Re; Re; Blade Arts.
それはとある月夜のこと。木々の立ち並ぶ中に設置された陣の中で、二つの影が佇んでいる。彼らが刃を交えるのは、三度目であった。
一目見えたときから、彼らは互いに互いを殺さねばならぬ仇敵であると認識しているし、剣の道においては越えねばならぬ壁であると直感している。生かしておけば、何時とは判らぬが彼奴が自分の命を刈り取るだろう。殺さなければ、彼らは彼らの生きる道を失うことになるだろう。――そんな第六感を抱かせる引力がこの両名の間にはあった。
片や黒い陣羽織に身を包んだ若い男。その黒の内に沈んだ朱は数知れず。闇に溶けるその衣は、無数の戦場を駆けた事実を示すに十二分の証として、男の体躯を覆っている。
片や赤い着物に身を包んだ若い女。その赤は、蝋燭の灯りを受けてぬらぬらと輝いている。此処に至るまでに、どれほどの屍が生まれたのだろうか。常人では正気を保てないほどの血の臭いが、女の狂気を物語っている。
そして、双方の腕――正しくは肩から指先にかけて、である――には、機甲と呼ばれる武具が装甲されている。一見、武者鎧の様にも見えるそれは、ただ装甲者の身を守るだけのものではなかった。
機甲は、それを装甲した者に超常の力を与える鎧である。装甲者の筋力は馬二十頭にも匹敵し、そこから繰り出される剣の速度は音よりも速い。その圧倒的な力が故に、これを装甲する者たちは畏れをこめて『鬼』と呼称される。鬼が想像上の化外であることは百年ほど前には人々に知れ渡っており、その言葉自体が彼らの恐怖の対象から外れつつあったのだが、この人造の魔物の驚異を示すものとして再び用いられるようになった。
戦場にて、味方には絶対的な安心感を、敵には不可避の絶望を与える『鬼』たちは、『鬼』であるが故に人としての生を許されなかった。平時は国の保有する専用の牢に監禁され、戦が起これば一時の自由を与えられる。この時に逃げ出すことのない様に、基本として彼らには知識を与えられることがない。人と関わることは勿論のこと、書物を読むことも禁じられている。そもそも彼らは言葉や文字という情報伝達の手段さえ彼らは知らないため、牢を捨て、飼い主の元から何処へ逃げようが孤独に生き、そして野垂れ死ぬ道しか残されていないのだ。唯一、他の存在と関わる手段として彼らが持つのは、それ以外の全てを捨てて会得した機甲による圧倒的な暴力のみである。
無知で無垢な力の嵐として、血を飛沫かせる。それこそが己の生きる意味だと、それ以外を知らぬままに彼らは他者と関わっていく。
今、此処に居合わせている二体の鬼ら――黒い男も、紅い女も、己が戦場においてのみ求められる存在であるということを信じて疑っていない。
双方の刃は既に鞘から抜き放たれている。大量殺戮のためだけに鍛えられたその大太刀は、幾千人の血を浴びようとその切れ味を鈍らせることはない。
男は右足を半歩前へ送り、両手で大太刀を正眼に構えた。切っ先の延長線が対象の左目を刺す、剣術における基本の構えである。対して女は、右肩に担ぐようにして大太刀を構え、上体を僅かに前へと傾けた。基本の構えにはないその構えは、女が有する必殺の手段の一つである。
男は、この構えを冷静に分析する。太刀を肩に担ぐという行為はつまり、上段の構えを崩した形であるとみて間違いはない。上段の構えの利点は、その初動の速さにある。ならば、それに何らかの派生を組み込んだ我流の構え――。
女は、男の正眼が放つ殺気を圧しながら、少しずつ距離を詰めてゆく。正眼は、容易くは崩せない構えである。大きく分類して、比重を攻めにおくのが上段、守りにおくのが下段、そしてその間――攻防一体の構えが中段であり、その一種が正眼である。上段が中段に勝利するにあたっての定石は、臆さないこと。そして、相手を気圧すことである。攻めと守りに二分された内、守りを削いでしまえば中段に勝ち目はない。この二点で、どちらの難度が高いか……個人に差はあるとはいえ、圧倒的にそれは前者であるといえた。女の切っ先は後方を向いている。そして、先を取ることがこの構えの目的である以上、男より先に刃を振り抜かねばならないこのは自明の理である。この時、女が恐れるのは男の刀が取るであろう二つの行動である。
