キノコ生態レポート その3
ぬるりとした感覚が俺の唇から伝わってくる。思わず仰け反りそうになったのだが、いつの間にか月夜に頭を押さえられてしまい逃げることは出来なくなっていた。
そして、今度は柔らかい突起物が俺の唇をツンツンとつついてくる。俺はされるがままに口を少し開くと、ぬるぬるしたものが口内に侵入してきた。
瞬く間に侵入を果たした月夜の舌は、俺の口を貪るかのようになめ回してゆく。卑猥な音が辺りに響き渡り、その音は俺の脳をビリビリと弛緩させるには十分なものだった。
得も言われぬ心地よさが体全身を突き抜けていき、俺をまるで空中にフワフワと浮いているような浮遊感が包み込んだ。
「んっ……」
月夜が淫らなため息をつく。
その瞬間俺は、はっと我に帰り、月夜を突き飛ばした。
「きゃっ!」
「おま、おま、おまえ……! 今、一体何を……!」
俺に突き飛ばされた月夜が、尻餅をついたまま上目使いで俺を見つめてくる。軽く紅潮した顔が月明かりに照らされて、どうしても月夜が官能的に見えてしまう。
一体何だって言うんだ。月夜が俺とキスをした? なぜ?
口を袖口でぞんざいに拭き取りながら、月夜を睨み付ける。
ひょっとすると毒でも盛られたかもしれない。焦りが心を支配する感覚を肌で感じながら、俺は月夜の言葉を待った。
だが意外にも月夜は顔をゆでダコのように赤くして、そのまま俯いてしまった。
「お、おい! なんとか言えよ月夜!」
なんだこの月夜の反応は……? これじゃあまるで、恋をする女の子のような雰囲気じゃないか。
いやいやコイツは菌類であり人間じゃない。人間が菌類に対して恋愛感情を抱くなんてあり得ない話であり、その逆もまた然りなはずだ。
「つ、月夜……?」
「……思ったより恥ずかしいねこれ」
月夜がニコリと笑顔を見せた。依然として顔は赤いせいなのか、いつもの見慣れた笑みでさえ妖艶に輝いているように思えた。
「で、どういうつもりなんだ?」
「……何が?」
「何が? じゃねぇよ。なんでいきなりキ、キスなんてしたんだ?」
俺がそう尋ねると、月夜は起き上がりつつ答える。
「うーん? だからお礼だって」
「お礼?」
「うん。こうすると男は嬉しいって、いんたーねっとに書いてあったよ?」
月夜がそう言うと、鉛を飲み込んだような気持ちの悪さが込み上げてきた。
「なんだよそれ……」
「ダメだった? 嬉しくない?」
「はぁ……。もういい。取り敢えず他の人間にはするなよ」
目一杯に膨らんだ心が、大きな音を立てて萎んでいくような不思議な感覚に戸惑いながら、俺は大きなため息をついた。
すると、月夜は俺の目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと口を開く。
「しないよ」
「は?」
「キノコ君以外には絶対にしない」
「なっ……!?」
月夜がそう言うと、俺の顔が再びかーっと熱くなるのを感じた。
月夜を見ると、月夜は俺を真っ直ぐに見つめ、その真剣な眼差しに圧倒された俺はつい目を逸らしてしまう。
なんなんだよコイツは!? 一体何が言いたいんだ?
「……ぷっ」
「は?」
「あはははははは!」
突然、月夜が堰を切ったように笑いだした。お腹を抱え、本当に楽しそうに笑っている。
「あはははははは! キノコ君顔真っ赤だよ? 照れたの? ねぇ照れたの?」
「なっ……!」
月夜は下衆い笑みを顔いっぱいに湛えながら、俺の頬をツンツンと指でつついてくる。
ふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じる。ここまで殴りたい笑顔を向けてくるのは流石は毒キノコとして名が高いだけはある。
「月夜……てめぇ覚悟は出来てるんだろうな?」
「あはははは! あーおかしい。キノコ君にも可愛いところあるんだね」
背中に背負っていた大きさ50センチ程の黒い筒を脇の下に構え、月夜にその砲塔を向ける。端から見たらどう見てもバズーカ砲か何かであるそれを向けられた月夜は、目に涙を貯めつつ一瞬驚いたように目を丸くした。
「あはははは……って、キ、キノコ君何してるの?」
「おいこらポンコツキノコ。人間様を怒らせた罪、とくと味わいやがれー!」
引き金を引き、圧縮された毒を筒から放出する。すると、まるで散弾銃のように大きな毒の弾が一面に広がりつつ月夜に襲い掛かった。
「いやーー!! 何すんのよこのバカ!」
「オラオラ、人間様の怖さを思い知れ!」
☆☆☆☆
月夜の体表面を4割程溶けるまで攻撃してから、満足したように俺はふぅ、とため息をついた。月夜のゴスロリ服は半分以上が溶け、綺麗な肌が露出している。一丁前に胸元を恥ずかしそうに手で隠しているが、おそらくあれは人間の真似事だろう。なにせ月夜と初めてあったころは、それこそ恥も外聞もなく全てをおっぴろげだったのだから、その頃に比べるとコイツも人間を知ったということだ。
まぁ傍から見たら完全に月夜は被害者で俺は犯罪者だが、菌類に現行の法律は適応しないから気にする必要はないのだ。
月夜はブスブスと煙を出しながら服の再生を始め、恨めしそうに俺を睨んでいる。
「この変態! 人の服を溶かすなんてどうかしてるんじゃないの!?」
「あ? お前はいつから人になったんだ?」
「は? なら人以上の存在である私に何してくれてるの?」
憎々しげに俺を睨む月夜。まぁこっちの方が見慣れているし、俺の精神衛生上はこっちの方が都合がいい。
「……ふん。まぁいいよ。私の寛大な御心で許してあげる」
「それは俺のセリフだ」
しばらくすると月夜から立ち上っていた煙も止み、完璧に再生した元の綺麗な姿に戻った。
やはり何度見ても、この再生は目を奪われてしまう。負った傷が瞬く間に塞がり、そして修復する。これ程の速度で再生できる生物は、『菌型知的生命体』以外にこの世にいないだろう。
「よし、じゃあ行くよ?」
まるで堪えた様子もなく、屈託ない笑顔を浮かべて月夜が俺の手を取り、そしてそのまま瘴気溢れる山に向かって歩みを進めた。
俺は唇に残る微かな余韻を感じながら、そのまま何も言わずに手を引かれていく。
わずかに欠けた月が山全体を明るく照らし、妖しく漂う瘴気は、俺が今から向かう場所がいかに人間にとって有害かを教えているような気がした。
『キノ娘』の生態その1、『キノコの娘はキスをする』。
読んでくれてありがとうございます。4話は明日投稿します。