キノコ生態レポート その19
「やっぱり。どうせ月夜ちゃんも何も説明してないんでしょうね」
「は? 何よヴィロサ」
「あ? さっきから何が言いたいんだお前?」
うんざりしたようにため息をつくヴィロサ。しかし、その表情はいつもの人を小馬鹿にしたような態度ではなく、本気で俺を心配しているかのように見えた。
「いいキノコ君。よく聞いて。月夜ちゃんもしっかり聞きなさい」
「?」
ヴィロサは神妙な面持ちで、俺と月夜に語りかけるように話始めた。
「まず大前提として、人間は『キノコの娘』の毒を耐えきる事は出来ないわ」
「それは前も聞いた。何だ? 人間の俺が耐えきったから悔しいのか?」
「いいえ。既に貴方は人間ではないわ」
「はぁ?」
「いえ、正確には『人間とは言い難い』が正しい表現ね」
「だから何が言いたいんだよ……?」
そう言えば、フリゴも似たようなことを言っていたような気がする。その時はただただ悔しいのかと思っていたが、こうやって改めて言われると少し不安になってくる。
「キノコ君。あなた『僻地』に来る前に月夜に何かされたでしょう?」
俺が『僻地』に来る前に月夜にされたこと?
それを言われた瞬間、俺の頬がかーっと熱くなるのを感じた。
そう言えば俺、月夜にキスをされたんだった。『僻地』に入ってからはそれどころじゃなかったからすっかり忘れていたが。
「キノコ君とキスしたよ? それが何か?」
「何か? じゃないわ月夜。貴女は本能のままにキノコ君を思ってやったことでしょうけど、それが何を意味するかわかってるの?」
いけしゃあしゃあと述べる月夜に対し、ヴィロサは叱りつけるような厳しい口調だ。
「まぁそれがなかったらキノコ君は三回は死んでただろうから、結果的には良かったのかも知れないけれど……」
「もういい。回りくどい言い方はやめろ。何が言いたい?」
フリゴは何となくわかっているのだろうか? 少し残念そうにしながら酒を飲んでいる。
あいにく俺にはヴィロサが何を言いたいのかさっぱりわからない。いつもの嫌味にしては口調が真剣だし、表情も暗い。
「キノコ君。あなたは月夜の唾液、すなわち体液を体内に直接摂取したの。これが意味する所はたった一つよ」
ヴィロサはここで一息つき、俺の目を真っ直ぐに見据えたまま言葉を続けた。
「月夜の菌糸が貴方の中に入り込んでいるわ。貴方はその身に『菌型知的生命体』を宿しているのよ」
言いにくそうにヴィロサはそう言った。その瞳は哀れんでいるのか悲しんでいるのかはわからないが、燃えるような赤い目は俺の目を真っ直ぐに貫いている。
まてまてまてまて。月夜の菌糸が俺の体にあるだと? あり得るのかそんなこと?
「それが人体にどんな影響があるかは分からないわ。ひょっとするとずっと今のままかも知れないし、突然死ぬかもしれない」
「おい待てヴィロサ。その話、本当なのか? にわかには信じがたいんだけど」
「本当よ。ていうかそうじゃないとキノコ君の毒耐性の説明がつかないもの。まぁ最も普通の人間ならとっくに月夜ちゃんの毒気に当てられて死んでるけどね。キノコ君には元々毒の耐性があったのでしょう?」
「ま、まぁ一般人よりは毒に対してなら遥かに丈夫だとは思うが……」
月夜は黙りこくったまま何も言わない。ヴィロサの言っている事を吟味するかのように、真剣に考え込んでいる。
確かに月夜にキスされてから、異常に毒には強くなった。そもそも以前は『僻地』に侵入しただけで気分が悪くなっていたし、今回もそれを予期して持ってきたガスマスクは全く使用していない。さらに言うなら軍隊を相手にしても対等以上に渡り合う『菌型知的生命体』の毒を二度も受けたのに、今の気分は悪くないときた。
よく考えてみるとキノコの特性上、月夜達子実体は胞子を散布するために形成されるものだ。それは生物的に言えば繁殖の手段である。
となると、子実体の体液を体に摂取したならば、俺の体に菌糸が伝染してきてもおかしくはない……か?
「証拠はあるのか?」
「証拠? 鏡を見たらわかるんじゃない?」
とヴィロサ。
しかし鏡だと? ということは俺の見た目に何か変化があるのか? あいにく鏡なんて手元にはない。だけど見た目の変化ならば写真でも問題はないだろう。
そう思った俺はポケットから携帯電話を取りだし、カメラを起動した。フリゴやヴィロサが不思議な物を見るような視線を俺に向けてきたが、俺は気にすることなく自分を撮影する。
パシャリというシャッター音にビクリとしたフリゴは恐る恐る俺へと話しかけてきた。
「な、何をしてるんですか? 何の音ですか?」
「俺の写真を撮った」
「あ、知ってます。かめら、ですね?」
「まぁ厳密には違うが似たようなもんだな」
ふふんと自慢気に鼻を鳴らすフリゴを他所に、俺は恐る恐る自分の携帯電話を覗き込む。
そこにはいつも通りの自分の顔があった。若干ふてくされたような、そもそも機嫌が悪そうな、いつもの見慣れた俺の顔だ。
「どこか変でした?」
「……いや、別にこれと言って変わった所は……?」
明かりが沈みかけの月と携帯電話のライト、消えかけの焚き火しかないため、鮮明とは言いがたいがいくらなんでも自分の顔だ。顔色が悪いとかだったら分かりにくかったかも知れないが、もし見た目に変化が表れたならばわかるはずだ。
念のためもう一度パシャリとシャッターを切り、自分の顔を撮影する。
……取り立てて変わりはないと思うんだが? いや、強いて言うなら、『目』が何だか変な気がする。
なんというか少し優しそうな雰囲気だ。自分で言うのもアレだが、俺はもっとドギツイ視線をしていたような……。
「少し前から、目が変だよ……キノコ君」
すると、月夜が言いにくそうに口を開いた。
月夜の綺麗な翡翠色の瞳は不安そうに俺の瞳を覗き込む。
その吸い込まれるような瞳と目が合った瞬間、俺は俺自身の僅かな違和感の正体に気が付いた。
ヴィロサが事実を告げる瞬間の姫乃さん。
ーーー
「月夜の菌糸が貴方の中に入り込んでるわ。貴方はその身に『菌型知的生命体』を宿しているのよ」
と、ヴィロサが少し辛そうに告げた。
「男なのに!? 妊娠したのキノコ君!? これはキタ! 美味しい展開だわ!」
「ちげぇよ勘違いするなこのバカ!」
ーーーー
と、初期では姫乃さんが暴走していましたが、せっかくのシリアスなので泣く泣く割愛しました。本文で触れてはいませんが彼女の目は輝いていました。
読んでくれてありがとうございます。




