キノコ生態レポート その26
満月には僅かに及ばない月は『僻地』の向こうへと沈もうとしていた。そして、それ応じて陽の光が周りを少しずつ明るくしていく。
沈みかけの月を名残惜しそうに見つめながら、月夜はその小さな口をゆっくりと開いた。
「……キノコ君。どうして着いて来たの? 本当に私に文句を言いに来たの?」
どことなく悲しそうなその口調には、後悔と自責の念が込められているようで、月夜の顔にはいつもの憎たらしい顔とは対極な、しおらしく、辛そうな表情が浮かんでいた。
……やはり、俺を支配するこのモヤモヤした感情は苛立ちだ。心に煙でも撒かれたような陰鬱な気分。
「……あ?」
「やっぱりそうだよね。怒ってるよね……」
俺を殺意の視線で睨むフリゴを目の隅に置きながら、俺は月夜の目の前に立つ。
月夜は若干下を向き、上目使いで俺を見つめている。
そして一瞬迷ったように目を泳がせたと思うと、決意したかのように力強く俺を見た。
「……うん! 私ね。考えたんだけど、もうキノコ君とは会わない方がいいと思うの。私が近くにいると、キノコ君に伝染した菌糸が成長しちゃうかも知れないし、何よりキノコ君はもう私と会いたくないだろうし……」
最後の台詞はほとんど聞き取れない程小さな声だった。
「……えっと、その、だから……ごめんね? も、もうキノコ君とは会わないから、許して欲しいの……」
「……ふざけるな」
「え?」
「ふざけんじゃねぇよ!」
涙声の月夜は、朝日と月光に照らされて美しく輝いて見えた。しかし、俺の心中はそれとは真逆に荒れ狂っている。
俺の怒鳴り声を聞いた月夜は、肩をビクリと震わせて申し訳なさそうにうつ向いた。
しまった。これじゃあさっきの二の舞だ。
ゆっくりと言葉を選ばないと、またいらない誤解を与えてしまう気がする。
俺は苛立ちを理性で抑えながら、ゆっくりと口を開く。
「……なぁ月夜。俺がどこに住んでいるか知ってるか?」
「え?」
「俺がどこに住んでいるか知ってるか? お前なら知ってるよな」
「……『僻地』近くの家でしょ?」
俺の突然の問いに若干戸惑ったようにしつつ、月夜はそれに答えた。
「あぁ。そうだな。それが人間にとってどんな意味を持つかわかるか?」
「……? わかんないよ?」
月夜だけでなく、周りの『キノコの娘』達も不思議そうに俺を見つめている。
はぁ。あまりこの話はしたくないんだけどな。俺の弱味の象徴みたいなものだし。
だけど俺がこいつらに対して抱いている感情を説明するには仕方がない。これが一番理解してくれるはずだ。
そして俺は息を大きく吸い、吐き捨てるように言う。
「差別、されるんだよ。人類の敵だ、ってな」
苦々しい記憶が次々と甦ってきた。
それは俺にとって消したい過去で。他人に反対する事をしなかった、弱くて、そして従順だった自分の情けない過去で。
月夜はわかっているのか、それとも元々知っていたのか、あまり表情を変えず少し悲しそうに俺を見つめている。
「しかも俺の父親は、お前ら『菌型知的生命体』に殺されたんだ。それもあって、俺は周囲の人間から奇異の目を向けられ続けていた。何でずっとそこに住んでるんだってな」
「うん」
「だけど、その当時の俺たち家族は引っ越せなかった。父親の面影と思い出がそこに詰まっていたから、移ることが出来なかったんだ」
「……」
「だから俺は、俺は自分を守るために攻撃的になった。もちろん気を使ってくれる人もいたけど、それ以上に俺を追い詰める人もいたからな」
沈みかけの月をぼんやりと眺めながら、俺は吐き出すように言った。
「するとどうなる。もちろん俺から人は離れていく。それは必然だ。俺みたいに毒を吐きまくる『境界』住みの奴とは誰も関わりたくないからな」
それは吐き気を催すかのような、消したい過去。俺がこんなにも口が悪くなった理由で、俺が月夜達『菌型知的生命体』を調査する気になった理由。
さらに俺は息を小さく吸い、さらに言葉を紡いでいく。
「でもお前は違っただろ月夜」
「……?」
「お前は俺が怒ると、当然の如く怒り返してきた。俺が煽ると、当たり前のように煽り返してきた。それは、俺にとってそれは新鮮で嬉しくて。思わず顔を綻ばしそうになるのを必死に堪えながら怒ってたんだよ俺は」
そうだ。だから俺はこいつに腹が立ったんだ。あんな風に俺に気を使って、結局俺を対等に見てくれない様子は、俺の下らない過去に重なってしまうから。
「……だから、だから、いつまでもいつまでもウジウジしてるんじゃねぇよ!! そんな月夜は見たくないんだよ!」
俺が大声を出すと、目を丸くした月夜が恐る恐る口を開く。
「……キノコ君怒ってないの? ……私の事嫌いじゃないの?」
「だから怒ってるって言ってるだろ? それに、そんな風に辛そうにしている月夜は嫌いだ。別に普段の月夜なら嫌いじゃないし、むしろ……」
好きだ、と言いかけるのを慌ててやめる。好きはないないないない。好ましいくらいだな!