一つは、先の先を読んだ反撃。これが成立してしまうことは即ち女の敗北を何より鮮明に示す証となる。速さで勝る側が仕掛け、敗北するということは両者の間に大きな技量の差があることに他ならないからだ。
そしてもう一つは、動かないことである。男の切っ先が女の喉から左目を捉えている以上、女が正面から斬りかかった際にそれが動かなければ女の喉、或いは左目が貫かれる。斬り合い、というからにはその勝敗は斬撃と斬撃の狭間にのみ存在する。その斬り合いにさえ持ち込めないという最悪の事態を恐れてしまえば、剣が曇り、敗北に直結することとなる。
両者の距離は更に詰められ、ここより互いが五歩ほど歩めば一足一刀の間合いとなる。
男は動かない。女は更に間合いを詰めてゆく。
一歩……二歩……三歩……そして。
――女が攻めた。先の構えより、さらに上体を落として男の懐へ跳躍する。さながら燕が滑空するように、速く、しなやかに。
男の反応が僅かに遅れる。視界から一瞬、女が消えたと錯覚するほどの加速であったのだ。これに対応できたことを賞賛するべきであろう。
女が振り下ろした太刀と、それが切断するはずだった左肩との間へ、男は自分の太刀を滑り込ませた。
一合目より、既にこの戦いは人外の域のものであった。音速で振るわれる彼らの刃は通常、常人と打ち合えばその太刀や鎧ごと、その身体を容易く切断するのだが、同種――鬼同士の斬り合いとなればそうはいかない。その太刀が砕けることはなく、機甲ともなれば尚更である。
機甲によって至高の矛を得た鬼たちの戦いは、飼い主が撤退を命じるか、どちらかの鬼の命が尽きるまで終わることはない。以前、彼らが対峙した二度の斬り合いは、撤退の指令によって決着をつけられずに終わっている。
敵を逃すことは彼らの潜在意識下にある存在理由を揺らがす。
人を殺せなかったことは、鬼としての自分の価値が揺らぐことになるからだ。
なれば。ここにいる男も女も、目の前の宿敵を殺さねばならないという本能が、双方の魂を昂らせることは必然であるといえた。
それぞれの機甲の歯車が、力強く噛み合って回転する。
力を強め、弱め、探りあいの果てに、刃を競り合わせていた状態から、鍔迫り合いへと移行する。
鍔迫り合いは、相手との距離が最も近くなる状態である。そして、最も動きづらい状態でもある。互いの刃が対象へと向いている恐怖を利用して手元で行われる駆け引き、そして直接触れていることを利用した相手の力を逆手に取るための読みあい。この二つがこの膠着状態を深化させてゆくのだ。
男が押し込もうとすると、女は僅かに力を抑える。
女が刃を男の額へと傾ければ、男もまた同じように女の額へと刃を近づける。
その均衡を破ったのは、男の方であった。
男は一瞬刀を引き、それを好機とみた女は距離を詰めようと試みた。そこへ、男は手首を返して太刀を寝かせ、すれ違う瞬間に女の左脇腹を薙いだ。
女は咄嗟に腹に力を込め、体を捻り、致命傷を避けることには成功していたが、最初に傷を負ってしまった。
二合目は、男の読み勝ちである。
女は己を奮い立たせた。勝たねばならない。殺さねばならない。自分は、何より速くあらねばならない――。
脳裏を過るのは遠い過去の記憶。
彼女のその記憶と渇望に呼応するかのように、機甲はチ、と白く稲光って啼いた。
◇◆◇
女の育った国では、生まれたばかりの赤ん坊を国に献上する代わりに、生活の保護を受けられる制度がある。国に捧げられた子供たちは、鬼になるべくして生まれた『鬼子』であるとされ、一つの施設に預けられることとなる。女もまた、親に捨てられた『鬼子』の一人であった。
施設の中で行われていたのは、戦闘訓練である。鬼子同士を殺し合わせ、殺し合わせ、殺し合わせ――生き残った子に、機甲を纏わせる。必然的に幼い鬼が生まれることになるのだが、その鬼は長くは保たなかった。その原因として他の国の鬼と比べると、体格と力で劣ること、そして幼い体に機甲を無理やり装甲させることによる神経の断線が挙げられた。
最強の鬼を育成するべく立ち上げられた鬼子制度は、やがて鬼子たちを殺し合わせることをやめ、使い捨ての鬼を大量に保存しておく場になっていき、鬼子たちは次々と戦場へ送られていくこととなる。
幸い、機甲は一つだけであったために、誰かが生き延びることができれば他の命が失われることはない。
