ。
そしてヴィロサは躊躇いがちに口を開く。
「……菌糸は私達『子実体』の再生と創造を司る器官よ。いうならば私たちの『本体』。だから月夜ちゃんを月夜ちゃんの『菌糸』の元へと連れて行けば、その子の再生が始まると思うわ。一から子実体を作り直すよりは遥かに楽だしね」
「本当か!? だったら今すぐ連れて行こう!」
「……だから現実的ではないって言ってるでしょ? 月夜ちゃんの本体の場所なんて月夜ちゃん以外誰も知らないし、私達が聞くことなんて出来ないわ」
そしてヴィロサは大きく息を吸い、明後日の方向を眺めながら溜め息をつく。
「……勿論、人間の貴方になんかもっと教えられないわ」
『菌型知的生命体』は菌糸をどうにかしない限り何度でも復活する。故にこいつら同士でも、『本体』の場所はトップシークレットになっている。本体の有りかを教える事は人間で例えるなら心臓を他人に掴ませるようなもので、まして俺のような人間に教えると、なし崩し的に月夜の弱点が広まってしまうだろう。
それでも。それでもそれが月夜を救える最後の手段なら、俺が迷う理由はカケラ程も存在しない。
「月夜。お前の菌糸はどこにある? 今からそこに連れていってやる。頼むから教えてくれ」
そして俺の声を聞いた月夜は消え入りそうな瞳をこちらへ向けて、弱々しく呟く。
「……言えないよ。ごめんキノコ君。もう、私のことはいいから」
「よくねぇから……! いいから言えよ! ヴィロサ達に知られたくないんだったら、俺だけでお前をそこまで連れていくから……! だから……頼むよ月夜!」
「……ごめんなさい」
「ふ、ふざけんな! 言えよ! お前の菌糸は一体どこにあるんだよ! 言えって!!」
「やめなさいキノコ君!」
月夜に怒鳴る俺に対し、ヴィロサが俺を引き離す。やめろ! 離せ! と暴れるものの、やはり力の差は歴然だ。
そしてヴィロサは諭すように言う。
「いい加減にしなさいキノコ君! 私たちの菌糸は動けないのよ? だから居場所を知られたら終わりなの。分身である私達が、本体を危険に晒すようなこと出来る分けないでしょ!? 少し落ち着きなさい!」
「やかましい! そうでもしないと月夜は菌糸に還っちまうんだろ!? そんなの絶対にイヤだ! 離せヴィロサ! 菌糸の場所を教えろ月夜!」
月夜から引き離そうとするヴィロサに対して全力で抵抗するが、全く歯が立たない。俺はヴィロサの馬鹿力を前に、月夜から為す術もなく離されてしまった。
「くそっ! ヴィロサ離せ! おい紅! 月夜から毒を取り除いてくれよ、頼むよ!」
未だに空中に磔にされている紅にすがり付くように問い掛けるが、彼女はどこ吹く風。俺の緊迫した様子を見て、助けるどころかむしろ薄ら笑いを浮かべている。
「助けろよ! なんで皆諦めてるんだよ……! 月夜がいなくなってもいいのかよ!」
いいわけがない。そんなこと俺に言われなくてもわかっているはずだ。でも止められない。ヴィロサ達だって辛いはずなのに、言葉が止まらない。
「月夜を菌糸の所に運ぶだけだろうが! 何諦めてるんだよ……! 頼むから、俺の力だけじゃ足りないんだよ! 手伝ってくれよ!」
そして、絶望に打ちひしがれそうになるのを必死に堪えながら、俺は月夜へ向かって届きもしない手を伸ばす。
すると柔らかい朝日に照らされた月夜が俺に優しい笑顔を向けた。
その笑顔は今までの笑顔とは少し違っていて、何処までも、突き抜けるように優しい笑顔。そして朝靄に包まれるその表情は、俺にとってとても魅力的で、何物よりも美しく見えた。
やがて、月夜はゆっくりと言葉を絞り出すように口を開く。
「……キノコ君、バイバイ。次の『私』とも仲良くしてあげてね」
「バカ、イヤだ、おい、待てよ……」
そして月夜は優しい朝日を全身に浴びつつ、ゆっくりと眠るように目を閉じた。
「ダメだ月夜ぉぉぉぉ!! 離せヴィロサ!」
俺の持つ全ての力を注ぎ込み、半ば暴れるようにヴィロサを振り払い、月夜の元へと駆け寄る。
しかし、一歩、二歩と近づくものの、月夜は目を閉じたまま動かない。
嘘だろ……? 眠った? おい、起きろよ月夜。俺を一人にしないでくれよ。