俺の言葉を聞いて、月夜は少しだけ嬉しそうに頬を弛めた。しかし、瞬く間に不安そうな表情を浮かべ、再び俺へと向き直る。
「……だったら! だったら何であの時私を攻撃したの!? 私はキノコ君をサブちゃんから助けたんだよ!? なのに、なのに何で私を撃ってサブちゃんを助けたの!」
「はぁ!? あれは……」
「私が嫌いなんでしょ!? 私はキノコ君を助けたのに……キノコ君は私を撃って……。わかってるもん! キノコ君は私が無理矢理ここに連れてきて、二回も死にかけて、それで腹が立ったから仕返しに私を撃ったんでしょ!?」
「はぁ……? お前何を言って……」
月夜が目に涙を貯めながら必死になって抗議してくる。少し言葉が支離滅裂で何を言っているのかわかりにくいが、俺がサブちゃんに襲われた時の話をしているのだろう。助けてくれた月夜に対して、俺が引き金を引いた事だ。
こいつ、こんなことを気にしていたのか。
そう言えば不機嫌そうにしていたのを何となく覚えているが、何にも言わないからもう流しているのだと思っていた。
そして俺はこれ見よがしに大きく溜め息をついた。
「……はぁぁぁぁ。お前そんなことで勘違いしていたのか……」
「そんなことって何よ! 私はキノコ君を助けたのに、それなのに、貴方は私を攻撃したんだよ? 今までそんなことなかったから、私、キノコ君を本気で怒らせたと思って……」
あふれでる涙を両手で拭き取りながら、月夜は消え入りそうな声で話した。
見かねた俺は、月夜の頭に手をやりつつ慰めるように話す。
「お前、自分自身がサブちゃんの毒にやられていたの気付いてなかったのか?」
「……え? え?」
「だから、お前の肩にサブちゃんナイフが思いっきり刺さってたんだよ。だから俺はそれを毒ごと吹き飛ばしたんだ。確かに、何の説明もしないのは悪かったな」
「……え?」
俺が月夜の頭を撫でている事と、俺から告げられた事実に困惑を隠せない月夜は、困ったように目線を泳がせた後、顔を赤くしてうつ向いてしまった。
「だから、俺がお前を嫌っているってのはお前の完全な勘違いだ。俺はあの時お前を助けたんだよ」
「……本当? キノコ君私の事、嫌いじゃない?」
「だから本当だって。そうでもなきゃ俺がお前を撃つわけないだろ」
俺のその言葉を聞いた月夜は、感極まったように息を大きく吸い、そして今までの不安や贖罪の気持ちを絞り出すかような言葉を出した。
「……よかったぁ! よかったよぉキノコ君! ごめんなさいー」
涙声で俺に対して必死で謝る月夜。
だがその月夜の言葉を聞いた瞬間、俺は彼女の頭を撫でるのをやめ、思いっきり鷲掴みにした。そしてありったけの力を込めて握りつぶす。
「だ、か、ら! そうやっていちいち謝るのをやめろって言ってんだろ!!」
「いたいいたい! やめてよ!」
「あ? お前が学習しないからいけないんだろ? バカは言ってもわからないってか?」
「痛いよキノコ君! ……痛いって言ってんでしょ、離せこのバカ!」
月夜はイライラしたように俺の手を振り払い、まだ僅かに涙を残した瞳を精一杯歪ませながら俺を睨んでくる。
そうそう。やっぱりお前はその顔じゃないとな。
「おぉう? これだけ盛大に勘違いしてくれたお前が俺をバカに出来るのか? バカはお前だろ」
「は、はぁ!? 友達いないくせに調子乗らないでくれる?」
「なっ……うっせーよ! 関係ないだろそれは!」
「あらー? 結局キノコ君は友達が私達しかいないんでしょー? うわー悲しいー」
「あ?」
「ん?」
出た。久しぶりの殴りたくなる笑顔だ。