女は初め、言葉も知らないまま漠然と、自分が勝てば皆が助かるということを理解していた。自分は人間を殺すために育てられたということも感覚で理解していたし、自分が機甲で戦うことで他の仲間たちが助かるなら、というようなことを考える稀有な鬼子だった。
そして、遂に女が機甲を装甲する時が訪れる。
戦場に出た彼女を襲ったのは、幾千もの白刃、そしてそれを操る人間だった。制度の目的が変化してから鬼子となった女にとって、その光景はあまりに衝撃的なものであり、幼い心を砕くには十分すぎるものであった。
他の子を守ろうという思いは消し飛び、女は利己的に幾つもの戦を駆けた。
戦場の誰よりも速く動くことができる自分。そして、死ぬことのない自分。女は、それを真理であると定めた。
女は、幼いころから勝ち続けて、勝ち続けて、勝ち続けた。戦場を誰よりも速く駆け抜け、誰よりも速く刃を振るい、誰よりも多くの人間を殺した。
つまり、生き残るためには、速くあらねばならない。
誰よりも速いことこそが、生き残る唯一の道であるのだから。
◇◆◇
外した、と男は直感した。そして、女がすぐに反撃に出るであろうことも同じく、肌で感じ取った。
男のそれは正しく、また取った行動も実戦において模範的な、正しい行動だった。
即刻、体を女の方へ向きなおして、次の一合を確実に防ぐために女の挙動を隅から隅に至るまで目を見開き、集中して観察する。
ただ、それはあくまで模範的な行動であり。男は女が型にはまらない戦い方をする鬼なのだということを読み誤っていた。
女は、男の予想通りに此方へ再び滑空する。
そして、切り合う間合いの手前――刀と刀が触れあいもしないような距離で――男が見開いていた両目の高さで、女は、太刀を振りぬいた。
男は驚愕する。視界が、塞がれていた。目を切られたわけではない、ただ、何故か瞼が貼りついたように開かない その隙を女は見逃さず、先ほどの釣りだと言わんばかりに男の胴に向かって太刀を走らせた。
男は反射的に左腕で腹を守った。機甲は余程の衝撃でなければ壊れない。ただ、生身である部分だけは何としてでも守らなければならなかったからである。
金打音がして、男は右脇腹に鋭い痛みを感じた。血が溢れ、裂けた陣羽織を濡らしてゆく。
三合目は、女の策が勝った。
男の目は未だに開かない。
男は、この正体を痛みとともに理解した。
――血だ。
女は、傷口を自ら抉り、滴る血を太刀に塗りつけたのだ。
そしてそれを振りぬくことで、男の目へと血液を飛ばし、視界を奪った。
血で視界を奪われている男は思考する。――自分はこのままでは確実に殺される。なればこそ、生き残る価値がある。
奇しくも女と同じように、男は己の過去を思い出していた。
◇◆◇
男は昔、武家の人間であった。機守と呼ばれるその家は、国の暗部を取り仕切る、穢れた一族であるとされている。その家の次男として、男――機守(秋水は生を受けた。
長男である靻は、機守の名を継ぐために。秋水は、自分を守ってくれる兄を守るために。二人は誓いを刀に込めて剣の修行に打ち込んだ。
秋水は、師の教えを次々とものにしていった。天性の才がある、と周囲の者たちはもてはやし、当人もそう言われて悪い気はしなかった。しかし、それを重荷であると感じる男がいた。勿論、兄の靻である。
何においても秋水は直向きに取り組み、そして成果を挙げる。それに比べて自分は、劣等感に急かされてがむしゃらに何かをしているだけで、まったく実績がない。時が経つごとに、靻にのし掛かる重圧は膨れあがってゆくばかりであった。
そして、その時は訪れる。秋水が二十三歳の冬のことである。靻が家督を継いでから数年、二人が人を切ることに慣れ始めた頃。
秋水は、突然兄に呼び出された。
「秋水です」
「入れ」
襖を開けた先の光景に、秋水は言葉を失った。兄の腕には見たことのない鎧が、そしてその手には大太刀が握られていたからである。
「……これは、我が機守に代々伝わる武具。靻だ。私は、これを継ぐために生まれてきた」
自分の知らなかった一族の機密。突然のことに秋水はうろたえた。
「これは家督を継いだことの証。戦が起これば、頭首はこれを纏って戦うこととなる」
秋水には、何故自分に殺意が向けられているのかが理解できなかった。優しい兄が、自分を守ってくれていた兄が、何故自分の命を奪おうとするのか。