そして、遂に月夜の真横に辿り着く。が、彼女はピクリとも動かない。
月夜は満足そうに、少し微笑んだような表情をしていて、今にも動き出しそうな雰囲気がある。顔は朝焼けに照らされて、微かに赤みを帯びているような気がした。
絶望感に支配されそうになるのを懸命に堪えながら月夜の横に座り込む。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。
月夜が消えるなんて。月夜が俺の前からいなくなるなんて。
「……ねぇ」
と、その時目の前が真っ暗になりつつありつつあった俺の耳に姫乃の遠慮がちな声が届いた。
その声音には遠慮がちで不安げな雰囲気が含まれているものの、俺は微かな希望を胸に秘め、姫乃へと振り返る。
「月夜ちゃんの菌糸ってさ……」
目を泳がせ、迷ったようにする姫乃。不安そうに尖ったステッキを胸に抱えている。
そして、おずおずと申し訳なさそうに俺を見つめ、ゆっくりと口を開く。
「キノコ君の体内にあるんじゃないの? ……それじゃダメなの?」
俺の中に月夜の菌糸……? こいつ一体何を言って……?
そして次の瞬間、まるで全身に電撃が走ったかのような感覚が俺を襲う。そして俺は姫乃の言葉を脳内で何度も反芻しながら思わず立ち上がった。
そうだ、そうだよ! 俺の中に月夜の菌糸が入ってるんじゃないか!
この騒ぎですっかりと忘れていたが、そう言えば俺の中には月夜の菌糸が侵食している。
それを使えば月夜は助けられるんじゃないか!?
期待に胸がどんどん膨らんでゆくのを感じながら、ヴィロサを見る。
「ヴィロサ! 俺の中にある菌糸はどうなんだ!? それを使えば月夜を助けられないのか!?」
「……そんなのわかんないわよ。過去にやったことないし……」
ヴィロサは考え込むかのように鼻の下に手を当て、険しい表情を俺に向けている。
そしておもむろに口を開く。
「……でも、試してみる価値はあると思うわ」
「本当か!? どうすればいい?」
「月夜ちゃんを菌糸に触れさせればいいわけだから……。たぶん、キノコ君が月夜ちゃんに菌糸を移された時と同じ方法をとれば上手くいく……はずよ」
俺が月夜に菌糸を移された方法? というと……。
「え? それってつまり……」
「確かキノコ君は月夜ちゃんにキスされて、粘膜を接触させることによって、そこから菌糸を植え付けられたんでしょ? だから、同じことをして月夜ちゃんへ菌糸を返してあげて」
「は? いや……まじ? ここで?」
ヴィロサの言葉を聞いた瞬間、かーっと頬が熱くなるのを感じる。
え? ここで? 皆がいる前で月夜へキスするのか? しかも飛びっきりディープなやつ?
ヴィロサも姫乃も不思議そうな表情で俺を見ている。あれだけ月夜を助ける為には何でもするって言っていたんだ。今さら怖じ気づいていることに疑問を感じているのだろう。
そんなことわかっているさ。でも恥ずかしいものは恥ずかしい。そこに命の危機なんて関係ない。
「キノコ君、やるなら早くしないと。急がないと間に合うものも間に合わないわよ?」
「わ、わかってるよ! お、お前ら! こっち見るんじゃねぇぞ!」
「はぁ? そんなこと出来るわけないでしょう?」
「そうだよなぁ! そうだと思いましたよ! ちくしょー月夜! てめぇ助かったらマジで覚えとけよ!」
ええいままよ! ここで男を見せないでどうする俺! ここでいちいち照れてる間にも月夜はどんどん菌糸還ろうとしているんだぞ!
そして俺は朝焼けに照らされた月夜の肩をがっしりと掴む。まだ熱が残っている月夜の肌は、絹のような肌触りで、ずっと触れていたい気持ちになる。
ごくりと生唾を呑み込み。大きく深呼吸を行う。
これは人工呼吸の一種だから恥ずかしくないんだ。これは人工呼吸の一種だから恥ずかしくないんだ。これは人工呼吸の一種だから恥ずかしくないんだ。
よし! いける!
そして俺は目を瞑り、月夜へゆっくりと口を近付けた。
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