俺の不快指数を果てしなく上昇させていくその笑顔は、やっぱり見ているとどんどん不愉快になってくる。
それは決して守りたくはならない笑顔だけど、俺にとって大切な笑顔で。
そして、月夜の最も可愛い表情だと思う。
そして俺達の様子を見ていたヴィロサ達が満足そうに溜め息をついた。
「大丈夫そうね」
「全く。貴方は分かりにくいんですよ! 気にしてないなら始めからそう言ってくださいよ」
「あ? それが一番始めに言う言葉か? お前はまずは謝るべきなんじゃないか?」
「は? むしろ謝ってほしいんですけど。調子に乗って申し訳ありませんでしたー、って」
「調子に乗ってたのはお前だろ。気持ち悪い糸出しやがって」
「はぁぁぁ!? 気持ち悪いですって!? カッコいいの間違いでしょう?」
フリゴは下から突き上げるように俺を睨んでくる。
その様子を見た月夜とヴィロサは嬉しそうに笑顔をこぼし、俺も彼女達につられて笑いそうになるのを堪える。
「何笑ってんですか? ぶっ飛ばしますよ?」
「いやいや、いい表情してるなー。って思って」
「……い、いきなり何言ってるんですか! 例え誉めたって許してあげませんよ!」
少し照れたように、微かに顔を赤く染めるフリゴ。
「は? 誉めてねーよ調子にのんなバカ」
そして再びフリゴの顔が憎悪に歪み、僅かな赤みがフリゴの瞳に射した。
これ以上怒らすとまたこいつ糸を出しそうだ。
「まぁ何にせよ、これで月夜ちゃんとキノコ君の痴話喧嘩はお仕舞いって事でいいわね?」
「ち、痴話喧嘩……?」
「痴話喧嘩じゃねーよ! こいつが勝手に勘違いしていただけだから! むしろ喧嘩ですらないから!」
「はいはい。そうね、そういうことにしておきましょうか」
ヴィロサが俺と月夜を見て余裕たっぷりの笑顔を送ってくる。その大人が子供のケンカを見るような生暖かい視線は、俺にとって苛立たしいもの以外の何物でもなかった。
俺はため息をついて、後ろを振り替える。すると姫乃が親指を立てて、飛びっきりの笑顔を向けてきた。彼女はヴィロサと違い、本当に俺と月夜の仲直りを喜んでいるように見える。
ほらヴィロサ。お前もあんな純粋な目を浮かべられるようになれよ?
月はもうほとんど沈みかけていて、薄くなりつつも『僻地』を最後まで見守ってくれていた。そして、月とはまた違った優しさを持つ太陽がその姿を表し、『僻地』を明るく照らす。
朝日に照らされた『僻地』は、崖の上から見るととても荘厳に見えて、神々しく見えて。
そして俺は朝焼けに輝く『僻地』を望みながら、ゆっくりと深呼吸をした。
「さぁ帰るか月夜! 俺を家まで送ってくれ」
俺は息を吐きつつ、月夜の嫌そうな表情を期待して、ゆっくりと後ろを振り返る。
しかし、俺の後ろにいたのは悪魔だった。
「あーら。いい笑顔じゃない人間? 貴方、何で生きてるのぉぉぉ??」
全身の毛が逆立つような感覚。
俺の全細胞が『逃げろ!』と叫んでいるかのようで、俺は知らず知らずのうちに後ずさっていた。
「く、紅!? キノコ君逃げて!」
しかし、俺にその言葉はほとんど届いていない。灰色の服に身を包んだ悪魔から、意識をはずせない。
月夜やヴィロサが各々の武器を作り出し、紅を攻撃しようとしているがおそらく間に合わない。
そして紅と言われた女は、狂喜がこもったような笑顔を浮かべ、俺へと右手を向ける。
そして囁くように言う。
「ばーいばーい人間。次はもっと強い毒を与えてあげる。今度こそ苦しんで死んでね?」
そして次の瞬間、俺の視界は突然暗くなった。
読んでくれてありがとうございます。もうすぐおしまいです。
今回キリがつかなかったからやたらと長いです。