「秋水。俺は、お前を殺さなければならない。何があってもだ」
「兄、さん……?」
「この機甲をお前に譲れという声があがっている! 分かるか、出来の悪い兄は早く隠居しろとのことだ! ……俺が何かをするたびに、お前の影がちらつく。俺は一生、お前の後を追い続けるのか? 俺は一生、お前に苦しめられなくてはならないのか? ……否、お前さえいなくなれば俺は――解放される」
「本気なのですか……?」
「……ああ、もちろんだ。手段は選ばない。私が、お前を殺したという事実。それだけを求める」
秋水は、この瞬間に兄のことを割りきった。自分に仇なす存在は、切らなければならない。どんな手段を使ってでも。
「――分かりました。なら、私は腹を切りましょう」
秋水は、全てを理解した上でその言葉を発した。兄が、自分を恐れていること。自分に情けをかけられることが、堪らなく癪に障るということも。何もかもを計算ずくで。
「ならぬ! またお前は、私を侮辱するのか……っ! もうよい、早く……私は今すぐにでもお前を……っ」
――その激昂が命取りになると考えない、その甘さが人を殺す。
兄が太刀を鞘から抜き放つ前に、秋水はそれを切り倒した。
手段は選ばない。兄が言ったことを、秋水は実行したのである。
「……何をしているんだ、私は」
勿論、理解している。肉親を切り捨てたのだ。
機守として、人を切ることに慣れすぎていたことが原因である。実際の命のやり取りにおいて、卑怯な手など存在しない。全てが正道なのだと秋水は教えられていた。
「こんなことになるなら……殺すしかなくなるなら……これが私の運命だというのなら……」
そして、機甲を屍骸の腕から剝ぎとると、それを自分の腕に装甲し、大太刀を帯びて部屋を出た。
「全て、なかったことにしてやる。この運命に、力で抗ってみせる。兄さんのように、私は――弱くない」
そして、機守秋水は鬼となった。機守の一族が、秋水を残して死に絶えたのは一晩の出来事であったという。
◇◆◇
女は、振りぬいた太刀を両手で強く握りしめ、男に迫る。
男は片膝をついた状態で、太刀を持った手をだらりと垂らしている。
男は、自分の魂に語りかける。
――自分が人であった頃の記憶などはとうの昔に消えているが、それでも一つ……たった一つだけこの魂に刻まれているものがあるだろう。鬼となる時、誓ったはずだ。何故忘れていた。抗うことを、何故忘れていた。この覆せない運命に、抗え―――!
その時、男の機甲に変化が起こる。男にしか分からない繊細で些細な変形ではあったが、内部の螺子が鋼が歯車が、まるで意志を持ったかのようにその組合せを換えてゆく。それと同時に、女の機甲にもそれが起こっていた。女の機甲が、翼を開いたかのように展開している。人工筋肉の筋かと思われた黒い鋼が露出し、歪に絡み合って輝いている。これは形容でなく、事実であった。輝いている。文字の如く、輝いているのだ。
チ、と女の機甲が啼く。突き出た鋼が発生させる電気が機甲の表面で衝突しあい、音を発しているのだ。瞬間、放たれた一閃は雷光の如く、迅く鋭く力強い。――電磁剣舞。機甲が女の魂に呼応して編んだ陽の道に反する陰の道。陰技と呼称されるその領域に、男もまた形は違えど到っていた。
ようやく男が見開いた目に映ったのは、自分の命を脅かす紅い女だけである。血で濁った視覚では――また、完全な状態であっても――女の繰り出した雷速の一薙ぎを追うだけの力はなかった。
――しかし、男は感じ取っていた。己の魂に呼応して冴えわたる第六感を。機甲によって最大まで高められ陰道のものとなったそれは、未来を示す羅針盤と成り得る。――占星遡航。神経と機甲が、男の取るべき行動を、そして未来を脳へ伝達させた。
女の不可視の太刀筋に、男は中心の尾――柄の先端部である――を振るう。雷を切るに等しいそれは、この世で恐らく男にしか出来ない奇跡に等しい技であった。光速で迫る刀の鎬を一点の打点で正確に捉え、その軌道を僅かに逸らす。そして、その一点を軸に跳んだ。片膝をついた状態から、腕一本での跳躍。あまりに常識外れなその芸当に驚きもせず、女は男の斬撃に備えて機甲の鋼を再び最大限に稼働させる。
(――必殺を狙って急所を突いてくるはずだ、この体勢から狙うことが出来るのは……!)
(――この体勢では刺せない。首を薙ぐ、それしかない……!)
男は、女の頭を背面で飛び越えようとした瞬間に上体を捻らせ首筋へと刀を奔らせた。男の刀が首筋を捉えようとしたその時、合間に女の小太刀が豪速で割って入る。
――女が行ったのは、腰の鞘に納められた小太刀の射出である。陰義の磁力を鞘の中へ送り込むことで、鞘を滑走路とし、小太刀を銃弾とした即席の電磁砲を放ったのだ。銃弾の速度と重さは比例する。そして、男の無理な姿勢からの一撃と相殺させるには十分すぎるほどの早さでそれは行われていた。
双方が衝撃によって吹き飛ばされるが、今の二合で傷は負っていない。
先を読む男と、先の先を行く女。手にした力の修練の度合いも等しい。
体勢を立て直して再び間合いを詰めると、己の魂を薪として灯す鬼火を、彼らはただ全力で打ち合った。
◇◆◇
――そして、終わりは訪れる。
機甲は、理論的には永久的に駆動させることが可能である。しかし、それは鬼が無制限に活動できることと同義ではない。手負いの鬼は機甲の力を引き出せない。あくまで鬼は機甲を駆動させるための一装置でしかなく、部品の壊れた機械が動きを止めてしまうように、鬼は消耗するものなのだ。
鬼火は、とうに掻き消えている。機甲はただ、腕を死ぬまで振るわせる力を彼らに与えているだけである。そこにあるのは、ただの二人の人間の死闘であった。
男の陣羽織は数多の斬撃によって切り裂かれ、また、女の着物も同じく切り裂かれ、虫に食い散らされた枯葉を羽織っているよう。血が乾ききらぬ内にまた血に濡れ、二人の間には幾つもの血だまりが生まれていた。
既に、間合いを取る体力もない。大振りで隙だらけの、それが何合目か分からないほどの打ち合いの末、遂に女が男の力に圧し負け弾き飛ばされた。
男に背を向ける形で、女は膝をついて倒れている。立ち上がろうとよろめいては、再び地面に突っ伏す。
男は、何かに引きずられるように、数十秒かけて女の元へ歩いていった。
「―――、――、、」
呼吸さえも無様。何故生きているのかが不思議なほどの状態で、これで止めと男は刀を振り上げる。
その瞬間。女の背から飛び出した何かが、男の肩を刺し貫いた。
それは、女の太刀であった。女は、自分の身体を犠牲に、男への決死の反撃を図ったのである。
自分の命を削ったその一撃は、男の魂を揺さぶった。生きるため、死に克つ。自分が敗北し、女が生きたとして。この女の生きる先は如何なるものなのか?
男は、喉に凝固した血のせいで言葉を発することができない。呼吸をするのがやっとの状態である。そして、言葉をはき出せたとしても今更、この女を生かしたいなどという馬鹿げたことは叶いそうにもない。
ふらり、と男は後ずさり、身体に刺さった刃を抜いて、自分の太刀を構える。
「――――、ぁ」
女が、立ち上がる。そして、何かを呻いている。
「―――ぁ、――、、――」
女が、何かを伝えようとしている。ようやく出会えた、自分と同等の存在に対して。女は、男と違って純粋な鬼であった。故に、言葉を知らない。他者を徹底的に排するその生涯を受け入れた女は、今までそれを必要としなかったのである。
自分と並び走ることが出来る者を、彼女は初めて知った。そして、初めて得たその知識が、彼女に他者との関わりを望ませた。
しかし、伝わらぬものは伝わらない。
やがて女は音を捨て、太刀を構えた。
再び、刃と刃が交差する。
しかしそれは、力無く、戯れているように刃と刃がふれ合うようなものであった。
死の際で、二人は心の内にある一つの想いに気がついた。
――何故、此処までして斬り合っているのだろう。
苦笑した。人の心などとうに捨てたはずの自分が、何を考えているのか、と。
こんな呆けたことを考えながら、剣を振るっていることがまた二人を笑わせた。
――なるほど、今動く腕は鬼の腕なのだ。「私」という鬼はこの腕に宿り、「私」という人間がここにいる。この心は、人の心なのだ。目の前にいる人間が、私を打ち負かそうとしている人が、美しい。……ああ、この高揚は――
夜が明け、日の光が仄かに差す中。これが本当の最期両者が振りかぶった刀は、互いの右肩から心臓へと至り。
その場に頽れた二人は、寄りかかるようにして、その生を終えた。
◇◆◇
自分と同じ存在を認め、一度、二度《Re》、三度《Re Re》、引かれるように魂を打ち合わせた男と女の物語はこれで終わる。
互いの刃を打ち鳴らす剣撃の応酬こそが彼らの愛の形なれば。
――結果として。彼らは戦うべくして戦い、散るべくして散った。それが尋常の幸福とはかけ離れた結末であったとしても、鬼には過ぎた幸福である。
よろしければ、今後よりよい文章を書けるようになるために感想をお願いします。